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第8回「石橋貴明のたいむとんねる」ゲスト:太田光 とんねるずがアウェーの洗礼を受ける衝撃の姿


6月4日に放送された第8回「石橋貴明のたいむとんねる」。今回のゲストは爆笑問題の太田光さん。今回のテーマは「お笑い番組の細かいとこ」。絶頂期のとんねるずが味わった完全アウェーの洗礼についてや若手に厳しく当たるフジテレビについても。さらには現在のテレビが抱えるコンプライアンスの問題についてミッツさんが批判覚悟で一言と内容は盛りだくさん。

というわけで6月4日放送の第8回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をご紹介します。

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出演者

【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ

【ゲスト】爆笑問題 太田光

【ウェイトレス】なし

【ナレーション】山中まどか

番組概要

フジテレビ系で4月17日から放送が始まったトーク番組。

長らく続いた「みなさんのおかげでしたが」が最終回を迎えて、間もなく始まったとんねるず石橋貴明さんのレギュラー番組。

放送時間は23:00から23:40までの冠番組となっていますね。

トークセットのコンセプトはレトロな喫茶店の雰囲気となっていて、MC役の石橋貴明さんが向かって右側、ミッツ・マングローブさんが向かって左側に座って、真ん中にゲストを迎えるというポジショニング(放送初回だけはMC役の左右が逆)

ちなみに第6回放送では向かって左側にミッツ・マングローブさん、真ん中にタカさん、左にゲストという座り位置でした。

トーク中にはBGMとして古めの曲を中心に洋楽がかかるのも特徴。

今の所、特に何もするわけでもないアシスタントのウェイトレス役の女性が2名。

店員さん風の衣装で常に後ろにスタンバイしていますが、初めにドリンクを持って来るだけで、あとは何かするということもなくただ後ろで笑っているだけ。謎の存在。

ウェイトレスの2名は途中からいつの間にかいなくなっていることもあるので余計によく分からない存在(第5回放送)。

江夏豊さんがゲストの第7回放送ではウェイトレスが一名もいない状態になってしまいました。※第8回も引き続きウェイトレスはナシの状態。

第2回放送まではごく短いオープニングとしてカウンター越しにミッツ・マングローブさんとタカさんがトークをしてからスタートしていましたが第3回放送からは省略されています。

ちなみに番組後半はCMだらけになって40分番組にしている理由があるのかよく分からないことに。

第4回放送からは「こつぶとんねる」というミニコーナーがスタート。

「ちょっと気になる懐かしいアレコレ」について番組が実際に検証するという企画ですね。

フジテレビの番組公式HPの募集ページには視聴者からの投稿を受付中となっています。

コチラが番組公式HPの募集ページ

ちょっとレトロなものであれば、アイテムや場所、生き物、人物、ブーム・現象でも何でもOKみたいですね。

こつぶとんねるのコーナー後には検証結果として結果表示がされるようになっています(第5回放送から)。

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太田光登場

Phil Collins – You Can’t Hurry Love

いきなりドアをバタバタさせて太田さんが登場。押戸か引き戸か分からなかったようですね。

ソファの後ろから乗り越えるようにして着席。

ミッツ「50過ぎてんだから、そろそろ怪我しますよ?」

まずはタカさんと太田さんの初めての出会いから。

1993年~2007年までNHKで放送されていた音楽番組のポップジャム。1998年から2年間、爆笑問題がMCを務めましたが、野猿で出演したタカさん。しっかり絡んだのはその時だそうです。

初めて遭遇したという意味では、河田町時代のフジテレビ。

ものまね番組のオーディションに相方の田中さんが参加するということでそれについていった太田さん。すると駐車場でタカさんと遭遇。

太田さんはその際「石橋~!」と叫んだものの「すげームッとしてこっち睨んでそのまま」去っていったそうです。

太田「石橋こえぇ~~。みたいな。そういう出会いが。実は。」

改めてオープニングタイトル

CM明けにオープニングタイトルが差し込まれてトーク再開。

太田さんが一番とんねるずがおもしろいと感じたのは「モーニングサラダ」(1981年~1985年)だそう。

日本テレビで毎週土曜朝7時に放送されていた番組でMCは先日亡くなった西城秀樹さんが務めてらっしゃいました。

石橋「これ知ってる人。」

太田「そこでコントをやるんですよ。とんねるずが。台本も無いような何だかよく分かんないコント。めちゃくちゃおもしろいんですよ。」

石橋「おもしろくないよ。笑」

太田「いや。おもしろかった。あん時一番おもしろかった。笑」悪い言い方をする太田さん。2人して爆笑してますw

1分という限られた時間で、太田さんが覚えているコントの内容はタカさんが布団で寝ていて、ノリさんがお母さんの役で起こそうとするものの「起きなさい!」「やーだー!」というやり取りを延々とそれだけやるというものw

石橋「よく覚えてるね。」

ここからは20世紀のお笑い番組を時系列に追いかけながらトークを進行していきます。

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金曜10時!うわさのチャンネル!

テレビっ子だったという太田さん。「金曜10時!うわさのチャンネル!」(1973年~1979年)は大好きだったそう。とにかくせんだみつおさんがおもしろかったという感想。

映画「エクソシスト」が流行っていた時代のコントとして、赤ちゃんが生まれた際に「あーあ。これ子どもじゃなくてええクソシストだ。」という太田さん曰く「衝撃的なオチ」を覚えているそう。

太田「これは未だに夢に見ます。」

ミッツ「昔のテレビって結構、ウンコが占める割合大きかったですよね?」

太田「ウンコチンチンですから。」

「8時だョ!全員集合」はウンコオチが定番だったとタカさんも同意。

ボキャブラ天国に出演していた爆笑問題がウンコネタを披露していたことを覚えているミッツさん。

太田「せんださんの遺伝子でしょうね。それね。」

うわさのチャンネルでは、徳光和夫さんがザ・デストロイヤーに足4の字固めを食らいながら自ら実況するという場面も。

石橋「徳光さんが凄かったのは、あの実況の中で足4の字固めって言うのを「フィギュアフォー・レッグロック」って言うんですよ。」

ミッツ「明日は父兄参観であります。って言ってね。笑」

これがきっかけで学校でも足4の字固めが流行ったという太田さん。

The Four Tops – Loco in Acapulco

タカさんの思い出としては先端にグローブがついている棒でデストロイヤーの頭を小突き、デストロイヤーが「何だ?」とキョロキョロするという謎のパターンが時折差し込まれるのがおもしろかったそう。

石橋「あれが妙にオレは好きだったんだけど。うわさのチャンネルで。必ずデストロイヤーは言う言葉は『ババサンイチバン!』笑」

さらに番組内では出演者の和田アキ子さんが苦手な犬と絡まされたり、大嫌いな蛇を投げつけられたりとイジめられていたのも印象的と語る太田さん。今では考えられないですよね。

8時だョ!全員集合

タカさんの好きだった番組は何と言っても「8時だョ!全員集合」

8時だョ!全員集合で会場としてよく利用されていた文京公会堂(1977年に閉場)にまで見に行ったというタカさん。

当時12歳だったタカさん。加藤茶さんが「ちょっとだけよ」で一世を風靡していた時代がその頃だったそう。

ちなみにこの有名なBGMは「Perez Prado – Tabu」

加藤茶さんも「1、2、3、4、やったぜカトちゃん。ウンコチンチン」というギャグがあったというタカさん。

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その頃は荒井注さんがドリフターズのメンバー。

太田「カメラ目線でですよ?カメラ目線で視聴者に向って『何だバカ野郎』って。ヒドイギャグですよ?だからカラオケ入らないんだ。」

カラオケボックスを開店しようとした荒井注さんでしたが、カラオケの機器が大きすぎて入口から入らなかったという珍事件があったんですよね。

1974年に荒井注さんが脱退後、付き人だった志村けんさんが正式メンバーに加入したことについては「ちょっと待ってよ。」と感じた2人。

さらに志村けんさんはすぐさま加藤茶さんと並ぶ人気を博すことになったんですよね。

しかし、その頃は同時期に放送していた「欽ドン!」にちょっと浮気していたという太田さん。

そうしているうちに志村けんさんが大人気に。

当時小学校4年か5年ぐらいだった太田さんですが、それよりも下の世代がみんな一斉に志村けんさんに夢中になっていることにちょっとした違和感を覚えていたそう。

太田「俺としては荒井注の後はすわ(すわ親治)さんだと思っていたわけですよ。」※すわ親治さんは加藤茶さんの運転手・付き人時代を経てちょくちょく番組にも出演し、準メンバーとして活躍されていた方です。現在は俳優として大河ドラマ「西郷どん」などにもご出演ですね。

当時は新加入の志村けんさんのことを「そんなの認められない。それはドリフじゃない!」と毛嫌いしていたそうですが、実際に観てみると「おもしろいの何のって。あっ。これはもうすわさんじゃなくて良かったね。みたいな。」

ぎんざNOW!

ここで「しろうとコメディアン道場」のコーナーが有名な「ぎんざNOW!」の話題に。タカさんは中学3年生で初出演。

出演者として、浜っ子吉村(吉村明宏)、ザ・ハンダース、関根勤、竹中直人、柳沢慎吾、キャロル(矢沢栄吉)と年代はバラバラながら名前が上がる中で、清水健太郎の名前も。

石橋「清水健太郎さんはコメディアン道場で出て来たんですよ。清水アキラさんの4週目か5週目に友達として出てくんですよ。すっげーかっこいいんだけど、ちょっとものまねとかやって、何だか分かんないけど人気出ちゃうんですよ。したら急に『失恋レストラン』歌って」

「♪悲しけりゃここで打ちなよ~。ブスっ。」

太田「違う。違う。笑」

清水健太郎さんは過去に何度も覚せい剤で逮捕されていますよね。

堺正章

「ハッチャケ!!マチャアキ」以外にも数多くのバラエティに出演した大スター。

正月になると一日中マチャアキが出ていたという太田さん。

太田「井上順さんとのコンビのトークがもう最高だし。」

「チューボーですよ」で堺正章さんと井上順さんがカウンターでコケまくっていたのをテレビで観ていたタカさん。「2人ともすごかったです。」という感想。

こちらがその動画。

石橋「いや~。じゃあ終わりますか?」まだ番組は半分も進行していませんが既にお腹いっぱいのようです。

ここからは激動の80年代、90年代のお笑い番組。

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THE MANZAI

1981年からは「オレたちひょうきん族」(1981年~1989年)がフジテレビでスタート。TBSの「8時だョ!全員集合」と人気を二分して「土曜8時戦争」と呼ばれる時代に突入。

とその前には「THE MANZAI」(1980年~1982年)で漫才ブームが巻き起こります。

放送終了後はTHE MANZAIの話題で持ちきりだったそう。

ただし、あくまで一番人気はB&Bとザ・ぼんち。ツービートはその次だったという太田さん。

さらに「恋のぼんちシート」の歌を発売して、武道館を満員にするという漫才師としては初の快挙も。

現在の芸風も当時と全く変わっていないという太田さん。

最近では「おさむちゃんでーす!」のギャグの前振りが長くなりすぎてギャグを言う前にCMに入ってしまうという珍事もあったそう。

太田「おさむちゃんです言えずにCM行くっていう。大変な放送事故だったんですから。笑」

漫才ブームでは島田紳助・松本竜介のツッパリ漫才も一世を風靡。

石橋「あと、紳助・竜介さんとかね。」

太田「紳・竜もすごかったですよね。ツッパリ漫才。」

当時B&Bの島田洋八さんが六本木を歩いている姿を目撃したというタカさん。周りを女の子に囲まれて大騒ぎになっていたそう。狂喜乱舞ぶりに「えっ!この人たち漫才師なの?」とロック歌手と見まごう程の人気ぶりだったそうです。

Quarterflash – Harden My Heart

当時の漫才ブームではそこそこベテランの人たちが人気を博しており、若手では紳助さん、山田邦子さん、コント赤信号、シティボーイズなどもいたと回想する2人。

その中でも一番影響を受けたのはツービートという太田さん。

特にビートたけしのオールナイトニッポンが1981年1月1日にスタートしたことで一気に夢中になったそう。

また、「お笑いスター誕生!!」ではタモリさんが既に審査員席に座る立場になっていたことが不思議という2人。

当時タモリさんはまだ30代中盤。「うわさのチャンネル」で急に出てきて「何だこの人?」という第一印象だったというタカさん。

太田「ワケ分かんなかった。」

さらに「笑っていいとも」もスタートし、紅白歌合戦の司会にまで抜擢されるタモリさん。

NHKで「友だちの輪!」を披露したのが話題に。

太田「九十九一(つくもはじめ)がその後狙ったんだけど、あんま上手くいかなかった。」

懐かしい名前に爆笑するタカさん。「第2のタモリっていうね。笑」

オールナイトフジ

この頃からとんねるずが台頭してきますが、まずは「ど根性ガエル」の話から。

1981年8月25日リリースのとんねるずとしては初のシングル曲が「ピョン吉・ロックンロール」

ど根性ガエルが大好きだった太田さんですが、今でもピョン吉Tシャツを毎日愛用しているのは有名な話。

楽屋に戻るとすぐにピョン吉Tシャツに着替えるみたいですね。もちろんこの日の収録もピョン吉Tシャツで過ごしていたそう。

とんねるずブレイクのきっかけになったのは何と言っても「オールナイトフジ」

太田「途中でやるとんねるずのコントと言うか・・・あんな芸は無いよね。他にね。」

台本が覚えられないため、譜面台に箇条書きしたメモを置いてそれを見ながら喋るという独特の作り。

タカさんおなじみのポコ○ンポーズ。女を上空に投げ上げて股間でキャッチするというギャグもありました。

太田「もうヒドイもんでしたけど。ゲラゲラ笑って観てた。」

そうやって暴れ回る姿が印象的だったとんねるずですが、太田さんはあるとんねるずの姿に衝撃を受けることになります。

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とんねるずにアウェーの洗礼

それが1985年3月2日放送「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきんベストテン」にとんねるずが初出演した時の姿。先輩芸人たちにもみくちゃにされるというシーン。

曲は「一気!」ですが、イントロ部分でいきなりビール瓶で攻撃される2人。

さらにパイ投げやビール噴射、さらにはゴミを投げつけられて埋もれるとんねるずの姿。

これがその時の動画。

太田「とんねるずって当時はどこ行っても暴れ回って。だけどひょうきんベストテン出るんだっていったときに珍しいなと思いながら観てて、どうするんだろう?って思ったら。」

石橋「出始めだったから、まあとりあえずやられるなと。」

太田「結局、何にもやらせない。とんねるずに。怖いなぁ~と思って。俺はだから笑ってみてないんですよ。あのとんねるずが何もやらずに苦笑いしか出来ないっていうのはね。」

石橋「完全アウェーですよ。」

太田「恐ろしい所だなと思って観てたんですよ。」

Johnny  Nash – I Can See Clearly Now

太田「こういうのがたまにおもしろいんですよ。こういう場面が見れるのが。」

オールナイトフジでカメラを倒すという伝説は既に放送されている時代なのでとんねるずの勢いはすごかったハズですが、ひょうきん族ではこの扱いだったわけですね。

カメラ破壊の動画はこちら。

太田「ああ、やっぱり芸人の世界ってそういうの。」

石橋「シャットアウトですよ。」

実は明石家さんまさんが欽ドンに出演した際も同じような光景を観て衝撃を受けたという太田さん。

太田「さんまさんもエグイなと思ったのは、欽ちゃんの番組なのにさんまさんが人気絶頂だからお客が全部さんまさんのホームになっちゃうわけですよ。それで欽ちゃんのツッコミ芸を一切やらせないの。『何て性格悪いんだろう!』って思って。さんまさん。怖かったねぇ。あん時も。この辺は両雄並び立たずというかそういうとこあって。」

石橋「ちょうどだから俺たちが出始めた頃は変なピリピリ感ありましたよ。だからあんまりその後、俺たち絡まなくなっちゃう。他の人たちと。」

その後に「みなさんのおかげです」がスタートしますが、あまり先輩芸人を番組に呼んでというテイストにはならなかったのはこの辺が元になっているような気がしますね。

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爆笑問題デビュー

Deniece Williams – Let’s Hear It for the Boy

そして1988年には爆笑問題もデビュー。渡辺正行さん主催のラ・ママ新人コント大会で初舞台を踏む爆笑問題。

ここでとんねるずも一度ラ・ママに出演していたという話になりますが、

石橋「それ言われんだよな。ホリケンにも。それで歌だけ歌って帰ってってって言う。一気を。」

太田「覚えてない?」

渡辺正行さんが「とんねるずが一度出演した」と話していたそうですが、タカさんは多忙を極めた時代だったため記憶に残っていないようですね。

太田「冷たいね。だからおぼん・こぼん師匠にね『冷たいやっちゃ』って言われるんですよ。」

おぼん・こぼん師匠は太田さんに「タカは冷たい」と漏らしていたそう。

東京の漫才師による大会をとんねるずのタカさんが中心となってやってもらいたいという展望を語っていたそうですが「全然、電話に出えへんのや。アイツは冷たい奴や。」と愚痴っていたよう。

太田「『東京の漫才を何とかせなアカンのや』ってバリバリの関西弁ですよ?アンタ誰なんだ?っていう。笑」

おぼん師匠からの電話に「何でおぼんさんが俺の電話番号を知ってるんだ?」と思っていたタカさんですが、その犯人は相方のノリさんだったそう。

石橋「誰がおぼんさんに教えたんだと思って、したらノリタケだった。アイツ振り逃げしてんですよ。」

1988年にはダウンタウン、ウッチャンナンチャンが出演する「夢で逢えたら」がスタートしますが、その少し前に「笑いの殿堂」という番組に出演していた爆笑問題。

ウッチャンナンチャンを中心に若手の今田さん、東野さん、爆笑問題などでスタートした番組。

太田「それから春一番とかいて。で野沢雅子。いや野沢直子。野沢雅子は悟空の人だけど。笑」そんな番組すごそうですねw

夢で逢えたらの原型のような番組だったそうですが、結局は全部持って行かれちゃったという太田さん。

ボキャブラ天国

爆笑問題が改めてブレイクしたのが「ボキャブラ天国」

太田「まさかそんなにこの番組で出れるとは思ってなかったんですけど。」

番組当初は視聴者の投稿を紹介してタモリさんが審査するという形だったものの、ワンコーナーに芸人の枠があり、そこで分計(視聴率)が上がるという結果を元に芸人枠一本で番組がリニューアルされることに。

そこでネプチューンやくりぃむしちゅー(当時:海砂利水魚)も台頭。

審査員には大島渚さんもよく出演されてました。必ずBOOMERの事を怒るという太田さん定番のものまね。

ちなみに最近の番組では「あらびき団」(2007年~2011年)のようなゴングショー的なワケ分かんない芸人が出てきてネタを見せるという番組はゲラゲラ笑って観ているという太田さん。

オールナイトフジでもとんねるずが「怪人ゴングショー」のコーナーを進行していましたが、懐かしい「鎌ヌンチャク」の話題に。

鎌ヌンチャクでゴングショーに出演していた浮田和貴さんという方は今や忍者ショーを主催されているそうで、太田さんがNHKのロケ(探検バクモン)で偶然会う機会があったそう。

タカさんも鎌ヌンチャクに衝撃を受けたそうで、どうしてもと希望を出してかくし芸大会で披露することになったそう。

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フジテレビの仕打ち

その流れで、かくし芸大会にとんねるずが出演したときの思い出を語る太田さん。

「3年前はペンギンでした。」のセリフが話題に。

とんねるずがペンギンの着ぐるみで画面の後ろの方にちょこっと出演すると言う若手時代を経て、メインの演者として出世しましたというネタですが、タカさんが当時を回想して、

石橋「井上順さんが俺たちペンギンを触ると『ペンギ塗りたて』って言って、俺たちがそれでコケる。セリフ無いのに本読みに行かされて。」

何のセリフもないチョイ役なのにしっかりリハーサルに参加させられて、ずっと黙ったままやる事が無かったというツライ思い出のようですね。

石橋「それ辛くて。そういうね。フジテレビはね。キツイんですよ!出てきて無い奴には。」

太田「ホントキツイよね?フジテレビって。」

石橋「売れたら手の平返し!」

石橋&太田「ホントそう!」息の合った2人。何か思う所があるようですねw

テレビのコンプライアンス

The Police – Every Breath You Take

太田「テレビなんかメチャクチャだからおもしろいハズなんだけども、だから下手にもう視聴率なんかもうゴールデンでも2(%)とかになればやりたい事出来るかもしれない。逆にね。」

ミッツ「オネエって言葉すらダメらしいんですよね。」

太田「だからどうすんの?」

ミッツ「どうすんのってコッチのセリフ。あたし達はオカマと言うな、ホモと言うな、ゲイと言うななんて言ってない。まあもちろん言う人達は一定数いるけども、そうじゃない当事者だっているわけで。オネエ系とかって一括りで。」

太田「ショーン・Kとかね。」

ミッツ「私はこれはもう批判覚悟で言いますけど、LだのGだのBだのTだの、頭文字でくくっちゃってんのはお前らだろ!っていうのもあるわけですよ。」

結局そうやって分類していっているのは抗議している団体の人たちが元になっているようなという違和感を言っているわけですね。

「ブスパン」と「保毛尾田保毛男」で物議を醸して叩かれたというタカさん。

太田「あれ見て傷つきましたか?」とミッツさんに質問。

ミッツ「私は保毛尾ちゃんにむしろ救われた世代ですから。」

太田「ほら。ねえ?」

ミッツ「からかわれた同じ世代もいれば、保毛尾ちゃんみたいに振る舞えばそこはギャグとしていけるんだって、半々でいるわけですよ。」

太田「だからどっちもいるってことですよね?」

ミッツ「でも今は『私は弱者です!』って言っちゃった人が勝ちなんですよ。」

太田「だからその割には田中がチビっつうとみんなウケるんですよ。あれ一番差別ですからね。」

石橋「片玉とかね。笑」

太田「片玉でどんだけ稼いだ事か!」

ミッツ「確かに田中さんはすごいわ。」

太田「だから朝のテレビ小説『半分、無い』ってやつを。」

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エンディング

太田「タカさん、これからどうするのかっていうのを聞きたいですね。単純に興味として。」

石橋「これから弟子を育ててみようかなと。」

太田「ええ~~!」

さらにお笑い学校を作って今話題の日大のように「お笑い一高、お笑い三高」と創設していくという夢を語るタカさん。

4月30日放送の第3回「石橋貴明のたいむとんねる」ゲスト:千原ジュニア タカさんが弟子を取ろうかな発言?と同じような発言がここでも。

石橋「『元相撲部です』って。『俺はねルールはよく分かんねぇんだけどね。』」

太田「したら俺司会やりますよ。『落ちてません。落ちません!』って。」

最後は日大ネタをイジってエンディング。

ちなみに今回も次週予告はナシ。

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