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第60回 NHK「チコちゃんに叱られる!ロストサマー拡大SP」パラリンピックの「パラ」の意味&靴ヒモニュース第一部完


19年8月23日放送の第60回 NHK「チコちゃんに叱られる!」はロストサマーSPと題して72分の拡大版放送!紹介された第5問目は、パラリンピックの「パラ」ってなに?という疑問。さらに靴ヒモニュースは遂に続報が放送されますが、第一部完結という衝撃的なオチに。

ということで、19年8月23日に放送された第60回 NHK「チコちゃんに叱られる! ロストサマー!二度と帰れないあの夏の日何してたっけSP」の様子をまとめてご紹介します。

※本記事では5問目と靴ヒモニュース、おたよりコーナーをまとめておりますので残りの疑問は別記事でフォローします。

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出演者

【メインMC】チコちゃん(声:木村祐一)

【アシスタント】塚原愛(NHKアナウンサー)

【ナレーション】森田美由紀(NHKアナウンサー)

【レギュラー】ナインティナイン 岡村隆史

【ゲスト】草刈民代、松重豊、指原莉乃

【VTR】橋本さとし、熊澤美麗ディレクター、鶴見辰吾、清水ミチコ

チコちゃんの疑問その5

パラリンピックの「パラ」ってなに?

5問目も笑いから入るパターン。

チコちゃん「民代ちゃんそんな漢字じゃ。ウッフッフ。笑」「ごめんなさい。ちょっと漏れちゃった。笑」

5問目の指名は、

この中で一番スポーツが似合うかっこいい大人ってだーれ?

ココは満を持して岡村が自ら解答者に立候補。

2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、

チコちゃんの疑問は、

パラリンピックの「パラ」ってなに?

言われてみればという疑問に何も出て来なくなる岡村さんw

長い言葉を略したものという推理の岡村さんですが、

チコちゃん「それはもうみんなそうだと思ってるわよ?」

ズバリ「パワフルラン」の略という思い切った答えですが、

チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

2020年8月25日に開幕する東京パラリンピックですが、公園で汗を流す人たちに聞いてみても答えは出ず。パラソルやパラダイスが出てきていますがそれは関係なしw

ということでチコちゃんの答えは、

パラプレジアの「パラ」

解説は東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局長の平田竹男さん。

パラプレジア (paraplegia)とは本来、下半身まひという意味。

しかしパラリンピックには下半身まひの障がいを持つ選手以外も多く出場しますよね。

というのも、元々のパラリンピックは車いすに乗る人だけが対象だったという歴史があるんですね。

パラリンピックの起源は1948年にイギリスのとある病院で行われたアーチェリーの競技会だと言われています。

この年1948年にはロンドンオリンピックが開催されていましたが、これに合わせてロンドン郊外のストーク・マンデビル (Stoke Mandeville) 病院で第二次世界大戦で負傷した軍人がリハビリの成果を競い合うアーチェリーの競技会が開かれたんですね。

この車いす使用者による競技会はストーク・マンデビル大会 (Stoke Mandeville games)と呼ばれ、1948年以降は毎年この病院で開催される恒例行事に。

すると次第に世界各国から車いすの選手が集まり、国際競技大会へと発展していくことになります。

競技種別も徐々に増えてきますが1960年にはオリンピック開催都市でストーク・マンデビル大会を開こうと大会委員会が決定。

こうして1960年のローマオリンピックの折にはストーク・マンデビル大会がローマの地で開催される運びとなります。

この大会はオリンピックにあやかって下半身まひを意味するパラプレジアとオリンピックを掛け合わせて「パラプレジックオリンピック」という愛称が大会関係者の間で用いられていました。

コチラが1960年大会の映像。※写真が主ですので動画ではありません。

当時はパラリンピックという呼び名じゃなかったんですね。

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その後、オリンピックが開催されない年はストーク・マンデビル病院で毎年開催されていたストーク・マンデビル大会ですが、

公式にパラリンピックという呼び名が使われたのが実はローマ大会の次にあたる1964年の東京大会が初。

この大会実現に向けて尽力した人物が、

日本パラリンピックの父、中村裕(なかむらゆたか)さん。

ちなみに中村裕さんについて描かれたドラマ「太陽を愛したひと」がBS1で8月25日に放送という番宣も。

大分県で医師をしていた中村裕さんは当時最先端のリハビリ技術を学ぶために1960年にストーク・マンデビル病院に留学。

そこでスポーツを通したリハビリに感銘を受けて、1964年の東京大会を日本における障がい者スポーツ発展の第一歩にするという決意をします。

大会開催に向けて大会準備委員会を立ち上げて奔走しますが、東京開催には反対する声もあったとか。

これに中村裕さんの息子さんで現在大分中村病院理事長の中村太郎さんは、パラリンピックの東京開催について世間や医療界の評価も好意的ではなかったと述懐。

せっかくリハビリで病状が良くなったのに、スポーツでまた故障をして悪くなったらどうする?障がい者を見世物にするのか?という考えが根強かったようで、障がい者スポーツへの理解度がまだまだ低い時代だったというわけですね。

そこで東京開催予定の2年前、1962年のストーク・マンデビル大会に自身の患者さん2人に参加してもらって障がい者スポーツをアピール。

欧米に追い付け追い越せの時代だったのでオリンピックの後にパラリンピックを開催しないと国際的に恥ずかしいことだと中村裕さんは強く主張していたとか。

その熱意が通じて1964年大会は東京開催されることが正式決定。

そしてこの大会名はパラリンピックと公式に命名されます。

コチラが1964年パラリンピック東京大会の動画。

1964年11月8日から開催された東京パラリンピックは144種目、約370人のパラアスリートたちが集結。

しかし東京大会以降はパラリンピックという名前はしばらく使われず、オリンピックと同じ都市での開催も見送られる事に・・・。

再び同じ都市で開催されたのは1988年のソウル大会から。

この時東京大会で初めて使われたパラリンピックの名称が国際オリンピック委員会に認められて正式名称に決定。

元々はパラプレジアだったものがオリンピックと並行開催という意味でパラレル(並行)という解釈に変更されます。

2020年にパラリンピックは56年ぶりに生まれ故郷の東京に戻って来るんですね。

という事で、

パラリンピックの「パラ」は現在は「パラレル」のパラですがもともとは「パラプレジア」のパラ

でした。

記憶に残るオリンピック・パラリンピックの名シーンを聞かれたチコちゃんは、

チコちゃん「日の丸飛行隊もそうだし、山下泰裕もそうでしょ?ソフトボール上野、ママでも金でしょ。」

岡村「5歳よね?チコちゃん!」

チコちゃん「やっぱりコマネチかな。」

1976年モントリオール大会のナディア・コマネチw

最後に塚原愛アナから補足。

実は1953年のイギリスの新聞記事に「パラリンピック」という名称が使われていたという裏話があるんですが、これは大会関係者の中だけで使われていた俗称で、公式に使われたのは1964年の東京大会からだそう。

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靴ヒモニュース

久しぶりに靴ヒモニュースがカムバック。

前回のエピソードでは京都まで進んでいましたが、未だほどけずという所で終わっていましたよね。

チコちゃん「その後どうなっているのか?さしこも続きが気になるでしょ?」

指原「眠れなかったです。」

チコちゃん「おいおいおい。言いすぎやねん。」

という事でVTRは、

「第三話 靴ヒモ揺れてどんぶらこ」

現在歩いているのはスタートから670km進んだ岡山県に到達。

靴ヒモを見てみるとイアン・セキュア・ノットもちょう結びもまだほどけず。

前回と同様やはりちょう結びは結び目が緩んできているようですがまだまだ。

とここで実験が行われている名古屋工業大学から先生の呼び出し電話が。

佐野明人教授には実験を担当してもらっていますが、実際にお会いして話を聞いてみると、

ちょっとほどけそうになく、もうそろそろ・・・。という苦い表情。

ここで実験中止かと思いきや「いっそ走らせてみます?」という思い切った提案の佐野教授。

新開発の走行ロボットで歩行ロボットからグレードアップ。そのスピードは4倍以上。

ただし、モーターは付いておらず、操縦者が手動で力を加えて走らせるという操り人形的な構造。

という事で今度は走行ロボットで実験継続。

操縦者の学生さんが2本のレバーを交互に動かすとリズミカルに走り出す走行ロボット。

動きがとても軽やか。

すると突然その時はやって来ます。

これまでかけた時間は2か月。

流れるBGMは中島みゆき「世情」

岡村「腐ったみかんの方程式や・・・」

金八先生が大好きな岡村さんw

短い回想シーンが差し込まれた後、

ついにちょう結びがスルッとほどけるスロー映像。

結局2か月かけて670kmを歩き、走り出して213mでほどけるという結果に。

早めに走っていればw

岡村「あの学生さん、助かった~!思ってるやろな。笑」

佐野教授「やっぱり違うな!走ると!」

一番助かったと思っているのは佐野教授かもw

この違いは、走る事で大きな力が加わったのはもちろんですが、走行ロボットでは足首の構造が人の構造にとても近く、柔軟に出来ているので靴ヒモが激しく揺さぶられるというのも影響したと佐野教授の見解。

確かにスロー映像を見てみると、蹴り出しの際に足先がブルンブルンと激しく動いていますよね。

人間の足首はあそこまで極端にブランブランしていないと思いますがw

調子に乗った担当Dはイアン・セキュア・ノットもほどくという難題にも挑もうと佐野教授に提案しますが、

手動の部分をモーターに置き換える事が出来れば再度実験が出来るかもと遠回しにお断りw

そりゃそうですよね。

という事で、

「いつの日か最強のイアン・セキュア・ノットがほどける日を夢見て。」という事で第一部はこれにて完結。

チコちゃん「走ると早かったわね~。」

佐野教授によると、ここまで歩行ロボットを長時間動かした事は無かったので今回の実験は歩行ロボットの耐久性という面でも非常に意味のある実験だったとの事。

実はかなり有益な実験だったそうで一安心。

「今日はもうタクシーで帰ってください。」と担当Dを労うチコちゃん。

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ひだまりの縁側で・・・コーナー

エンディングは視聴者からのおたより紹介コーナー。

キョエちゃんがくわえているおたよりを抜き取ると、

キョエちゃん「岡村!岡村!にらめっこしよう?しようよ。行くよ?にらめっこしましょ!あっぷっぷ~!はい皆さん!これが岡村隆史の実力です。日本のトップコメディアンでーす!」「実力すごい~!」「実力マジスゴッ!」

陥れられた岡村さんw

岡村「大恥かいた!」

おたよりは「CGチームのみなさん」も含めた挨拶文からの書き出しw

岡村「遂にCGチームまで人気出てきましたよ。笑」

さらに岡村さんのツッコミが面白いという感想もw

おたよりは転校先で友だちが出来るか不安なのでアドバイスをというもの。

おたよりにはチコちゃんやキョエちゃん、そして岡村さんのイラストも描かれているようですね。

岡村さんは自身のイラストにちょっと不満げですが。

さらにキョエちゃんのセリフが「岡村のアホー」なっていますが、正しくはバカ~w

キョエちゃん「岡村のアホー!岡村のアホー!ボケ~!カス~!ダボォ~!」

ダボは神戸弁というチコちゃん。

※播州弁という解説もありますが、意味は総じてアホを強めた言葉。

転校生を迎える側もドキドキしているので構え過ぎなくても大丈夫という岡村さんですが、大学時代に使ったテクニックとして、筆記用具をわざと忘れるというものをやった事があるそう。

筆記用具を貸してもらうのを口実にして近くの人と喋るようにしてそこから仲良くなるという方法。

個人的にも高校時代に初めて友だちになったクラスメイトはシャーペンの芯を借りてから喋るようになったのを思い出します。

最終的には自然体でいる事が大事というまとめ。

おたよりのあて先は、

〒150-8001 NHK 「チコちゃんに叱られる」係 宛て

※お名前/ご住所/ご連絡先(電話番号やメールアドレス)をご明記ください。名前のわきに「5さい」と書いてください。

番組公式ホームページ http://nhk.jp/chikochan

ですね。

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次回放送予定の疑問は?

次回放送予定は、

19年8月30日(金) 夜7:57スタート(一部地域を除く) 

19年8月31日(土) 朝8:15スタート(再放送枠)

次回ゲストは共に初登場となる木村文乃さんとアンタッチャブルのザキヤマさんこと山崎弘也さん。

そして放送予定の疑問は水道の蛇口の謎、ひとり言の深い意味、ラグビーのトライ、恐竜に関するものが出題予定で、

恐らく

  • ラグビーのトライの意味
  • ひとり言はなぜ言うの?

が聞かれると思われますね。

そしてひだまりの縁側で・・・コーナーでは物忘れについて専門家の受け売り情報が紹介される予定。

次回が楽しみですね。

第60回放送の全記事はコチラで

NHK「チコちゃんに叱られる!」に関する全記事はこちらのリンクから

一覧:NHK「チコちゃんに叱られる!」

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