1972年の飛行機爆破事件から奇跡的に生還したセルビア人添乗員が亡くなる
ヴェスナ・ヴロヴィッチさんという女性に心当たりがある日本人はあまり多くは無いかもしれませんが、セルビア(旧ユーゴスラビア)では国民的な知名度を誇る有名人です。彼女の名前がこんなにも広まった理由は1972年に起きた飛行機爆破事件によって上空約10000メートルから落下したにもかかわらず、奇跡的に生還したからに他なりません。そんな彼女でしたが、66歳で亡くなったと報道されています。
スポンサーリンクセルビアのテレビ局の報道によると、ベルグラードにあるヴェスナ・ヴロヴィッチさんの自宅において死亡しているのを知人に発見されたそうです。死因については今のところ不明です。
ヴェスナ・ヴロヴィッチさん(当時22歳)はJATユーゴスラビア航空367便の客室乗務員として1972年1月26日のフライトに搭乗していましたが、チェコスロヴァキアの上空約10000メートルを飛行中に、飛行機内に仕掛けられた爆弾によって爆破された機と共に山間部へ落下しました。
その他に搭乗していた27名の乗員、乗客は全員死亡し、生存者の存在は絶望視されていましたが、ヴェスナ・ヴロヴィッチさんはただ一人奇跡の生還を果たし、高い場所からパラシュートなしで落下して生還を果たした世界記録保持者としてギネスワールドレコードに登録されています。
その驚異的な高さは上空10160メートルとされています。
機の前方カーゴ部分に仕掛けられた爆弾はデンマークのコペンハーゲンでストップオーバーした際に何者かによって設置されたものだと言われていますが、現在に至るまでに犯人は分かっていません。
事件のあった翌日にスウェーデンの新聞社宛に犯人と名乗る人物から犯行声明を伝える電話があり、一時はテロ攻撃であるかのように報道されましたが、1974年5月に発表された事件の最終報告書によると、テロリストによるテロ攻撃では無いと結論付けられています。
彼女が奇跡の生還を果たした理由は、落下した場所に木が生い茂っており、地面には厚く雪が降り積もっていた為、落下の衝撃を和らげるクッションの働きをし、さらには斜面を上手く滑り落ちたために上手く衝撃を受け逃がせたのではないかと事故調査委は見解を述べています。
飛行機が落下した際に彼女は座席の後部に位置しており、機体の一部であるテイルコーンに上手く守られながら落ちたのも災いしたと言われていますが、座席の中央部に居たとする情報もあるため、こちらについては不明です。
と言うのも、当時のJATユーゴスラビア航空の規定によると、搭乗する乗客の最後尾に客室乗務員が位置するように指示されており、事件当時の乗客数からすると機体の中央部付近に乗務員に位置するのが自然なのではないかと言われているためです。
テイルコーンに上手く守られたとする説によると、テイルコーンによって空気抵抗が生まれ、パラシュートのような役割を果たし、更にはその円錐状の特異な形状により衝突の際の衝撃を上手く逃がすような働きがあり、斜面を滑り落ちる際のソリのような役割を担ったのではないかとも言われています。
スポンサーリンク奇跡の生還の謎を解く鍵になるはずのヴェスナ・ヴロヴィッチさんの証言についてですが、彼女は事故についての記憶を一切失っており、デンマークの空港で出発前に乗客に挨拶をしている所から先は何も思い出せず、気づいたら病院のベッドで母親に付き添われている場面になっていたと2008年に行われたAP通信のインタビューで語っており、彼女がどのようにして奇跡の生還を果たしたのかは謎のままです。
ヴェスナ・ヴロヴィッチさんは事故直後、大破した飛行機の残骸の傍らで、森の中で助けを呼び続け、それを聞きつけた男性、ブルーノ・ヘンクさんに救出され、すぐさま病院に搬送されました。
そこから10日間のこん睡状態に陥るのですが、彼女の負った外傷は、頭蓋骨、椎骨、骨盤、肋骨、脚の骨折など全身に及んでいたと報告されています。
また、事故の第一発見者となったブルーノ・ヘンクさんは第二次世界大戦でドイツ国防軍の医師として従軍していた経験があり、ヴェスナ・ヴロヴィッチさんの危機的な状況に対して適切な応急処置を行うことができた事も彼女の生還の要因であると言われています。
コチラが事故を起こした機体の写真。
一時は腰から下に麻痺が残っていましたが、後に全快し、航空会社のデスクワークの仕事に復職も果たしたヴェスナ・ヴロヴィッチさん。その後、1990年にミロシェヴィッチ大統領に対する批判により解雇されたなんていうエピソードも残されているそうです。
ちなみに、この事故を検証するために、有名テレビ番組である「怪しい伝説」(原題:Mythbusters)で事故当時をシミュレーションする実験を行っています。
コチラがそのYouTube動画。
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