レジェンド伊達公子の復帰に至る戦いの記録。現役を続ける理由。TBS「バース・デイ」から
12年のブランクを経て37歳にして現役復帰、そこから9年に渡って戦い続ける伊達公子。ツアー最年長で戦い続けるその真実の姿についてTBS系列「バース・デイ」で放送された内容をご紹介します。
伊達公子が現役にこだわり続ける理由の裏には一体何があるのでしょうか?
スポンサーリンクレジェンド伊達公子
試合が長時間に及ぶこともあるテニス選手は肉体への負担が大きく、その引退平均年齢は30歳。
それをはるかに越えた46歳という年齢で戦い続ける伊達公子は、これまで17年に及ぶプロ生活で手術の経験は無し。
そんな伊達公子だったが2016年に二度体にメスを入れる決断をしました。
テニス界のレジェンドに襲い掛かった試練とは一体どのようなものだったのでしょうか?
J2リーグで今も現役を続ける横浜FC所属の三浦知良は50歳。
世界の一線で神風と呼ばれて跳び続けるジャンパー葛西紀明は44歳。
年齢に抗い戦い続けるレジェンドたち。
彼女が樹立したツアー最年長記録にはこんなものがある。
40歳でトップ10選手に勝利、42歳で全豪オープン3回戦進出、42歳でウィンブルドン3回戦進出。
しかし、2016年、テニス人生最大の危機に襲われた。
それは2016年1月45歳で出場した全豪オープンの予選での出来事。
このプレーが引き金になり日常生活すらままならない大怪我を負った。
スポンサーリンク96年 突然の引退
1995年4月東レパンパシフィックオープンで伊達公子は世界に名を轟かす。
彼女の代名詞ともなったライジングショットを武器に25歳で日本人最高位となる世界ランキング4位に上り詰める。
翌年1996年4月には当時の絶対的女王にしてテニス史に燦然と輝くシュティフィ・グラフとフェドカップの舞台で対戦。
3時間以上の激闘の末、日本人として初めて世界ランキング1位から勝利をもぎ取った。
世界の頂点も狙えると言われた絶頂を迎えるかに見えたが、その年の9月に突然現役引退を発表。
伊達公子「去年 今年と世界のトッププレイヤーたちと互角に自分なりには満足のいくテニスがずっとやってこられたと思います。」
そう言って、自分が一番輝いている時に引退するという美学を体現。
2008年の転機
そんな伊達に転機が訪れたのは2008年3月37歳の時だった。
激闘を繰り広げたあのシュティフィ・グラフ(当時38歳)とエキシビションマッチで対戦する機会が。
その試合を6-2、6-3のストレートで勝利した伊達はある思いを胸にした。
「やっぱり私はテニスが好きだったんだ」と気づくのに11年もかかってしまいました。
THE21 2012年12月号(PHP研究所)
「結果を出さなきゃいけない、強くなきゃいけない。孤独ながらに10代20代は突っ走ってきてた部分があったんですけど、離れたことによってテニスというスポーツのすばらしさ、美しさっていうものを自分が本当に感じられた。」
エキシビションマッチから1ヶ月後、2008年4月。37歳で現役復帰を決断。
2007年の9月から試合に向けて準備を開始して、その結果、試合を一つこなせたことと、37歳という年齢を迎えても衰えはそれほど感じられなかった。と語る伊達公子。
それでも残された時間を最大限テニスに充てられるように日々トレーニングに励む。
常に全力で常に何かを進化ができるようにという追求心だけは忘れずに。
できることをやり続けてみなさんの記憶に残る、自分の記憶にも残る時間は過ごしていたい。
スポンサーリンク現役復帰後の活躍
39歳になった伊達は圧巻のプレーを披露。マリア・シャラポワを相手にフルセットの激闘を制する。
「これからできる限りチャレンジは続けていきたいと思いますので」
そしてウィンブルドン史上初の最年長42歳で3回戦進出を果たし、センターコートに立った。
高校時代から伊達公子のライバルとして戦ってきた2最年下の沢松奈生子は、テニスへの情熱が伊達公子のプレーを支えていると語る。
テニス人生初の大怪我
しかし、その時はやってきた。テニス人生初の大怪我。
左膝半月板と関節軟骨の損傷。
膝を曲げ伸ばしする際に衝撃を吸収する半月板が断裂。さらに関節軟骨も磨耗が激しかった。
2016年1月19日。緊急帰国して診断を受け、医師から病状について詳しい説明が。
現役続行のためには手術は絶対必要だが、しかし完治する保証は無いという衝撃的な宣告。
17年のプロ生活で手術の経験は無し。若いときから手術は避けたいという思いがあり、大きな抵抗があったという。
この時45歳という年齢を考えると、引退という決断もあり得る状況だったが、手術をしないために辞めるという選択は全く無かったのだそう。
2016年2月。伊達公子は一つの決断を。怪我をした左膝にメスを入れる事を。
断裂した半月板を縫い合わせて、磨耗して削れた軟骨部分を除去。
しかし、当初の見立て以上に軟骨の磨耗が激しかったため、半月板の縫合手術は見送りに。
そして2ヵ月後。伊達公子は再び手術を受けることに。
リハビリとトレーニングの日々
左膝に負荷をかけられないため術後1ヶ月に渡って車椅子で過ごす日々。
松葉杖をつきながらフォアストロークを行う伊達公子。こんな状態でもかなりのスピードボールだ。
半年以上動かしていなかった左膝のリハビリは過酷なもの。
それでも半年以上リハビリとトレーニングを積み重ねた。
左膝の回復具合は7割ほど。
感覚を戻すためにひたすら追い込んでトレーニングを行う。この日は2時間以上に及んだ。
やっぱりテニスコートがいい。自分のいるべき場所と語る伊達公子は晴れやかな表情だ。
復帰戦に挑む
そして2017年5月3日、怪我から1年4ヶ月ぶりに試合復帰。
小さな規模の大会ながら伊達の復帰を一目見ようと2800人のファンが会場を埋め尽くす。
対戦相手は倍の年齢が離れた23歳年下の朱淋選手。世界ランキングは136位。
伊達公子46歳の新たなる戦いがここからスタート。
それでも試合後の記者会見では、
「今日スタートラインに立てたということが、何より大きな一歩になったと思う。これからまたマイペースで。」
「長くテニスが、どこまでできるかわからないですけど帰ってこられるようにしたいなと思います。」
彼女のテニスへの愛はまだ衰えない。