カーリングの町・北見市常呂。カーリング文化が根付いた理由。LS北見の原点とは?
平昌オリンピックで史上初のメダルを獲得したカーリング女子日本代表。北海道北見市常呂町のカーリングチームであるLS北見(ロコ・ソラーレ北見)のメンバーがそのまま代表メンバーになっているわけですが、オリンピック出場経験を持つ常呂町出身者は非常に多いため、常呂町はカーリングの町として非常に有名です。
では何故、この町にカーリング文化が根付いたのでしょうか?また、LS北見の原点になったチームロビンズの土台となったものとは一体何だったのでしょうか?
3月3日のテレビ東京「追跡 LIVE! SPORTS ウォッチャー」で放送された内容からご紹介します。
スポンサーリンクロコ・ソラーレは太陽の常呂っ子
平昌オリンピックで一躍話題となった女子カーリングチームのLS北見(ロコ・ソラーレ北見)。そのチーム名ロコ・ソラーレの由来は、
「ローカル」と「常呂っ子」の二つから「ロコ」 + イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」
合わせて「太陽の常呂っ子」という意味です。
そんな常呂町は2006年3月5日に北見市に吸収合併されたため「町」ではなくなっているのが現状です。今でも自治区という形でその名残は残っており、平成28年(2016)度末の統計では常呂自治区の人口3894人となっています。※記事の中では便宜上、常呂町という名称を使用しています。
そんな常呂には国際大会も開ける規模のカーリング場・北見市常呂町カーリングホール(アドヴィックス常呂カーリングホール)が堂々と建っています。
カーリングの父
吉田姉妹(吉田知那美選手、吉田夕梨花選手)と鈴木夕湖選手の3人は常呂小学校の卒業生で、中学時代からチームメイト。そこに同じ北見市内の別の小学校を卒業した藤澤五月が合流しLS北見の原型となるチームが結成されました。
番組の取材がスタートしたのは2017年11月。この時は史上初のメダル獲得に大騒ぎになるとは誰も思っていませんでした。
スポンサーリンク常呂町のカーリング人口は町民の5人の1人と言われています。人口4000人からするとおよそ800人。大ベテランのカーラーも沢山いらっしゃって、中学生も混ざって一緒にプレーしている姿は日常の光景です。
常呂町にカーリング文化が生まれたカギを握るのは小栗祐治(おぐりゆうじ)さんという方の存在。写真は昭和56年(1981年)のもの。
北海道とカナダ・アルバータ州の姉妹交流イベントとして1980年に池田町で開かれたカーリング講習会に参加した小栗祐治さんはカーリングを初体験。農家や漁師の仕事が無い冬場に皆で楽しめるのではないかと常呂にカーリングを持ち込み、広めようと決心したそうです。
当時はまだカーリングの道具がなく、2Lのビール樽を改良してストーンを手作りしたり、シューズももちろん手作りでスリッパのようなものを長靴の下に履いたりしていたようです。何故か5本指がついています。こう説明するのは小栗祐治さんと親交の厚かった藤吉忍さん
当時は屋外を利用しており、氷の手入れには苦労したそうです。雪を踏み固めてから薄く水を張り、完全に凍るのを待ってからまた水を撒くということをシーズン中は日々続けて環境を整備したそうです。
小栗祐治さんの旗振りの元それらの努力が続けられたと藤吉忍さんは語ります。
そして1988年のはまなす国体開催をきっかけに日本初の屋内専用施設が常呂町にオープンします。※テロップは誤字のため「はまなす国体」が正しい表記です。
カーリングの父、小栗祐治さんの尽力で常呂町にカーリング文化が根付いていったんですね。
スポンサーリンクカーリングの授業
ちなみにアドヴィックス常呂カーリングホールの利用料は1シート1時間1400円(中学生280円)。
ストーンは無料で使用でき、シューズとブラシは120円でレンタル可となっています。
ストーンを購入するとなると1個10万円で16個セットで160万円と高額。選手達が使っているものになるとシューズは5万円、ブラシは2万円というお値段。
常呂町では1993年頃から体育の授業でカーリングが実施されています。この日は常呂小学校の3年生たちがカーリングを学んでいました。
この日カーリングを教えていたのは長野オリンピックへの出場経験を持つオリンピアン白畑容子さん。もちろん常呂町出身。LS北見のメンバーもかつての教え子です。
オリンピアンたち
2017年1月。常呂町はカーリングシーズンの真っただ中。平日4日夜7時からの3時間、町民同士のリーグ戦が開催されていました。
ロコ・ソラーレの札も上部にかかっていますが、2015年まで参加していた大会です。2010年に結成されたLS北見は当初このような町のリーグ戦で勝ち抜いていくことを目標としていました。
ちなみに藤澤五月選手のお父さん、充昌さんは第13回カーリングジャパンオープンの優勝メンバーでチームの大黒柱でした。1998年長野オリンピック出場を目指していましたがその目標は叶わず。
常呂カーリングホールが生んだオリンピアンたちは平昌オリンピックに出場したLS北見を含めて14名に上ります。
スポンサーリンク池知美智子さんは82歳の現役カーラー。教え子はオリンピック3回出場の小笠原歩選手。中学生時代に指導していたそうです。
町のリーグ戦でチームMAXはLS北見のライバルチームでした。
チームMAXの近江谷好幸さんは1998年長野オリンピック出場のオリンピアンです。
常呂町ではかつてのオリンピアンたちが現役選手として活躍していたり、その教え子だったり、関係者だったりそんな光景が当たり前なんですね。
小栗祐治さんの教え子たち
そんな常呂のカーラーたちの生みの親とも言うべき小栗祐治さんは2017年5月、88歳で他界。晩年でもカーリングへの情熱は健在だったんですね。
小栗祐治さんが眠る常楽寺の住職は日本カーリング協会の副会長 松平斉之さん。
メッセージには「ロコソラーレのみなさん、いってらっしゃい。がんばってね。」LS北見の応援をしにオリンピックへ行きたいという願いは叶いませんでした。
吉田姉妹(吉田知那美選手、吉田夕梨花選手)と鈴木夕湖選手の3人が所属していたのはロビンズというチーム。小栗祐治さんが子どもたちを集めて作ったチームの選手たちでした。
小学校の運動会や体育の授業に行って有望な子を見つけると、その子の両親にスカウト活動を行うほど熱心に活動されていたようです。本橋麻里選手も小栗祐治さんがスカウトした一人。
藤澤五月選手のお父さん、充昌さんも小栗さんの指導を受けていたそうです。
鈴木夕湖選手の母親、倫子(みちこ)さんは小栗さんの願いを叶えるためにLS北見のチームは一つになったのではないかとその気持ちを代弁しています。
スポンサーリンク常呂中学校にはそんな小栗祐治さんの最後の教え子たちが在籍しています。
ネット上でロビンズは「ROBINS」と表記されることが多いのですが、ジャージにはROBINSではなく「ROVINS」と表記されていますね。
既に紹介したリーグ戦のチーム表にも「ROVINS」の札がかかっていましたのでROBINSの表記は誤りである可能性が高いですね。
3位決定戦
運命の3位決定戦。勝てば銅メダル獲得となる一戦を前に常呂町では常呂カーリングホールでパブリックビューイングが行われていました。
平昌オリンピックの客席に掲げられていた北海道カーリング協会の応援旗がこの日飾られていました。
そして勝負の最終エンド。藤澤五月選手が投じたストーンに歓声が上がる会場。
しかし、ストーンが止まった地点を確認すると、会場は負けが決定してしまったかのような静まり方。流石にカーリングの町、常呂町ですね。皆さんカーリングの見方を熟知してらっしゃいます。
イギリスチームの最後の一投ではもうダメかというあきらめにも似た表情で見守る会場の皆さんの姿も。
しかし、結果は皆さんご存知の通り。驚いた表情で沸き上がる会場。
倫子さんはその場の人々に挨拶してまわりました。小栗おじさんとの約束を守ったと喜んでいるご様子。
3日後、故郷のカーリング場に帰ってきたLS北見のメンバーは大勢の町民に迎えられて万感の思い。
小栗祐治さんの情熱が脈々と受け継がれ、史上初のメダル獲得に繋がったというわけです。スポーツ文化が地域に根付くとはまさにこの事を言うんでしょうね。