NHK スポーツ酒場“語り亭” プロ野球の元国際スカウトが語る日本で活躍する助っ人外国人選手の条件とは?
プロ野球の長いペナントレースを戦い抜くために各球団が欠かせない戦力として頼りにしているのが助っ人外国人選手たちの活躍。ではそんな助っ人外国人選手たちが日本球界で成功するための秘訣とは一体何なのでしょうか?NHK BS1で2018年4月14日に放送されたスポーツ酒場“語り亭”より、その謎に迫ります。
元国際スカウトの中島国章さんや元プロ野球選手の真中満さん、小宮山悟さんのお話を中心に放送内容についてまとめてみましたのでご紹介します。
ちなみにサブタイトルは「プロ野球開幕SP 優勝のカギを握る 助っ人外国人」となっています。
スポンサーリンク目次
出演者
【ママ役】ミッツ・マングローブ
【ちいママ】西島まどか
【ゲスト】真中満、小宮山悟、ダンカン、レッド吉田、中島国章
【ナレーション】バッキー木場
サファテに関するエピソード
福岡ソフトバンクホークスの守護神であるサファテにアメリカでプレーしていた時から目を付けていたという元国際スカウトの中島国章さん。
ヤクルトと巨人でその手腕を発揮してきた名スカウトです。
巨人時代にサファテを獲得するチャンスがあったものの、当時はクルーンが在籍していたため、獲得を見送ったという逸話があるようですね。
ただ、巨人の資金力であればクルーンとサファテのダブルストッパー体制で全く問題は無いと球団首脳陣は考えていたそうで、「なんでサファテを獲らなかったんだ?」と聞かれたというエピソードを語っています。
ヤクルトから巨人に移ったためにヤクルト時代の貧乏性がまだ残っていたため、両方獲得するという考えに行きつかなかったと、その当時を回想する中島さん。
隣に座る元ヤクルト監督、真中満さんから「色々立場もあるんですから。貧乏性って言っちゃダメです。」とダメ出し。
中島国章が手掛けた選手達
中島さんは数々の外国人助っ人を獲得してきた敏腕スカウトで、1987年にメジャーの4番を獲れという指令を受けて連れてきたのが、当時現役バリバリのメジャーリーガーだった、ボブ・ホーナー。
その後も1995年にノーヒットノーランを達成したブロス。
2001年のセ・リーグMVP、ペタジーニ。
2008年、09年のセ・リーグMVPで横浜ベイスターズの現監督を務めるラミレスなど。
ちなみにボブ・ホーナーを獲得した際のエピソードとして、
アトランタブレーブスで前年に200万ドルの年俸を得ていたために、ヤクルトは当時同じ金額で打診をしたそう。当時の日本円にして3億円という金額でした。
こぼれ話としては、シーズン5月ぐらいまで野村克也監督から散々文句を言われたのがホージーに関して。
当時中日でプレーしていた落合博満選手に「見てみろこのバッター。こんなの、うちが獲ってきてんだぞ」と愚痴をこぼしていたそうです。
それでも終わってみればホージーはホームラン王を獲得したので中島さんもほっと一安心だったようですね。
スポンサーリンクヤクルトは外国人選手の獲得が上手い?
ヤクルトは外国人選手の獲得が上手いのはなぜか?という疑問に関しては、
資金面で決して潤沢ではないヤクルトからすれば獲得した外国人選手をとにかく使うしかない事情があり、悪くても5月ぐらいまでは我慢して使い続けるというチーム事情があるとのこと。
資金力のある球団であればさっさと見切りをつけてすぐに次の選手と考えますが、ヤクルトの場合はなかなかそういうわけにはいかないというのが真中満さんの見解。
「それはGアンツのこと」と濁しているのかどうか分からない発言もありましたね。
歴代最強助っ人外国人選手たち
小宮山悟が挙げたのはブライアント。
小宮山さんは対戦した経験がある中でダントツの最強という評価みたいです。
センターフライと思った打球が場外ホームランだったというエピソードも語っています。
とにかく苦手なバッターでバットに当たったらホームランという感覚だったそうです。
最強助っ人の候補に必ず入ってくるブーマーについては、小宮山さんはシュートを投げておけば攻略出来たのでそれほど怖いという印象は無いとのこと。
スポンサーリンクラミレスが活躍した理由とは?
中島さんが連れて来た選手の中で印象深いのがラミレス。
ボールを手元まで呼び込んで左右に打ち分ける高いバッティング技術と愛嬌があることがポイントだとの事です。
打撃練習でインパクトのポイントが後ろにあることで、変化球が多い日本の配球スタイルに合うんじゃないかと感じた。と語っていますね。
実は来日が決定する3年前からずっと獲得を打診し続けていたそうで、辛抱強く交渉を続けた結果、獲得に至ったとのこと。
日本でプレーしている間にも中島さんはラミレスの相談によく乗っていたそうでエピソードとしては、
入団1年目に守備面のマイナスが多く、3打席回った後に守備固めでどうしても交代させられることに不満を持っていたラミレス。
オールスター期間中に4打席立てるように監督(当時は若松監督)に掛け合ってもらえないか?という相談を中島さんは受けたそうです。
その際に、守備をもっと頑張れるなら監督に話にいってやると発破をかけたそう。
練習中からもしっかりと監督にアピールして納得してもらえる材料を自分で作るようにというアドバイスを送ったとのことでしたね。
このように国際スカウトは良き相談相手として助っ人外国人選手の入団後のアフターケアもきっちり行うことが国際スカウトの大事な仕事と考えているそうです。
外国人選手と日本人選手
外国人選手と一緒にプレーするチームメイトからすると、あまりに良い外国人選手が入団すると自分の出番が無くなってしまうという不安から、ちょっと複雑な心理になると言うのは真中さん。
それに関連して、中島さんはアメリカにスカウティングに向かう前には日本人選手から「今度ポジションどこですか?」という質問をよく受けていたそうです。
死活問題なので非常に気になる所だったと真中さん。
スポンサーリンク小宮山悟の印象に残る外国人選手
小宮山さんのお話では「肩に違和感」という言葉を流行らせたのが巨人時代のエリック・ヒルマンとのこと。
「左肩に小錦が乗っているようだ」という名言(迷言?)を残した「ミスター違和感」ですね。
「左の肩に違和感が」という理由で登板拒否を何度も繰り返したことがあり。そこから違和感ブームが到来したと言うのが小宮山さん。
これに影響された日本人選手も1997年頃から盛んに「違和感」という言葉を多用するようになったというのが小宮山さんの自説。
また、小宮山さんがコイツだけは許せない選手というのがロッテのメル・ホール。
レッド吉田さんから「例えば誰ですか?」と聞かれたのに対して、間髪入れずに答えていますね。
ロッテ時代の同僚メル・ホールについては、
パ・リーグということでDH(指名打者)制で出場していたメル・ホール。守れないのでDHでの出場となっていたわけですが、
小宮山「8人打ち終わった後に自分の番が回ってくる。8人分やることがないから、クラブハウスでテレビゲームをやってやがったんですよ。」
「そろそろ俺の出番だろう、ぐらいな感じで意気揚々と手袋しながらネクストに行くんだけど、ふざけんなよって話ですよ。」と当時を思いながらお怒りの様子。
それでいて「そんな奴がロッテのチームの中で一番成績を残したんですよ。打率もホームランも。それがね。はらわた煮えくり返る思いでしたよ。」
助っ人外国人選手の成功の条件
最後に中島さんから日本で助っ人外国人選手が成功するための条件について、
- ハングリー
- 性格が良い
- プレッシャーに強く、積極的
球団としても性格が良いというのはかなり重要視しているとのこと。
小宮山さんはハングリーさが最も重要という意見。
特にラテン系の選手は日本で一旗揚げてやるという思いが強いそう。
中島さんによると、1年間を通して野球に専念してくれるような強い精神力が求められて、バリバリに活躍してこそ価値のある選手が助っ人という立場で、成績を残したり低迷したりとのらりくらりでは絶対ダメだとのこと。
ちなみに助っ人というニュアンスについては「ヘルパー」という単語で伝えてあるそうです。
最後に小宮山さんがおっしゃっていたのは、日本人選手と違って成績が出ないとすぐにクビを切られるという厳しい立場で戦っているのが助っ人外国人選手ということでした。
というわけで、毎年のようにやってくる助っ人外国人選手たちのそんな一面にも注目しながら日本球界を盛り上げてくれるよう願わずにはいられませんね。