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第40回「石橋貴明のたいむとんねる」タカさんが選ぶ平成スポーツ名場面。盛り上がり過ぎて次週に続く


19年2月18日に放送された第40回「石橋貴明のたいむとんねる」は「石橋貴明が独断と偏見で選んだ平成のスポーツ名場面ベスト10」というテーマでゲストに伊集院光さんを迎えてお送りする40分。とは言ってももうすぐベスト10位として第15位からじっくり始めちゃったもんだから、あえなく放送時間が足らなくなる事態に。逆に撮れ高が豊富過ぎたという面もありつつも放送は次週に続くことに。

というわけで19年2月18日放送の第40回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をご紹介します。

意外にもスキージャンプ競技を熱く語るタカさんの力説振りにご注目。

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出演者

【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ

【ゲスト】伊集院光

【ウェイトレス】なし

【ナレーション】山中まどか

石橋&伊集院の関係性?

芸能界イチのスポーツウォッチャーを自称する石橋貴明が記憶に残った平成スポーツ名場面を独自ランキング。

という事で今日のテーマは「石橋貴明が独断と偏見で選んだ平成のスポーツ名場面ベスト10」

「夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル」を長年やっているタカさんらしい企画。

共に平成スポーツ史を語るゲストはタカさんとほぼ初共演という伊集院光さん。

まず冒頭のトークでは、

伊集院「俺個人的に観てて、神回は江夏さんの回。あの回ヤバかったでしょ?無編集で観たいんですよ。どっかで江夏さんのスイッチ入ったじゃないですか。俺は石橋貴明と喋るぞってなったじゃないですか。その前に絶対異様な空気があったハズなんですよ。」

ミッツ「どうでしたっけ?あの時の江夏さんって。」

石橋「入りがほとんど江夏さん、アガってたんです。」

まさかのスロースターターw

18年5月28日放送の第7回の様子はコチラ。

そして話題はタカさんと伊集院さんの共演について。

伊集院「こっち(タカさん)見て言えないんですけど、オールナイトニッポン全盛期に一部。俺ペーペーで何だか分かんないけど二部に入って来た頃、盗み見する感じです。」

石橋「二部やってましたっけ?」

伊集院「俺二部やったんです。ほら、それぐらいの扱いでしょ?二部って。笑。一軍のスターは二軍のグラウンド見ねぇから。」

伊集院さんは水曜日の二部担当でしたが、一部の収録の様子も毎日しっかり観ていたとの事。

石橋「火曜日じゃないんだ。水曜日だったんですか。」

伊集院「一部とんねるずが終わると、石橋さんが必ず『寝ろっ!!』って言うのね。終わったから。二部当時バンドブームで出てきた女の子のGO-BANG’Sの森若香織っていう女の子なの。その子が毎日心を痛めて『石橋さんが寝ろ!って言った・・・。』って。」

お二人に関するエピソードはこの位でいよいよ平成スポーツ名場面ランキングへ。

石橋「俺が『スゴかった!』『コイツはスゲェぜ!』っていうっていうベスト10を。」

伊集院さん的にはタカさんの独断と偏見というのがポイントで、テレビの前で観ていたイチ視聴者的目線とは違ってタカさんの場合は現地で観ているというケースも多くあるハズで、その目線の違いに注目したいとの事。

伊集院「知ってるシーンでも生の感じをすごい知ってる。場所だったりとか。俺はテレビで観てたりとかそういう事も方が多いから。」

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伊集院さんが一番好きなスポーツは何といっても野球。

ランキングにノミネートされたスポーツジャンルの偏りについてはやはりしょうがないとタカさん。

石橋「何でコレが入ってねぇんだよ!とか言われるのが嫌だから『独断と偏見』。」

さて、いよいよベスト10の発表と行きたい所ですが、その前に惜しくも圏外だった「もうすぐベスト10」と題して15位から発表。

CMの合間の提供バックでは谷亮子、北島康介、高橋尚子などの映像。

もうすぐベスト10

第15位「平成のスターホース オグリキャップ “まさに有終の美 劇的な有馬記念ラストラン”」

地方競馬出身ながらいくつもの大レースを制して競馬ブームを牽引したオグリキャップ。

当時を回想して競馬の見方が変わったと伊集院さん。

競馬場などで売られていたオグリキャップのぬいぐるみは1年間で160万個も売れて売り上げは60億円を記録。

しかし1990年のレースでは天皇賞(秋)で6着、ジャパンカップ11着と低迷。

オグリの時代は終わったと囁かれる中、引退も決まったラストランに選ばれたのは有馬記念。

鞍上は若き天才ジョッキー武豊。しかし人気では四番手と完全に予想圏外。

伊集院さんは熱狂的なオグリファンの人はスタートでゲートが開いた瞬間から涙が止まらない程だとコメント。

オグリキャップのラストランとなった1990年の有馬記念の動画はコチラ。

大方の予想を裏切ってオグリキャップが有終の美。

ウィニングランにオグリコールを送って祝福する大観衆は当時17万人超。

石橋「コレ、中山競馬場に行ってますからね。これ憲武と二人でみなさんのおかげですの収録を止めて、金持ってこのレース買ってますからね。」

伊集院「すっげー知りたい。今だから言える。何を買ってるのか?笑」

タカさんがオグリキャップのラストランで購入した馬券は、

石橋「この頃、馬連とか馬単無いんですよ。枠しかない。メジロアルダンとメジロライアンがいたんですよ。ライアン・アルダンのメジロメジロで決まりだろうって思っていたら、当日行ったらメジロアルダンが17kgだか20何kgだか体重増だった。買えねぇじゃん!つって。そしたら憲武が『オグリキャップいいよ。』って。『え・・・オグリ?』つって。で、ホワイトストーン・メジロライアン・オグリキャップの三角買いしちゃうんです。結局。」

「でも当時ね、馬券ってね1枚10万円までしか買えないんすよ。」

伊集院「ちょっと違うけどね。俺らの感覚とはね。笑」

流石、ノッている頃のとんねるずの金銭感覚w

石橋「おばちゃんに言って、3・4、10万とかってダーッって買うにはすごい時間かかるんですよ。で俺たちはオグリキャップだって直前に変えたオグリキャップがまさかまさかの1着で来ちゃった。で一会場にこんなに人が入ってんのは多分、俺たちの経験上スポーツでこの時だけですね。その客が全員オグリコールなんですよ。」

その一方で伊集院さんは当時はあまり競馬に詳しくない立場ながらも、

伊集院「競馬の見方が変わったっていう僕の中では、そのシーンで。ギャンブルだからお金が欲しくてみんな競馬の馬券っていうのは買うんでしょ?って思ってた。来てる人も、すごい大ファンの人も儲けたいって事でしょ?って思ってるんだけど、泣くんだ!って事にちょっと鳥肌立ったんですよね。下手すればスポーツなんだ!っていう認識がそこまで無かったかもしれない。」

石橋「そこ!いわゆるギャンブルからちょっとね。」

ギャンブルからドラマを観る感覚になったとの事。

石橋「ハイセイコーもあったんですけど、みんなのね感情が入っちゃったっていうね。」

伊集院「1位ごとにこれだけ喋れちゃうって、まだまだ尾ひれなんかいくらでもつく。1ランクごとに1時間かかるよ!笑」

第14位「バスケットボールの神様 マイケル・ジョーダン “全世界が驚愕 残り5.2秒での逆転ラストショット”」

チャンピオンを決める1998年NBAファイナル  シカゴ・ブルズ vs ユタ・ジャズ。その第6戦で残り5.2秒で決めたマイケル・ジョーダンのブザービーターで劇的な逆転勝利。これでシカゴ・ブルズは史上初、2度目のNBAチャンピオン3連覇を達成。

動画はラスト1分を切った所、ジョーダンのフリースローで同点の場面から。

直後にジョン・ストックトンに3ポイントを決められて絶体絶命。その後に2ポイントを返すも1点差のままでユタ・ジャズボール。

ユタ・ジャズはおろかNBAを代表する選手だったカール・マローンにダブルチームでついて痛恨のターンオーバー。スティールしたマイケル・ジョーダンがそのままボールをキープしていよいよ最終局面に。

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強烈なドライブからの切り替えしでディフェンスについたブライオン・ラッセルをスリップさせて完全にフリーになったジョーダンが余裕の2ポイント。

この時にジョーダンが左手で押したためにバランスを崩したのでは?と物議を醸したりしていますが、ノーファウルの判定。

残り5.2秒の時点でタイムアウトをとったユタ・ジャズは最後のプレーをジョン・ストックトンに任せますが、3ポイントを狙ったシュートは無情にもリングから弾かれ、ホームのユタ・ジャズファンは涙を呑みました。

伊集院「ジョーダンは?バラエティでは絡んでないんすよね?」

石橋「絡んでないです。ただ、出演交渉はしました。でゴルフならハワイ島に来てやってもいいよまではOK貰いました。ゴルフすっごい上手いんですよ。ハンデ0ですから。」

さらにマイケル・ジョーダンのラストイヤーとなった2002-2003シーズンにジョーダンの出場試合を1試合だけ観に行ったとタカさん。

その試合もジョーダンのラストショットで幕を閉じるというゲームだったそう。タカさんが陣取ったのはコートがすぐ前という席。

石橋「ここにイチローがいましたね。」

イチローはマイケル・ジョーダンと親交があったため、ベンチのすぐ後ろという席についていたそう。

石橋「俺はスゲェ高い金払ってこの辺でした。」

まあベンチには遠かったようですが、十分に良い席w

石橋「初めてエアジョーダンを目の前で観て、体が本当にサラブレッドみたいでした。筋肉の付き方が。すっごい綺麗な体してる。」

伊集院さんは目の前で観たことがあるというタカさんに対して、

伊集院「俺らのレベルは靴が超高いっていう。笑」

続けて当時エアジョーダンモデルのスニーカーのセカンドモデル(ナイキ エア ジョーダン 2)が発売された頃の話。

伊集院さんは靴のサイズが31cmだそうで、そのサイズは日本ではなかなか売れないので売れ残っており、当時の定価である1万6000円に近い額で伊集院さんは購入。特にスニーカーにそこまで興味は無かったものの、店員さんのおすすめという事で買い、その場で履き替えて帰宅。

すると、渋谷の道玄坂上にある靴屋さんで購入して渋谷駅に着くまでに3人の人に呼び留められて「売ってくれ。」と言われたというエピソード。

そして話題はマイケル・ジョーダンがプロ野球に挑戦した際の話に及び、

石橋「最初、3ピート(3連覇の事)やって、お父さんの為に次野球やるっつって。当時1Aとか2Aってバス移動でボロボロのバスで移動するのをエアジョーダンは耐えられなくてすげぇバス1台寄付しちゃったんです。」※約4000万円のバスをポケットマネーで球団に寄付。

このエピソードを伊集院さんも覚えていたようで、

伊集院「ボロボロバスに耐えられるわけがないってみんな言ってるんですよ。大スタープレイヤーだから。何の事無いんだよね。買ってみんなで乗ればいいじゃん!つって。笑」

第13位「長野五輪スキージャンプ ラージヒル団体 “奇跡の大飛行を生んだ4人の絆”」

伊集院「え!?ここですか?」

どのスポーツに入れ込むかは小さい時の記憶や実際にプレーした経験も大きく影響すると伊集院さんとタカさん。

自国開催となった長野オリンピック。金メダルの期待が高まる中で1本目、岡部・斎藤の飛行で日本がトップ。

3番手の原田は猛吹雪の影響もあり、芳しくないジャンプで4位に。

逆転を狙う2本目では1番手の岡部が大ジャンプを見せて再びトップへ。

コチラの動画が岡部の2本目。

そして命運を握るのは原田。

137mの大ジャンプでトップを堅守。

コチラが何度もテレビで流れてきた原田のジャンプの動画。

そして堅実な飛行で安定したパフォーマンスを見せていたエースの舟木が盤石のジャンプで金メダル獲得。

伊集院「これでも舟木もすごいよな。」

雪の影響で試合打ちきりか?という所をテストジャンパー全員の努力で競技続行に持って行った話など伝説も多いこの金メダル獲得。

この4年前のリレハンメル五輪では金メダルほぼ確実と言われた中、原田の失敗ジャンプによって銀メダルに終わるという悲劇にも見舞われていたので2大会にまたがる長い物語。

13位というランキングですが、タカさんはラージヒル団体ではなく、個人のラージヒルは現地で観戦したとの事。

K点付近が見えるという好位置で観ていたタカさんは舟木と原田のジャンプの質の違いについて力説。

原田は高く飛び出して、高い位置から落ちて来るイメージで自らの視線の動きでそれを表現するタカさんw

石橋「2本目が飛びすぎちゃって、計測不能になっちゃったんです。」

その一方で舟木はライナーのような低い飛行が特徴だそうで、そのままずっと空中にい続けるイメージ。

低い体勢のままで舟木を見送るタカさんの動きw

伊集院「石橋さん!お言葉ですけど、トーク力!」

石橋「(笑)」

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さらにタカさんは小林陵侑のスキージャンプ週間での4戦4勝の4連続優勝はすごい!と大絶賛。

石橋「あの舟木くんも4戦目8位かなんかなんですよ。笠谷幸生は当時3連勝して、あと一個でパーフェクトだった時に札幌オリンピックの選手選考の為に帰ったんですよ!」

そして「笠谷はこう絞り込むんすよ・・・」と笠谷のフォームをマネするタカさんw

1972年の札幌オリンピックで日の丸飛行隊で有名になった時タカさんは10歳前後ですから、小学生時代の記憶がしっかり刻まれている様子w

伊集院さんは当時5歳前後なので「スキーの回で。次の回でお願いします。笑」とコメントw

第12位「エア・ケイ 錦織圭 “初のグランドスラム準優勝”」

2014年の全米オープンで世界ランキング1位のジョコビッチに勝利して決勝戦へ。決勝ではマリン・チリッチに敗れて準優勝に終わったものの、日本人男子選手はおろかアジア人選手としては史上初の四大大会の決勝進出の快挙。

コチラの動画が準決勝対ノバク・ジョコビッチ戦。

決勝はチリッチの素晴らしいパフォーマンスに歯が立たず、ストレートで敗れたものの、この大会を世界ランキング11位で入った錦織圭は4回戦で当時世界ランキング6位のミロシュ・ラオニッチ相手にフルセットの激闘を制し、準々決勝では当時世界ランキング4位のスタン・ワウリンカにこれまたフルセット勝利と立て続けにトップ10選手を破っての勝ち上がりでした。

ちなみにこの大会の前に錦織圭は右足親指の嚢胞の手術を行っており、全米オープンの直前に開かれる大きな大会であるロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場。怪我明けという事もあって全米オープンの出場自体も直前までどうするか迷っていた所でのこの大進撃だったんですよね。

まあぶっちゃけると、お互いに世界のトップとは言えない錦織圭 vs マリン・チリッチの決勝戦はその一方的な試合展開も手伝って、ここ最近の全米オープンの中でも屈指のどっちらけ決勝になっちゃいましたけどw

テニス界に君臨していたビッグ4不在の全米オープン決勝戦は2003年のアンディ・ロディック vs ファン・カルロス・フェレーロ以来というのもなかなかレア。

第11位「ビッグサーバー 大坂なおみ “憧れの女王を倒し 史上初のグランドスラム優勝”」

2018年の全米オープン女子シングルス決勝。

大坂なおみは幼少期からの憧れの相手、女王セリーナ・ウィリアムズにストレート勝利。日本人初の四大大会シングルス優勝を成し遂げました。

伊集院「ランクを付けるって事がもう炎上する為にやってるようなもんじゃないですか。」

しかも12位、11位の錦織圭&大坂なおみに関してはオンエアまでにもっととんでもない事になっているかもと伊集院さん。

実はこの収録が行われたのは2019年1月中旬という事で全豪オープンの真っ最中。

その予言が的中してしまい、この収録後に大坂なおみが全豪オープン優勝を成し遂げ、日本人初のグランドスラム2冠、2大会連続優勝を達成しちゃいましたね。さらにこの優勝でランキングポイントをジャンプアップさせて日本人初の世界ランキング1位の座に。

石橋「この、圭と大坂なおみちゃんの、この日本人が個人競技、ましてやテニスで。体格差絶対あるんですよ。それなのにここの景色見せるかっていう。」

両選手ともとんねるずのスポーツ王で一緒にテニスもしていますしタカさんは親交アリ。

伊集院「あとは日常情報としては彼が出てきた当時はみんな『にしきおり』つってましたね。」

少年隊のニッキこと錦織一清(にしきおりかずきよ)さんの影響が大きいようですが、これは確かにおっしゃる通り。

どうせ海外だから漢字の読み方を間違ってるんだろうな。なんて思っていたらホントに『にしこり』だったというw

今では少年隊の方を『にしこり』と呼んでしまうほどに逆転現象と伊集院さん。

まだトップ10を紹介する前にもう既に放送時間は半分以上を過ぎていますが、伊集院さんに至っては「もうすぐベスト15も観たい。」と言ってしまう始末w

やっとベスト10

第10位「イチロー “世界の安打製造機 伝説の幕開け”」

やっとここで野球ネタ。

メジャー時代もありますが、タカさんが選んだのはオリックス時代のシーズン210本安打の年。

1994年、当時20歳だったイチローはシーズン最多安打記録の191本を44年振りに更新。

そして200本安打の大台に乗せてファンから祝福を受けます。最終的に210本のヒットを量産して大記録を樹立。

その後の2004年にはメジャーリーグに移籍してシーズン259本安打を記録してメジャー記録も塗り替えました。

石橋「あの落合博満さんが、あまり人を褒めない落合さんが1シーズンで200本打つってどんだけスゴイ事か。ってスッゴい褒めたんですよ。後に何人かのプレイヤーが日本人なんかでも200本打ちますけど、当時130試合ですからね。※現在は143試合」

130試合で210本を打たない限りはイチローの記録を抜いたとは言えないとタカさん。

伊集院「もうめんどくさいのは、イチローファンも、イチローだったらコッチじゃね?みたいなのが絶対。」

どっちに転んでもこの企画はどこかに敵を作る運命と伊集院さんの見解w

ここからは立て続けにランキングを紹介して後でまとめてトーク。

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第9位「マイク・タイソン “世界最強の男 東京ドームで初黒星”」

当時37戦無敗という強さを誇っていたマイク・タイソンが1994年に東京ドームで行った統一世界ヘビー級タイトルマッチ。

マイク・タイソン vs ジャームス・ダグラスの一戦。

結果はまさかの10ラウンドKO負けでマイク・タイソンが王座陥落。世界に衝撃が走った初黒星。

第8位「アイルトン・セナ “伝説のレーサー モナコで奇跡の大逆転”」

市街地コースの為、難しいとされるモナコGP3勝以上を挙げるとモナコ・マイスターの呼称が用いられる所をアイルトン・セナは通算6勝。※モナコ・マイスターは主に日本での呼び方。海外だと単純にモナコマスターだったりマスター・オブ・モナコだったり。

この6勝という記録は未だに最多勝利数記録。

その中でもタカさんが記憶に残っているのが1993年のモナコグランプリ。この年にセナと共にトップ争いをしていたのがアラン・プロストとミハエル・シューマッハ。

セナは出遅れて3番手からのスタートとなりますが、後にプロストのフライングが指摘されて10秒のペナルティ加算。さらに再スタート時に2度のエンストに見舞われるアクシデントによってプロストは首位争いから脱落。

さらに1位を走っていたシューマッハがマシントラブルでリタイヤ。そしてライバルたちのトラブルで首位の座が転がり込んだセナはそのまま優勝。

コチラが視聴動画。

ちなみにこの時のレースにタカさんもゲストとして現地リポート。

スタートグリッドでセナと目が合ったタカさんは親指でサムズアップポーズを作られるという経験も。

石橋「僕、これ実は行ってたんですよ。」

伊集院「鳥肌立ったわ~。僕どっちかっていうとモータースポーツよりとんねるずに興味あった頃なんですよ。いましたね。」

この前年の1992年モナコグランプリではセナはマンセルとの死闘を制して優勝。

そして1994年のサンマリノGPのレース中の事故によって亡くなったセナ。7度目のモナコグランプリの優勝を目指すことは出来なくなってしまいました。

そして第9位のマイク・タイソンの試合も東京ドームの会場で観ていたタカさん。

実はこのエピソードは18年4月30日放送の第3回でも語られていたもの。

石橋「初めて負けるわけですから。もう(タイソンが)ボッコボコにされて。でもなかなか頑張っていて、タイソンって打たれ強いんじゃねーかって言ってるうちにダウン奪ったりして、やっぱ勝つんか!?って思ったんですけど、結局最後やられちゃうんですよ。」

「当時、生ダラ(とんねるずの生でダラダラいかせて!!)やってたから日テレがこれ放送して、だからいい席僕見せてもらって、すぐここが柴田恭兵さんだった。ほいでタイソンがボーン!って倒れて起き上がろうとしてマウスピースをグローブで探すんですけど、カウント10を聞いてKO負けだって決まった瞬間に『うわぁ・・・タイソン負けんだ・・・。』って瞬間に、『タカさん!恭兵さん!どうぞ駐車場の方へ!グチャグチャなっちゃうんで。』ってパーッって駐車場の方に歩いて行った時に、最後失礼します!って恭兵さんに言ったら、恭兵さんが『良い試合観たね!』って。」

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コチラがそのマウスピースを探してもがくタイソンの姿。KO決着となる被弾シーンからどうぞ。連打を浴びてかなり効いている所に右のショートアッパーでかち上げられてからの3連打でマットに沈むタイソンの動画。

 

 

第7位「ウサイン・ボルト “全世界がその走りの虜に 人類最速の瞬間”」

2008年の北京オリンピック男子100m決勝。

ボルトはゴール前で余裕のパフォーマンスを見せながらも9.69という驚異的な世界記録を叩き出して金メダル獲得。

石橋「流しちゃってんだもん!」「これは衝撃的ですね。」「なんせ人類が0.1タイムを縮めるのに10年かかると言われているのに、あれ流さなかったらもっと行っちゃってたわけですよ。」

伊集院「最後フザけてるってすごいですよね。笑」

石橋「こんな事しちゃってんですよ。欽ちゃん走りって言われて。」

その後、2009年の世界陸上では9.58のタイムで世界記録更新。

伊集院「最高時速45kmだって。笑」

石橋「原チャリ並みだと。笑」

伊集院「デブが乗ったら原チャリでも追いつかないです。笑」

ちなみに北京オリンピック後には「新・食わず嫌い王」に参加したウサイン・ボルト。

石橋「すごいデカかったです。この位ありました。」

タカさんは182cmなので十分大きいですが、ウサイン・ボルトは195cm。タカさんの示した手の位置はもっと高めになっていますが流石にそれは言いすぎw

伊集院「何食えなかったんですか?」

石橋「何食えなかったっけなぁ?」

嫌いなものはサーモンステーキでしたw

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さて、7位まで発表しましたが、

石橋「じゃあ1回ちょっと一服しようか~。」

伊集院「(笑)」「普通40分位の番組って短距離ですけどね。笑」

石橋「じゃあ行きます!第6位!」

ナレーション「ここで時間いっぱい!あまりに盛り上がり過ぎた為、6位から1位は次週大発表!」

石橋「1位はこれしかない!1位から決めちゃったもん。」

という事で番組初となる次週に続くパターン。

流石に前編後編で終わりそうですが、果たしてランキング上位はどうなるのかに乞うご期待ですね。

【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】

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