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第59回「石橋貴明のたいむとんねる」マイケル・ジャクソン特集前編!エピソードトークと伝説の動画集


19年7月22日の第59回「石橋貴明のたいむとんねる」はマイケル・ジャクソンの大ファンというタカさんらしく“MJ”だらけの放送。ゲストにおぎやはぎ矢作さんとマイケル研究家としての顔も持つ西寺郷太さんを迎えて数々の名曲とMVを振り返りながらそれにまつわるエピソードトークや通ぶれるマイケル・ジャクソン豆知識などをガンガン紹介。盛り上がり過ぎて2週に分けられる事になりますがそれだけ濃厚という事で要チェックですね。

というわけで19年7月22日放送の第59回「石橋貴明のたいむとんねる」【マイケル・ジャクソン大特集▽あの名場面を語りつくす】の様子をまとめてご紹介します。

秋元康さんがテンパり過ぎてマイケル・ジャクソンに直接尋ねてしまったというどうでもいい質問に注目ですw

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出演者

【MC】石橋貴明、杉原千尋フジテレビアナウンサー

【ゲスト】矢作兼(おぎやはぎ)、西寺郷太(NONA REEVES)

【ナレーション】半田裕典

オープニング

2009年に「キング・オブ・ポップ」と呼ばれた世界的なスーパースター、マイケル・ジャクソンが亡くなってから没後10年。

ということで「今からでも通ぶれるマイケル・ジャクソンの数々の伝説を語りつくす」というのが今回の趣旨。

そしてゲストは「興味のない話でも話を合わせる事にかけては日本一」とパグパンこと杉原千尋アナに紹介されたおぎやはぎ矢作さんw

矢作「まあね。分かるよ。大抵の事は合わせられるけど。笑。ちゃんと好きだからマイケルは。」

最後のロンドンのコンサートにも行くつもりだったという矢作さん。

もうお一方のゲストは西寺郷太さん。「ノーナ・リーヴス」のボーカルでV6、YUKI、鈴木雅之などの音楽制作も手掛ける音楽プロデューサーという肩書もお持ち。さらにマイケル・ジャクソンに関する書籍を執筆する日本随一のマイケル研究家という側面も。

番組の基本的な進行は、タカさんが衝撃を受けたマイケル・ジャクソン(MJ)のエピソードについてMVを観ながら熱く語り合うようですが、

石橋「パグパンがMJっていうのが・・・。何か俺からすると気安くMJとか言わないで欲しいな。パグパン!ちゃんと“マイケル・ジャクソンさん”って言って?」

杉原千尋アナ「はい。笑」

初っ端でキツい当たりをされるパグパンでしたw

 タカさんとMJの出会い

まず1曲目は1979年「シェイク・ユア・ボディ」

コチラがYouTube動画。

ジャクソンズ時代のマイケルは当時20歳。

この曲がきっかけでタカさんはマイケル・ジャクソンを知る事に。

石橋「ちょうど高校生ぐらいでディスコに行くようになって最初にシェイク・ユア・ボディとか聴いて知るんですよね。マイケルを。」

このチョイスに西寺郷太さんは感銘を受けたようで「ココをやらない番組もあるんです。」と一言。

石橋「どっからマイケル知ってた?っていう時にオフ・ザ・ウォールのアルバムからって言うんじゃね、ちょっと若ぇな。って。」

通ならココぐらいから知ってないとという意味ですねw

ここで通ぶれるマイケル・ジャクソンの豆知識。

マイケルは1963年(当時5歳の時)に兄弟5人で「ジャクソン5」を結成。初めて受け取ったギャラは生まれ育ったインディアナ州のナイトクラブと契約した7歳の時で金額にして1ステージ8ドル(当時の日本円で約3000円)だったとか。

ここでタカさんと矢作さんの初めてもらったギャラについてのトークが展開。

石橋「テレビの?お笑いスター誕生かな~?1万5000円ぐらいだったかな?1人。2人で3万円もらえたかな?」

吉本芸人さんだと1ステージ500円とか聞きますが、とんねるずは「お笑いスター誕生!!」に出演して2人で3万円だったんですね。

続いて矢作さんに聞いてみると、

矢作「最初って元気が出るテレビの前説かもしれないです。笑。1万円とか2人でもらったのかな?」

おぎやはぎは「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の前説時代が初めてもらったギャラだったんですね。

石橋「俺らは前説やった事無い。ないよ。マイケルも前説やってないんじゃない?多分。笑」

5歳からスター街道まっしぐらなので流石になさそうw

西寺郷太「でもマイケルの前説(前座)をライオネル・リッチーがやってた事があるんですよ。年齢は上ですけど。」

石橋「えぇっ!?」

コモドアーズ時代のライオネル・リッリーはジャクソン5の前座をやっていた事があるとか。

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失恋とMJ

続いて2曲目は1979年「今夜はドント・ストップ」

マイケルが3人に分身する映像は当時の最新技術で話題に。

コチラがYouTube動画。

この曲で初めてマイケル・ジャクソンが1人で作詞・作曲を担当。

自分の曲で初めて1位を獲得した記念すべき1曲。

コン!コン!と後ろで鳴っている音は妹のジャネット・ジャクソンがレコーディングスタジオでコーラの瓶を叩く音であるとタカさんからの豆知識披露。

石橋「クインシー・ジョーンズがこれを言うんですよ。」

クインシー・ジョーンズはこの頃にマイケルと組み始めた音楽プロデューサーの事ですね。

ジャネット・ジャクソンはお兄ちゃんを頼って一緒について来ていた時代で、まだミュージシャンになる前のジャネットだそう。

この曲が収録されたアルバム「オフ・ザ・ウォール」にはタカさんのほろ苦い思い出があるそうで、

石橋「ついに来たよ。マイケルの時代がって。ちなみに僕はこのアルバムを当時持っていなくて、当時は持ってる人からカセットにダビングしてもらうんですよ。」

「ですごい好きだった女の子がいて、その子に頼んでいて。ある時喫茶店で『もう電話して来ないで!』って言われて。最後立ち上がり際にパンって置かれたのが『オフ・ザ・ウォール』のカセットだった。笑」

手切れ金的なw

石橋「それでウォークマンで聴きながら、当時ホテルオークラに研修行ってたんで、向かっていたら『ガールフレンド』って曲があるんですよ。流れた瞬間にねちょっと丸ノ内線で涙が出た。笑」

「ガールフレンド」はビートルズのポール・マッカートニーが作詞作曲の曲ですが、タカさんはこの情報は初耳だった模様。

続いては1983年「ビリー・ジーン」

全米・全英チャートで1位を獲得したマイケル・ジャクソン史上最大のヒットシングル曲。

コチラがYouTube動画。

石橋「モータウンの25周年のライブで『ムーンウォーク』を見せるんですけど、これ僕どういうわけだか知り合いの知り合いからVTRをもらって。グッチ裕三さん家に見せに行った。『いいモノ手に入りましたよ。』って。」

以前の放送でグッチ裕三さんがゲストだった回もこのエピソードが出てきましたね、あの時は「グラミー賞」と言ってタカさんは勘違いしていた模様。

さらに久々にマイケル家の男兄弟6みんなが初めて揃ったステージがこの時。

西寺郷太「6人でもう一回やろうよ!って言ったんですけど・・・それよりもスゴイ事がマイケルのソロで起こっちゃったのがビリー・ジーンだったっていう。」※動画9:20付近から。

この舞台でムーンウォークが初披露されるんですよね。

もしくはこちらの動画。

ちなみにコチラは非常に短いですが貴重なリハの様子。

これに関して矢作さんはちょっとしたエピソードがあるようで、

矢作「左足のね、薬指折れてて、自然にくっ付いて曲がってんですけど、アレつま先立ち真似して折れたんですからね。俺。」

英語だとtoe standやtip-toeというようですが素人が下手に真似すると怪我をするというw

石橋「いい話だ。笑」

当時は靴に秘密があるのでは?なんて事も囁かれるほどでしたが、あのムーンウォークをマイケル・ジャクソンに教えたとされているのがブーガルー・シュリンプという人で実はタカさんは「夕やけニャンニャン」で共演済み。

石橋「出たの?シュリンプ・カクテルだったら知ってるんだけどなぁ。」

番組内では「ターボ」という名前だったという事をスタッフさんから伝えられると、

石橋「あっ!?ターボ?ターボは知ってるよ?」

※“ターボ”は映画「ブレイクダンス」とその続編で彼が演じた役名。他にもマイケル・チェインバースとも。

コチラがYouTube動画。ブーガルー・シュリンプのダンスを集めた動画ですがしっかりタカさんが一緒に真似して踊る様子が収められていますね。

当時から人間技とは思えないようなダンスを披露していたブーガルー・シュリンプですが、実はムーンウォークはバックスライドという名前で前々から存在していたステップの一つだったんですよね。

映像として残っているのは1943年の映画「Cabin in the Sky」の劇中でタップダンサーのビル・ベイリー (Bill Bailey)が披露したのが最初だと言われています。

コチラがそのYouTube動画。

これに後にムーンウォークというキャッチーなネーミングを付けて大舞台で披露したのがマイケル・ジャクソンだったというわけですね。

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タカさんのTシャツの秘密

続いては1983年「今夜はビート・イット」

ウエストサイドストーリーがモチーフでMVにはL.A.の本物のストリートギャングが出演しているとか。

コチラがYouTube動画。

マイケル・ジャクソンのダンスパフォーマンスの始まりとも言うべき記念碑的な1曲。

石橋「白いジャケット着てる人が振付師なんですよ。マイケル・ピータース。俺が初めてニューヨークで観たドリームガールズっていうミュージカルの振り付けもマイケル・ピータース。すごかったよ。」

矢作「ライオネル・リッチーじゃねぇんだ。」

ライオネル・リッチーが所々に出てきますねw

ここで通ぶれる知識。

ビート・イットのギターソロを弾いているのは実はエディ・ヴァン・ヘイレン。マイケル・ジャクソンとは接点が無かったためにオファーの連絡があった時はイタズラ電話と勘違いしたとか。

それでも本物のオファーだと分かるとなんとノーギャラで演奏し、後にバンドメンバーから激怒されたなんて話が残っているそう。

続いて1983年「セイ・セイ・セイ」

ビートルズのポール・マッカートニーとのデュエット作。

コチラがYouTube動画。

劇中に繰り返し登場する金髪の女性がポール・マッカートニーの元妻のリンダ。

そして黒い羽のついた被り物をしているのがマイケル・ジャクソンの姉のラトーヤ・ジャクソン。

この曲のロケ地(MV冒頭部分)に使われたカリフォルニア州にある「シカモア・バレー・ランチ (現在の名称)」はマイケル・ジャクソンが気に入って買い取った事でネバーランド・バレーと名づけられた土地。その広さはほぼ千代田区の広さと同じだそう。

ここで通ぶれる豆知識。

ポール・マッカートニーとは自宅で一緒にアニメを鑑賞するほどの仲良しの間柄でしたが、1985年にマイケル・ジャクソンがビートルズの楽曲の版権を買った事で不仲になったと言われています。

そして1983年「スリラー」

MVに2億円という巨額の制作費をつぎ込んで作られた代表曲。

コチラがYouTube動画。

アルバム「スリラー」が発売された1年後にシングルカットされてビデオになったんですよね。

そしてこの放送ではスリラーのアルバムジャケットのデザインがあしらわれたTシャツを着ているタカさんですが、第59回「石橋貴明のたいむとんねる」タカさんが着ていたヒューゴ・ボスのTシャツは2018年秋のコレクションから

あのマイケル・ジャクソンが着用しているのがヒューゴ・ボスの白スーツ上下だそうで、2018年にマイケルのスーツをヒューゴ・ボスが復刻した際の記念Tシャツ3種類のうちの1つとの事。

石橋「3種類ありますけど、1枚欲しいですか?って。全部下さい!って。」

この日まで1度も袖を通していなかったそうですが、収録に合わせて着用するという太っ腹なタカさん。

音声さんにピンマイクを付けてもらう時に流石に穴は開けて欲しくなかったので挟むタイプのピンマイクを使っているという今日のタカさんw

石橋「これダメですね?穴開けたら。って。ダメです!って。」

そして通ぶれる豆知識は、

1999年にスリラーはMTVが選ぶ「今までに作られたMVの中で最も偉大なベスト100」の堂々第1位に選出されているとか。そしてMVとしては唯一アメリカ議会図書館に永久保存されている作品だそう。

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We Are The Worldはソックリさん?

続いては1985年「We Are The World」

40人以上のスーパースターたちが集結した歴史的楽曲。

コチラがYouTube動画。

石橋「スーパースターが同じ場所に集うなんてことを考えなかったから最初観たとき、これソックリさんでしょ!?って思って。アメリカやっぱり似てる人沢山いるんだなぁって。笑」

45人のミュージシャンの中でマイケルは2番目に若い26歳。

スーパースターだらけなので流石にマイケル・ジャクソンもかなり気を遣ったのでは?と勘繰る3人ですが、

矢作「スティーヴィー・ワンダーとブルース・スプリングスティーン仲良くないでしょ?絶対。」

スーパースターとの共演という意味では実はマイケル・ジャクソンはあのクイーンのフレディ・マーキュリーとの共演もあったそうで、お互いがファン同士という間柄でデモテープまでは作ったものの結局発売されたのはどちらも亡くなった後になってというエピソード。

曲は2014年「生命の証 (原題:There Must Be More To Life Than This)」

コチラがYouTube動画。

2人が亡くなった後2014年にクイーンのベストアルバムに収録されてようやく日の目を見る事に。

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マイケル・ジャクソンとニアミス?

続いて1987年「BAD」

当時多忙を極めていたマイケル・ジャクソンはわずか3日でダンスパートを完成させたとの事。

コチラがYouTube動画。ロングバージョン。

ショートバージョンがコチラ。

MVにはウェズリー・スナイプスも登場しますね。

ロングバージョンでは白黒のシーンが前後に存在していますが、その白黒ドラマシーンの方が現実の出来事でカラーシーンは夢という設定。

この大作の演出を監督したのがあのマーティン・スコセッシ。

そして同年1987年にアルバム「BAD」でマイケル・ジャクソンは初来日。

実はタカさんは初来日前のマイケルに直接会うチャンスがあったそうですが、

石橋「正月にニューヨークでカウントダウンをして、仕事があったんでロスに向かうんですけど、ボンドっていう事務所の高杉さん(元ボンド企画社長の高杉敬二さん)っていう人がマイケルのお父さんとすごく仲が良くて。ホームパーティーがあるから来ないか?って。マイケルが来るかもしれないって。えぇっ!?マイケルは来ないでしょ~?でもジャケットぐらいは来るかな~?って感じだったの。」

一緒にいたのはプロデューサーの石田さん、ディレクターの港さん、タカさんの3人とその家族というグループだったそうですが、

ホテルから出る時に石田さんにお客さんが来ているという事でかなりの時間が取られてしまい慌てて空港に向かったものの、既に乗るハズの便の席は全てキャンセル待ちに出されて乗れない事に。

石田さんが英語で必死に食い下がったものの目の前で乗る予定だった便が飛び立ってしまいもう万事休す。

その便には秋元康さんや本田美奈子さんなどが先に乗っていて、その人たちは結局ホームパーティーに参加出来たそうですが、その後に「何で来ないんだよ!マイケル来たんだぞ!」と衝撃の言葉をタカさんは言われたそう。

石橋「えぇっ~~!?って。バブルス連れて!だからそれより前に僕はマイケルと会えたんですよ!」

正確には会えた“ハズ”なんですよ!ですねw

そしてその後にバブルス君(ペットのチンパンジー)を抱いた本田美奈子さんとマイケル・ジャクソンという3ショットの記念写真を見せられたというタカさん。

ちなみに秋元康さんはマイケル・ジャクソンに何か話しかけないとと思った挙句にテンパったようで「この猿はなんて名前ですか?」と聞いてしまったというどうでもいいエピソードw

石橋「したらマイケルが『バブルス』って。笑」

その時はまだマイケルがペットとしてチンパンジーを飼っている事は世間的にはあまり知られていない時期だったとの事w

1987年のBADの来日の時にマイケルが連れていた事で日本でも一気に有名になったバブルス君なんですよね。

つまりバブルス君にも一足先に会えていたかもというw

石橋「その時に(ロスで)キャプテンEOを観たんです。確か。すっげー並んで。何度も何度も観ちゃった!」

会えなかった悔しさをそこで晴らしたとw

キャプテンEOはディズニーパークのアトラクションとして公開されていた映像作品ですね。

コチラがYouTube動画。

初来日で遂にMJと

続いて1987年「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」

1年半15か国をまたがるワールドツアーで観客動員数史上最高440万人という金字塔。

コチラがYouTube動画。横浜での映像ですね。

一緒に歌うのは後のシェリル・クロウ。バックコーラスでツアーに帯同していて90年代に入ってソロとして大成。

日本4か所で行われたこのツアーでは日本だけで43万人もの動員数を記録。

石橋「こん時、後楽園の初日行って。3塁側のベンチとサードベースの間のスタンドだったんですよ。だけど遂にマイケル観れるなぁつって。こんな小っちゃいマイケルを観ながら『今日で帰っちゃわねぇかなぁ。』って。笑。そしたら観たのはこの5万人だけだなぁって。笑」

ロスで会えなかった悔しさがこんな所に波及w

石橋「この横浜の時、安全地帯の玉置浩二さんと真ん中の一番前で観てて、マイケルが何曲目かの時にパッと回った時に、髪束ねてたんですけど、これがバッとバラバラになったんですよ。ヒューっと何か飛んできてココの髪留めゴム。で拾ってくれよ!ってガードマンに言って。髪の毛ついてる。だからそのDNAでクローンマイケル作れるんすよ。」

これもグッチ裕三さんの回で登場したエピソードトークですねw

ここでトークが盛り上がり過ぎて1週では収まらなかったので今週はここまで。

次週は通ぶれるマイケル・ジャクソン完結編!タカさんが「すごいよ!コレ!」と目を輝かせて語ったり、西寺郷太さんが「これ放送されるの画期的です。」と漏らすほどの伝説の映像も。

【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】

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