不思議体験ファイル2022 あらすじ&検証結果まとめ【ネタバレ注意】
22年3月29日放送のフジテレビ系「不思議体験ファイル 信じてください」では前世の記憶、機長のUFO目撃、一反木綿、下北沢タイムスリップといった不思議体験を番組が検証。真相が明らかにならないケースが多いのでモヤモヤ感は残りますが、あらすじと検証結果を一覧でまとめてご紹介。
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前世の記憶
ある日、5歳になる息子(仮名:翔太)が「僕のほんとうのおうちは山梨県にある」と語り出した事が全てのはじまり。
さらに「10階建ての10階に祖父母と住んでいた」「隣には水族館、近くには池があって祖父と釣りに行っていた」「保育園ではゾウさん組だった」「ほんとうのおうちに帰らないと。ママと離れたくないのにどうしよう…」と具体的な事柄を挙げて息子の話は続く事に。
息子があまりにも真剣に話すので母親がその内容についてツイッターに投稿してみると、
山梨県には「森の中の水族館」という水族館があり、淡水魚専門の水族館では川魚を展示している事が判明。
試しに息子に水族館について尋ねてみると「川の魚しかない」とまさに水族館の特徴とピタリと一致。
また、ツイッターでは家候補となる具体的なマンション名も挙がっていましたが、息子にGoogleストリートビューをやってもらうと、まさにそのマンションを指して「おうちここだよ」と言い出す始末。
そんな事があってから1か月後には家族で山梨旅行に行くことになり、
せっかくだからと周辺の様子も一緒に撮影できるビデオカメラで記録として撮っておくことに。
すると車中では水族館に近づくにつれて「あの森だ」「ここに水族館があるんだ」「ここは通った事がある」と息子の言葉。
そしてそこから試しにカーナビを切り、車を走らせながらマンションへの行き方を息子に道案内してもらうと「そこを曲がって」「ここを右」とスムーズに道順を指し示してあのマンションに到着。
マンションを管理する不動産屋さんに事前に連絡を入れて、実際に建物内を見学させてもらうと息子は目をキラキラさせ、さも懐かしい家に帰って来たといった雰囲気に。
そこで祖父に釣りに連れて行ってもらっていたという息子にその当時の記憶を頼りに絵を描いてもらうと、
釣り名人だったという祖父が大きな赤い魚を釣り上げる絵が完成。
該当する川、桂川に生息している魚で当てはまりそうなのはニジマスで個体によっては赤い色が出るものもあるとか。
息子の前世の記憶とは…?
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そこから2年が経って番組の取材班が家族にコンタクト。
2年が経っても「山梨に住みたい」と未だに前世の記憶のほのめかしている息子と共に山梨へ。
改めてマンションの道順を確認してみると、マンションに向かう道には要所要所で立て看板が複数設置されていたものの、
動画内では看板が出てくる前から息子は道案内をしているように見えるので「看板を見て道順が分かった」説は否定される事に。
マンションは10階建てという息子の証言とは食い違う点もあって実際の建物は8階建てでしたが、建物の構造的に1棟だけが高台に建てられている事もあって、特殊な数え方をすると10階建てと言えなくもないという事も判明。
この地域では10階建てのマンションは存在しておらず、この8階建てすら他には該当せず。
また、住んでいる人たちの属性については昔から老夫婦が住んでいるケースが多いという不動産屋の証言も。
ちなみに釣りに関しては漁業組合の定款によって「エサ釣りは禁止」とされている地域でしたが、昔は特に規制されていなかったようで、となると息子の記憶はかなり昔?
ここでヒントになりそうな事象を時系列で整理してみると、
- 1991年 マンション完成
- 2001年 水族館完成
- ~2012年頃 エサ釣りOK
- 2014年 翔太誕生
可能性としては2001年~2012年頃?
現地で取材をしてみるとゾウ組の組み分けが存在する幼稚園が実際にあるようで、そのクラスは年長組の5歳児クラス。
ただし個人情報もあるのでその幼稚園で具体的な取材は出来ず、マンションの過去の所有者についても追加取材をするも該当しそうな人物像は浮かび上がらず。
検証は以上で真相は謎のままという結果に。
スポンサーリンク機長のUFO目撃
機長の名前は寺内謙寿という方ですが、現在は体調を崩して取材を受けられないそうで、
代わりに全ての情報を託されたというUFO研究家の天宮清氏を取材。
アメリカ連邦航空局(FAA)の1569ページに及ぶ調査資料も公開されている事もあってその目撃情報をまとめると、
- 一定の距離を保って貨物機と同じ方向に向かう2つの光
- 管制塔のレーダーにはそれらしい反応は無し
- 光はお互いにじゃれ合うような動き
- 光が突如前方150mの距離に接近
- 無数の黄色い光を放って、気体のようなものを噴出
- 副操縦士や機関士も詳細が異なるものの同様のものを目撃
- さらに2つのボウルを合わせたような巨大な物体も目撃
- 管制塔から指示を出して近くを飛ぶ別の飛行機に巨大飛行物体が見えるか確認してもらうと目前で飛行物体が消失
これらは1986年当時ニュースとして報じられて寺内機長は一躍時の人になりますが、数か月後には人事異動を告げられて地上勤務に。
当時行われた検証では「気象の影響」「星の見間違え」といった科学者たちの見解で否定されることに。
UFO目撃の真相は…?
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アラスカ上空で起こった出来事という事もあってアメリカにおいてもこのニュースは当時報じられますが、
「機長のUFO目撃は木星と火星だった」というアメリカ屈指のUFO否定論者フィリップ・J・クラス氏の見解と共にやはり否定されることに。
これについて当時の惑星位置をシミュレートできるソフトを使って再現してみると、
光の方向は星の位置と合っている事が分かりますが、不規則な動きや急激な接近など星の見間違い説だけでは説明できない部分が多々あるので調査を続行。
他に否定説としては、雲の水分が凍って結晶化した中で月を正面に捉えると、その両側に一個ずつ別の月があるように見える「幻月説」もありますが、UFOを目撃した時間を考えると月は飛行機の前には存在していなかったことが分かり、これの説も却下。
また、FAAが当時のこのUFO目撃について調査を行った結果、
調査責任者だったジョン・キャラハン氏、FBI、CIA、大統領の科学研究チームなどが集まった会議の場で「この会議は無かったことに」「データは全て没収」とCIAが主導する形で調査は終了。
CIA側からは流言によってアメリカ国内がパニックになるのを防ぐという説明だったようですが真相は闇の中。
スポンサーリンク一反木綿
撮影されたのは22年2月20日。
猫の保護施設に設置された赤外線のペットカメラの白黒映像に謎の物体が。
突然画面に現れてゆらゆらと浮遊したかと思えば、その姿はたちまち消えて跡形も無く。
あの影の正体は…?
【検証結果】
警察から事故現場写真など年間100件以上の鑑定依頼が来る映像解析のスペシャリスト、法科学解析研究所(FAL)に映像を見てもらうと、
動画の色や明るさを調整した所、画面にずっと映っていた黒い点に浮遊物が被った瞬間に黒点が一瞬消えたり、猫の胴体にも映る様子を確認。
という事はつまり実際にそこあった「何か」をカメラが捉えたという意味になりますが、
研究所の出した答えは「空気中を漂う猫の毛の塊が静電気に反応して猫にくっ付いた」というもの。
さらにこの保護施設は標高50m、背後に100m前後の山があるという立地になっており、北西からの乾いた風によって空気が乾燥しやすく静電気が起きやすかったのでは?という指摘も。
下北沢タイムスリップ
証言を語るのは芸人の流れ星ちゅうえい。
それは2007年頃の出来事。
当時付き合っていた彼女と下北沢でデートをしていた所、お酒を飲んだ後に〆にラーメン店を探していると、赤ちょうちんが灯るラーメン店を発見して店内へ。
店内はカウンターのみ6~7席とこじんまりとしており、入って右側には厨房という間取りで、メニューに目をやるとラーメン1杯200円と破格。
2人前を注文すると、出て来たのは他は普通でも煮卵だけ蛍光ピンク色という不思議な見た目。
それをきっかけに店内のただならぬ様相が気になり始め、
- 古いブラウン管のテレビには砂嵐
- 店内に置かれた新聞の日付は1950年代
急に不気味に感じたので料金を払ってさっさと店を出ることに。
後日、彼女が下北沢で広く土地を持っているという人に話を聞いた所「その店は昔あったけど、40年くらい前に無くなってるよ?」という証言。
もしかしてあの夜1950年代のラーメン店にタイムスリップした…?
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ちゅうえいが語っていたラーメン店は今やすっかり無くなっておりマッサージ店に。
登記簿を調べてみると建物が完成したのは1975年(昭和50年)1月10日。
ビルの管理会社ではそれ以上は遡る事が出来ないという事で、
1935年生まれで南口商店街の元理事長、生まれも育ちも下北沢という吉田圀吉さんに協力を依頼。
記憶をたどってもらうと、その場所にラーメン店があったという昔の記憶は無いとの事。
場所からは真相に近付けそうにないので、特徴に該当するラーメン店が昔あったかどうか?という角度から調査を続行。
年代ごとの食品などの平均価格が記録されている統計データ値段史年表を見てみると、
1950年代にラーメン1杯は大体25円。200円にまで上がるのは1972年(昭和47年)の事。
また、白黒テレビの普及率は1959年当時で23.6%だったので90%の普及率になったのは1970年になってから。
これらを踏まえて番組では「1950年では無く昭和50年(1975年)を勘違いしたのは?本当のタイムスリップ先は1970年代では?」と仮定して調査続行。
ちなみにピンクの煮卵は食紅を使って着色されたものが古くから存在していたことが判明。
そして1975年当時の週刊文春に載っていた当時の下北沢タウンマップを見てみると「博雅中華」という中華料理屋が存在していたことが明らかに。
ちなみに当時出されていたタンメンの値段は200円。
現在その場所には本多劇場が建っており、本多劇場完成は1982年。
そこから遡れないかと博雅の痕跡を辿ると、元店主の加藤建次さんという方に取材できることに。
店の間取りを描いてもらうとテーブル席もあってかなり広かったようで似ても似つかないという結果に。
これで博雅説は否定されることになりますが、ちゅうえいが描いた店の間取りに一致しそうなラーメン店の記憶があると加藤さんの奥様からの新証言。
それが花遊軒というラーメン店で博雅の斜め前にあったお店だとか。
昭和53年(1978年)の地図によると確かに花遊軒というラーメン店が存在していた事が分かり、証言に合った間取りは移転前の旧店舗という話も。
その場所はちゅうえいの語っていたあの場所とは50mという距離感。
確かに1966年に撮影された古い写真には「餃子の店 花遊軒」と読める看板が。
花遊軒に行った事があるという人にコンタクトを取って話を聞いてみると、
カウンターの位置は右か左か記憶が定かではないという話を含めると間取りはかなり近い様子。
ちなみにピンクの煮卵については分からないという事で調査はここで終了。
以上、不思議体験ファイルまとめでした。