馬油シャンプーが温泉に置いてあるのはなぜ?バカせまい史
24年2月29日放送の「私のバカせまい史」では馬油シャンプーが全国の温泉・浴場に置いてある謎を調査という事で簡単にまとめてご紹介。
馬油とは?
番組調べでは馬油シャンプーが置かれている全国の施設数は1500以上。
ちょっと気になる馬油シャンプーの平均価格は1本2500円という事実。
「安いから置いてある?」と考えがちですがそんな認識は誤り。
そもそも馬油とは馬のたてがみや皮下脂肪から採取した油の事で中国では古くから手足の肌荒れやひび割れの治療に用いられていたという歴史も。
日本に伝わったのは750年頃の奈良時代といわれていて、唐から来日した鑑真とその一行が福岡太宰府に馬の油の効能について伝えたのがその始まりとも。
そこから一気に時代を経て1948年の昭和になってから福岡の直江昶(とおる)という人物が馬油の研究を本格的にスタート。
工場勤務だった直江はある時、左手に大やけどを負ってしまいその際に馬肉の脂肪を塗って傷を治したという個人的体験をもとに工場勤務の傍ら20年以上に渡って独学で馬油の研究に没頭したとか。
こうして1971年に馬油(ばぁゆ)と命名して販売をスタートさせるも、
化粧品とは認められずに苦肉の策として食用油として発売。
パッケージには「食用にはしません。皮膚に塗るもの。」としっかり書いていたものの販売はあくまで食用油という怪しすぎるシロモノに消費者が喰いつくはずもなく売り上げはイマイチ。
そこで直江は江戸時代に流行したガマの油に強引に紐づけて宣伝するというかなりグレーな手法で「ガマの油の正体は我馬の油=馬油だった」という新説を大胆にぶち上げて馬油を売りだす作戦に。
ガマの油の知名度に乗っかったこの宣伝手法は功を奏して売り上げは7億円とヒット。
馬油の商品としての価値に絶対の自信を持っていた直江はとにかく手に取ってもらって一度使ってみて欲しいという一心でこういった手法を取ったんだとか。
1988年には会社のあった福岡から物産展で出店するという形で北海道、東京、大阪と各地に進出。
スポンサーリンク馬油シャンプー誕生
そしてメインとなる馬油シャンプーが誕生したのが1992年の事。
その立役者は岡山の原田康資(やすすけ)で現在は一光化学の会長に就く人物が生みの親。
1984年に原田の妻が術後の傷跡に馬油を塗った所、効き目があったという事から馬油の製品化を思い立ち、せっけん、マッサージクリーム、飲むカプセルと次々と販売するも当初は雑貨扱いでなかなか取り扱ってくれる販路が確保できず売り上げはイマイチ。
そこで1990年に常連客からの「髪の毛に馬油を塗ってみたらコシが出てツヤツヤになった。」という声をもとにして馬油のシャンプー化に着手し、2年後の1992年に世界初の馬油シャンプーが完成。
発売当初はよく分からない会社が作った怪しい商品という事でなかなか知名度が上がらなかったものの、ヘアサロンに持ち込んで髪の毛のプロに試してもらうというマーケティング手法が当たって徐々にヘアサロン業界に馬油シャンプーが広がって1か月1000本の売り上げを記録するまでに。
岡山を皮切りに広島、山口、島根、鳥取と中国地方を中心に徐々に知名度が増していった結果、愛知、埼玉の化粧品会社が馬油シャンプーの販売をスタート。
ところが2006年に起こったカリスマ美容師ブームによってお店オリジナルのおしゃれなシャンプーが優先されて馬油シャンプーはなかなか全国区までは浸透せず。
スポンサーリンク馬油シャンプーと温泉旅館
そこでヘアサロンでの販路拡大は限界と見た馬油シャンプー業界が次に目を付けたのが温泉旅館。
当時温泉などに置かれていたのは安い業務用シャンプーという事もあってそれなりの値段がする馬油シャンプーが値段で勝負するのはなかなか難しいという事で「タダで温泉旅館に提供して置いてもらう」という作戦に。※有料で提供している旅館も
と同時に売店に置かせてもらってそこで販売するという合わせ技。
折しも2000年代はスーパー銭湯やフィットネスクラブが全国的に増加し、2010年代はサウナブームがあったためにとにかく浴場に馬油シャンプーを配りまくる作戦で何かと目に付くという現状に。
また、IKKOが馬油の効能を長年支持しているという事も助けになって馬油は確かな存在感を放っているという事に。
馬油シャンプーを作った一光化学はIKKOなのでここでIKKOと繋がる謎の伏線回収。
以上、私のバカせまい史から馬油シャンプーが温泉に置いてある謎についてでした。