学ランのランの意味は?なぜ黒色?チコちゃん
24年6月7日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『学ランのランって何?』の答えなど簡単にまとめてご紹介。学ランの意味や黒色になった理由とは?
ゲスト出演者
【ゲスト】遠藤憲一、福田麻貴
【VTRゲスト】伊集院光
学ランのランって何?
3問目の出題は、
学ランのランって何?
チコちゃんの答えは、
オランダのラン
解説は服飾史研究家の辻元よしふみさん。
学ランの原型は江戸時代にオランダから伝わった軍服で、当時の日本は鎖国中という事もあって西洋の国で正式に貿易を行っていたのはオランダだけという時代背景。
その為に軍服に限らずオランダから伝わった西洋式の洋服は全て蘭服(らんぷく)という名称。
そこから時代が経て明治時代にはオランダの軍服を参考に学生用の蘭服が帝国大学(今の東大)で誕生。
帝国大学は日本初の国立大学という事もあってエリート色を打ち出すためにそれまでの和服から西洋の軍服がモデルの学生服を採用したという事情があったのでは?と辻元先生。
その後、大正時代初期には学ランが全国の学校へ広がって学生の制服=学ランが定着する事に。
ちなみに学ランの色と言えば黒が定番ですが、そもそも学ランの原型になった軍服が誕生したのは17世紀のスウェーデンで、その頃の軍服は黄色を採用していてとても派手。ちなみに同時代のイギリスの軍服は赤、フランスは明るい青と全体的に派手。
17世紀に戦場で使われていた砲弾は煙が多くて、戦場といえば煙がモクモクしているのが普通の光景だったようで味方を識別しやすくする為にあえてこういった目立つ色を採用していたとか。
こういった色とりどりの軍服は染料を使って大量生産する必要がありますが、その際に重要になってくるのが安価で入手しやすい染料であるというコスト面の問題。
例えばイギリスの軍服が赤いのは赤の染料だったカイガラムシがイギリスでよくとれたから。
スポンサーリンクその後18世紀になるとイギリスの軍服は紺色に変更されますが、その裏にあったのがイギリスがインドを支配したからで、当時のインドでは紺色のインディゴ染料が手に入りやすかったのでイギリス海軍では紺色に。
さらに鉄砲の精度の向上や煙の量が減ったことで徐々に目立つ色が敬遠されるようになって、敵に見つかりにくい地味な紺色を採用。
そして18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで産業革命が起こったことでイギリス海軍で石炭を使用した蒸気船が登場する事に。
すると石炭を扱う兵士たちの軍服は汚れが目立たないようにという理由で黒に変更され、この影響が世界に広がってアメリカ海軍も紺から黒の軍服に変更。
そして長崎県のグラバー邸で知られるイギリスの商人だったトーマス・グラバーが幕末に黒の軍服生地を輸入した事で新政府軍は黒の軍服に。
やがてアメリカ海軍の夏服の白やイタリア陸軍のカーキ色なども誕生。
日本に軍服が伝わった時期がイギリスの産業革命後だった事で学ラン=黒になったというわけですね。
という事で3問目は以上。
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