高校野球の応援歌に懐メロが多いのはなぜ?チコちゃん
24年7月5日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『なぜ高校野球の応援曲は懐メロが多い?』の答えなど簡単にまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】小森隼、河合優実
【VTRゲスト】なし
なぜ高校野球の応援曲は懐メロが多い?
2問目の出題は、
なんで高校野球の応援曲は懐メロが多いの?
チコちゃんの答えは、
先輩が活躍した曲で自分も活躍したいから
解説は高校野球ブラバン応援研究家の梅津有希子さん。
そもそも高校野球を吹奏楽で応援するという文化の元祖は1941年の愛知県・東邦高校といわれているとか。
当時の吹奏楽部30人ほどで甲子園の応援に向かい、そこで校歌や応援歌を演奏したという実際に演奏した吹奏楽部メンバーの証言が残っているそうで、当然定番の応援歌なども無い時代なので野球部に設定されていた応援歌を演奏したとか。
そして1959年に天理高校のファンファーレとして知られる曲が制作された事で高校野球といえば応援歌というイメージが定着していくことに。
4年ぶりの甲子園出場を盛り上げるために指揮者の矢野清が制作(編曲)したこの天理高校のファンファーレは後に非常に有名になったわけですが、これがきっかけで他の高校も応援歌をこぞって演奏しだしたのかどうかはよく分かっていないのが真実。
ただし、この天理高校のファンファーレをきっかけとして早稲田大学のコンバットマーチが作られたという経緯ははっきりしているとか。
このコンバットマーチが六大学野球の舞台で演奏されたことで高校野球にも応援歌ブームがやって来たとされているそうで、六大学野球は高校球児たちの憧れの舞台でもあったという事も手伝って、もともと特定の大学の応援歌だったものが高校野球の応援歌として定着。
スポンサーリンクさらに他の大学では歌謡曲や流行のアニメソングを演奏したりといった流れが生まれ、
例えば山本リンダの「狙いうち」は明治大学の応援歌として演奏されましたが、これは作詞を担当した阿久悠が明治大学のOBだったことに由来しているとか。
他にも立教大学ではポパイのテーマ曲を演奏したりと昭和に作られた応援歌が今でも伝統的に伝わっているという事に。
これが高校野球でも脈々と受け継がれているのには、先輩が活躍した曲で自分もプレーしたいという思いがその根底にあるのでは?という梅津さんの考察。
実際に甲子園に出場した経験を持つ人たちに話を聞いてみると、先輩からテーマソングを受け継いだというエピソードや、歴代の先輩たちが使っていたプロ野球選手のテーマソングを自分もリクエストしたというエピローグなどなど。
高校野球では特に縁起を担いだり、あの試合のあの伝説の曲のように神格化されたりするので古い曲がそのまま残っているケースが多いとの事。
他にも懐メロなど長く使われていた伝統のある曲を何度も使う事で、新しい応援歌を一から覚えるよりも演奏の完成度も上がるし、一緒に歌うスタンドの生徒たちもなじみがあって歌いやすいという理由も。
- 1位 ピンク・レディー『サウスポー』(26校が使用)
- 2位 大野雄二『ルパン三世のテーマ』(16校が使用)
- 3位 X JAPAN『紅』 (15校が使用)
- 同率4位 山本リンダ『狙いうち』(8校が使用)
- 同率4位 光GENJI『パラダイス銀河』(8校が使用)
ちなみに紅はメンバーのYOSHIKI、Toshlが共に千葉県の学校出身という縁で千葉県内の高校を中心に応援歌として多く採用されるようになった事で徐々に全国に広がったという経緯があるとか。
という事で2問目は以上。
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