敬老の日はもともと何の日?兵庫県の「としよりの日」とは?チコちゃん
24年9月13日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『敬老の日はもともと何?』の答えなど簡単にまとめてご紹介。由来となった兵庫県の「としよりの日」に隠された壮大な物語とは?
ゲスト出演者
【ゲスト】石黒賢、安田美沙子
【VTRゲスト】なし
敬老の日はもともと何?
2問目の出題は、
敬老の日はもともと何なの?
チコちゃんの答えは、
兵庫県の「としよりの日」
解説は多可町議会議員の門脇教蔵さん。
敬老の日の元祖となっているのは兵庫県の野間谷村(現在の多可町)で作られた「としよりの日」で、小さな村で始まった一人の男の想いがそこに込められていたとか。
門脇教蔵さんのお父さんである門脇政夫さんが野間谷村の村長に選ばれたのは昭和22年の事で当時は35歳。
そこで政夫さんが開催したのが敬老会で、この時代は太平洋戦争後の混乱期の中で人々は周囲に気を遣う余裕もなく、お年寄りを粗雑に扱うという風潮が強かったという事もあって、その状態に一石を投じる事に。
お年寄りが大切にされる姿を見れば若い世代もこの暗い時代にあって未来に希望を持てるのでは?と考えた政夫さんは終戦からわずか2年後の1947年9月15日に55歳以上の人を招待して第1回敬老会を開催。
その一方で翌年の1948年に国は国民の祝日に関する法律である祝日法を制定し、こどもの日や成人の日などが国民の祝日として定められる事に。
これを知った政夫さんは「子供や成人の日があるならお年寄りの日があってもいいのでは?」と考えたようで敬老会を開催した9月15日を村独自に「としよりの日」として村の祝日化。
そもそも9月15日に敬老会を実施したのは養老の滝の伝説にあやかっての事だったそうで、病気の親を助けようと滝つぼの水を汲んで親に飲ませた所、親が元気になったという言い伝えからこの日を発案したそうで、この時期は村の農業も収穫を終えて落ち着いているのでちょうどいいという事でこの日に。
その後は兵庫県の市町村に「としよりの日」を広めようと普及活動に邁進した政夫さん。
これに賛同した市町村が次々に「としよりの日」を導入すると、お年寄りと若者に繋がりが出来て町に活気が戻ったと好評だったとか。
こうして第1回敬老会開催から3年後の1950年には兵庫県で9月15日を「としよりの日」として県民の祝日化。
さらに政夫さんは全国各地にも普及活動を広げて、1966年9月15日に敬老の日として国民の祝日に。
国立歴史民俗博物館の新谷尚紀教授によると、1960年代の日本は経済成長によって核家族化が増えてお年寄りとのつながりが希薄になっていた時代という事もあって、全国的に知名度が高まっていた「としよりの日」を敬老の日として祝日にしたという時代背景があったのではないかという見解。
という事で2問目は以上。
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