大河ドラマはなぜ大きな河?由来や大河の元祖作品とは?チコちゃん
25年3月28日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『大河ドラマはなぜ大きな河?』の答えや元祖となった作品などまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】阿部サダヲ、今田美桜、中沢元紀
【VTRゲスト】石坂浩二
大河ドラマはなぜ大きな河?
3問目の出題は、
なんで大河ドラマは大きな河なの?
チコちゃんの答えは、
ロマン・ロランのせい
解説は日本大学の中町綾子教授。
大河ドラマのもととなる作品は1963年に放送された「花の生涯」で幕末の大老だった井伊直弼の生涯を描いたドラマがその始まり。
当時のテレビドラマは一話完結で生放送が主流だったこともあって、あまり作り込まれた作品というものは存在せず、その娯楽の中心はもっぱらが映画という時代。
当時の俳優は契約している映画会社の作品にしか出られないという五社協定という鉄の掟があり、映画スターがテレビドラマに出演するのは到底あり得ないこと。
そんな中でNHKの芸能局長を務めていた人物が「今までにない娯楽作品を作りたい。日本一のドラマを作れ。」という号令をかけてNHKの一大プロジェクトが動き出すことに。
映画、歌舞伎、新劇のスターを勢ぞろいさせて剣劇アクションからラブシーンまでありとあらゆるエンタメを詰め込んだ新感覚の連続大型時代劇というとにかく究極のさらにその上の作品を目指して制作されることとなったこの作品は、NHKの粘り強い交渉のおかげで歌舞伎界の大スター・尾上松緑を主演に松竹の看板俳優・佐田啓二、元宝塚女優の淡島千景と各界のスターが顔を揃え、全39話放送期間9か月という異例の連続ドラマとして大成功。
スポンサーリンク当時は大河というワードは無く、あくまで大型連続時代劇というネーミングでしたが、
翌年の1964年1月5日には2作目となる「赤穂浪士」が放送スタートし、放送当日の読売新聞に大河ドラマというワードが登場。
実はNHK発信ではなく読売新聞が初めに大河ドラマというワードを使っていたことになるわけですが、そこに関わってくるのがフランスの文学者ロマン・ロラン。
彼の小説「ジャン・クリストフ」が”大河”というワードの由来になったとされていて、
偉大な音楽家の生涯を描いたこのフィクション小説にはジャン・クリストフの生涯を「大河のごとくに」と表現する文章が登場。
ロマン・ロランはこの作品で1915年のノーベル文学賞を受賞したわけですが、これ以降は人間の生涯を描いた壮大な物語を「大河小説」と呼ぶようになって、新たなジャンルとして広まることに。
そして、人の生涯を描く大河小説と歴史上の人物の生涯を描くドラマという共通点から読売新聞の記者が「大河ドラマ」と命名したとか。
スポンサーリンクこうして初めての「大河ドラマ」となった作品「赤穂浪士」は瞬間最高視聴率53%を記録して歴代トップの数字を叩き出し、この大ヒットのおかげで大河ドラマという呼び名も世間に広まりますが、これはあくまで非公式な呼び名でNHKではあくまで大型連続時代劇。
番組オープニングで大河ドラマとはっきり明記されるのは43作目となる2004年の「新選組!」が最初で、冒頭からデカデカと登場。
これ以降は番組開始と共に大河ドラマというテロップが表記されるようになり、49作目の2010年「龍馬伝」では番組タイトルの一部として表記されるスタイルやその後はテロップ表記かタイトルの一部かどちらかのスタイルを適用して必ず大河ドラマのワードが出されるように。
「新選組!」放送時のNHKドラマ部長だった西村与志木さんによると、この作品は三谷幸喜が脚本担当という事もあって、三谷幸喜本人も「子どもの頃から見ていた大河ドラマの脚本をやっと自分が書ける」という思いが強かったようで、これを新機軸として「大河ドラマ」という放送枠を強く打ち出す思惑から表記が始まったという証言。
画面に大河ドラマとはっきり出て来るというこのシンプルながら分かりやすい試みは三谷幸喜も含め出演キャストも非常に喜んでいたとか。
という事で3問目は以上。
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