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同じ地名が日本中にあるのはなぜ?チコちゃん


25年7月25日放送の「チコちゃんに叱られる拡大版スペシャル」の問題『同じ地名があるのはなぜ?』の答えなどまとめてご紹介。

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ゲスト出演者

【ゲスト】笑福亭鶴瓶、綾瀬はるか、本木雅弘

【VTRゲスト】純烈

同じ地名があるのはなぜ?

4問目の出題は、

なんでややこしいのに同じ地名が沢山あるの?

チコちゃんの答えは、

昔はみんな地元の事しか知らなかったのでよそに同じ地名があっても混乱する事が無かったから そして現代は今さら「変えて!」とは言えないから

解説は歴史研究家の一坂太郎さん。

大昔はコミュニティのサイズがとても小さく、生活の範囲が限られていたのでその中だけで通じればそれでOKという風潮が強く、他の地域の事は基本的に気にしていなかった、よそに同じ地名があってもそもそも知らないので問題にならなかったというのがシンプルな答え。

地名というものがいつから誕生したのか?その起源についてははっきりと分かっていないものの、日本で最初の統一国家とされている4世紀ごろのヤマト王権(大和王朝)では日本各地に同じ地名がある事を認識しつつも、同じ地名を禁止したり、改名させたりといった事を全く行わずに同じ地名を許容していたおかげで同じ地名が全国に増えていく事に。

大きなくぼ地がある事から「大久保」になったり、富士山が見える事から「富士見」になったり、城の正面玄関を意味する大手からとられて「大手町」など景色や土地の形状から名付けられたとされる地名は全国各地にあり、これは同じ条件の場所が各地に多くあったせいだったり。

他には移動して来た人たちが故郷の名前を付けるパターンも多くあって、例えば和歌山県の白浜、(那智)勝浦と千葉県の白浜、勝浦という地名は紀州半島の漁師たちがタイ漁の過程で北上をした先で辿り着いた房総半島で故郷と似た景色を目にしたことで故郷の地名を移動先でも名付けたという説。

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このパターンは北海道の北広島市にも表れていて、この地名は明治時代に中国地方の広島から開拓に来た人が北海道の土地を「広島村」と名付けた事が由来とされていたりして、北海道には全国各地からの開拓民が多かったことから北海道には岐阜、愛知、鳥取といった地名被りが多数。

ちなみに九州の福岡はもともと岡山県の地名がその起源だそうで、江戸時代の最初に武将の黒田長政が筑前一国(現在の福岡県北西部)の土地を与えられた際に博多の西側に武家の町を作り、黒田家のルーツである岡山県の備前福岡からとって福岡と名付けたという縁があったり。

明治維新の研究を専門とする一坂先生からすると、明治維新によって皇居を京都から江戸に移すという一大事業は京都の人たちからすると大きな衝撃となったはずで、それを少しでも和らげようと江戸の呼称を東京=東の京都と変更して配慮したりという苦心が垣間見えて、全国を治める政権というのは地方への配慮は欠かしてはいけないものだったのではないか?という推測。

これは大和王朝からずっと続いている伝統のようなもので、時の政権が地名に対して寛容な態度を取り続けてきたのは、地名=地方のプライドであり、それを刺激するのは地方の支持を失う事になりかねず得策ではないという判断があったという見解。

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つまり今さら名前を変えろというのは難しく、昭和45年に当時の自治省が出した通知には市の名称については既にあるものと同じになったり、類似しないように配慮する事というルールが明記されていて、これより前に作られた市の呼び名は基本そのまま。

東京と広島にある府中市はどちらも昭和29年に誕生し、東京の府中は4月1日、広島の府中は3月31日という一日違いの誕生日となっていて、これは偶然なのか狙って作られたのか定かではないというミステリー。

ちなみに日本各地に多く見られる地名の例としては、

  • 銀座:江戸時代に銀貨を作っていた場所を「銀座役所」と呼んだのが由来で東京、長野、徳島、山口、栃木など
  • 赤坂:一説には赤土の坂があったことが由来で東京、秋田、鳥取、長野、福島、富山、兵庫、青森、千葉、群馬など全国に10か所以上

など。

ちなみにアメリカの地名で多く使われる単語は中間地点を意味する「mid」でミッドタウン、ミッドウェーなどアメリカ各地にミッドと付く地名が多くあるという話も。

という事で4問目は以上。

※同放送回のその他の疑問はコチラ

NHK「チコちゃんに叱られる!」に関する全記事はこちらのリンクから

一覧:NHK「チコちゃんに叱られる!」

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