泥仕合の由来は?その元祖は歌舞伎の演目?チコちゃん
25年12月5日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『泥仕合って何?』の答えなどまとめてご紹介。言葉の由来を遡ると歌舞伎に行きつくようでその元祖となった演目とは?
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】細田佳央太、重盛さと美
【VTRゲスト】なし
泥仕合って何?
3問目の出題は、
泥仕合って何?
チコちゃんの答えは、
泥まみれになる歌舞伎の見せ場
解説は東京女子大学の光延真哉教授。
スタンフォード大学の客員教授を務める遠藤拓郎医学博士。
まず辞書的な意味を見てみると、泥仕合とは相手の弱点・秘密・失敗などを暴き合う醜い争いといった定義になっているようですが、元々の意味は歌舞伎の演目で泥だらけになって争う見せ場がその元祖。
そもそも歌舞伎が生まれたのは400年以上前の京都で女性が三味線に合わせて踊る女歌舞伎や若い少年たちが踊る若衆歌舞伎がメインで演じられていたのが当初。そんな歌舞伎はひいきの役者を巡って客同士のケンカ沙汰が頻発したせいで治安の悪化を招くという理由で幕府が禁止にするほど過熱していたようで、そこで生まれたのが成人男性が役者を演じる野郎歌舞伎で女歌舞伎が禁止されてしまったのでその回避策として男性が女性役を演じる女方(おんながた)がこの時に誕生。
実際の女性よりも動きや所作を強調する事で女性の理想像を作り上げるというアプローチも含まれたこの女方は演じる役柄に合わせて格式の高さや気品なども漂わせる高度な技術を持ち合わせており今日では芸術の域へ。
スポンサーリンクそして1600年代後半になると歌舞伎の演技についても大きな進化を遂げたそうで、京都や大坂の上方ではなよなよとした二枚目男性の色っぽい姿を表現する和事(わごと)という演技形態が発展し、一方で江戸では見得や六方といった力強い演技や顔に特徴を付ける隈取を取り入れた荒事という演技技術が発展して和事では恋愛などにおける感情の機微を表現し、荒事では超人的で豪快な力強さを表現できるようになって歌舞伎の演目の幅は大きな広がりを見せる事に。
さらに1700年代後半になると大坂を中心に舞台装置も様々なものが考案されていき、せり出しは床下から役者を登場させる仕掛けで幽霊や妖術使いを突然出す事で客を驚かせる働きがあり、廻り舞台は舞台中央の床を回転させて素早い場面展開と共にワクワク感を演出したりと大いに発展。
このお客さんを喜ばせるという観点でこの時代に生まれたのが泥仕合で、歌舞伎では登場人物同士が争う場面が登場しますが、ある特殊な状況で行われる場合に限っては○○仕合といくつかバリエーションを持って呼ばれていたようで例えば屋根のセットを組んでその上で争う場合には屋根仕合、舞台に水を用意して争う場合は水仕合など。
そんな中で寛延2年、1749年の「曽我後日難波(そがごにちなにわ)のかしく」という作品で泥仕合が演じられたという記録が残っていて、江戸時代の歌舞伎興行についてまとめた本には市松と助五郎という二人の役者が泥仕合をしたという記載があり、
芝居小屋の様子などを記した本には舞台に泥を用意して2人の役者が争うイラストも登場。
この演目に合わせて前方の席のお客さんは真菰(まこも)で編んだもので泥はねを防いでいたそうで現在でいうと水族館のショーで使われるビニールカバーのようなものもこの時既に生まれていたとか。
スポンサーリンク詳しいストーリーについては記録が残っていないので分からないものの、これが泥仕合の元祖とされていて、ここから徐々に泥で汚れながら争う様子から醜い争いを指す言葉へと転じて行き、1930年頃の国会の様子を記した文章の中に与野党の争いを泥仕合と表現する一文も登場して一般的にも用いられるようになって、1931年に出版された新語を載せた辞典にも掲載されるように。
ちなみに歌舞伎の泥仕合は今でも公演されているそうで、最近では2023年6月に博多座で「夏祭浪花鑑(なつまつりなみわかがみ)」が演じられた際に登場。
泥を塗りたくる事で争いの激しさをビジュアル的に表現しているこの仕掛けが由来というまとめで3問目は以上。
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