推しに全てを捧げてしまうのはなぜ? 思考ガチャ
21年7月2日放送のNHKEテレ「思考ガチャ!」では『推しにすべてをささげてしまうのはナゼ?』という疑問を海洋生物学・日本近世文学・認知心理学という複数の視点から解き明かすことに。オタ活が生活の全てになる人々の心理とは?
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3人の論客
今回登場するのは、
- 東京理科大学 森田泰介教授(認知心理学)
- 敬愛大学 畑中千晶教授(日本近世文学)
- 東京大学 佐藤克文教授(海洋生物学)
という3人の異なる研究分野を持つ研究者たち。
ここにレギュラーメンバーの東京学芸大学 小林晋平(宇宙物理学)を加えて議論を展開。
そもそもこの番組のコンセプトは「答えを出すのを目的とせず、一つの疑問に対して色んな観点で掘り下げてみる」というもの。
認知心理学
まず認知心理学で考えてみると、推しに全てを捧げてしまうその理由は、
「手が届かないから」
推しに対する感情の中には恋愛感情が含まれていて、その恋愛感情は心理学において6種類に分けられるそうで、今回のテーマで重要になってくるのが「アガペー」という感情。
細かい説明に移る前に森田先生が用意した心理テストについて見てみると、
Q. あなたが今一番好きな人やキャラクターを思い浮かべて当てはまる番号を全て答えてください。
- それに惹かれたのは顔やスタイルが自分好みだったから
- その笑顔が守れるなら自分の事は二の次
- 他の誰かに奪われるかも?と心配になる
この3つの質問の中でアガペーに関連しているのが2番。
ちなみに質問1はエロス(美への愛)で見た目の美しさに対する恋愛感情で、質問3はマニア(狂気的な愛)で相手を独占したいという恋愛感情の事。
このアガペー(献身的な愛)の性質は、
- 継続的に一方通行の愛情を注ぎこめる
- 自分を犠牲にしてでも相手の幸せを喜ぶ
といったもの。
アガペーは一方通行なので相手から返事やお返しが無かったとしても愛情を注ぎこむ事。
そして一方通行という事は相手に手が届かないので相手から被害を受けたり、拒否されたりする事も無く、安心して愛情を注ぎこめるという意味でもあったり。
自分の存在を拒絶されないので全てを捧げてしまうのでは?というのが認知心理学から見た推しへの愛だという事ですね。
距離が縮まり過ぎると「相手の見たくない所まで見てしまう」リスクも。
日本近世文学
次に日本近世文学の観点から考えてみると、推しに全てを捧げてしまう理由は、
「距離を縮めたいから」
江戸時代前期に井原西鶴が著した男色大鑑(なんしょくおおかがみ)は男同士の純愛な恋心を描いた作品集で、
そこに登場する物語「思ひの焼付は火打石売り」を元に分析。
主人公は玉川千之丞という京都の歌舞伎役者。
何とも美しい立ち姿に、世の女性が嫉妬してしまう程に美しい顔立ちだった千之丞は人気の歌舞伎役者。
そして当時の歌舞伎界にはファンが盛大な宴会を開いてお金を払ってその会に役者を招き、ファンと役者の距離を縮めるというシステムがあったとか。
そんなある日、千之丞は「鴨川の河原を寝床にして拾った石を火打石にして売って生活する男がそんな暮らしになってもなお、千之丞の事を忘れられずに『玉川心淵集 (=千之丞に溺れるあまりに借金のふちに沈んでしまったという内容)』という本を書いて仲間に見せているらしい」という噂を聞く事に。
実はこの河原暮らしの男性は元々は尾張の三木様と呼ばれるほどの大金持ちだったのが、千之丞に入れ込み過ぎて破産してしまったという経歴の持ち主。
そんな経緯を知った千之丞は男に会いに行く事に。
スポンサーリンク河原で男を探し求める千之丞はついに再会を果たすことになりますが、
「さっきからお声をかけておりましたのに名乗ってくださらないなんて、それはもう深くお恨み申し上げますよ。」とちょっとしたツンデレ発言。
こうして無事再会を果たした2人ですが、ポロポロと涙を流す千之丞と複雑な表情を見せる三木様という微妙な空気が流れる事になり、
いつしか夜が明けて芝居小屋の開場時間が近づくと、
「今日の夕暮れをお待ちくださいませ。お迎えに参ります。」とだけ言い残しその場を去る千之丞。
ところが三木は千之丞を見送りながら「つまらぬ人が訪ねて来て、私の楽しみの妨げじゃないか…。」と言い残してどこか遠くへ去ってしまうという物語のオチ。
少し性質は違いますが、昔からファンクラブメンバーが推しに貢ぐシステムがあったという事が分かる物語で、人間の普遍的な欲求というのは今も昔も変わっていないというのが日本近世文学から見た推しへの愛。
ところが距離が縮んだかと思いきや、リアルな推しを求めるよりも自分の頭の中にだけ存在する抽象的な推しに捧げる気持ちだけで完結していたので、実際に会っても何の感情も抱かないという事に。
例えば、気に入ったお店があって足繁く通っていた所、店主から顔を覚えられてすっかり常連さん扱いされるようになった途端に急に距離を取りたくなって足が遠のくなんて事ってありますよね。
追いかける立場だったのに追いかけられる立場になった途端に急に冷めるというか何というか。
片想いだった頃が一番好きで、両想いになった途端に冷めるみたいな。
海洋生物学
海洋生物学的観点から考えてみると、
「命懸けだから」
佐藤先生が議論の出発点にしたのは「野生動物には推しってあるの?」という点。
野生動物にもし推しが存在するとするとそれは「子孫=自分のDND」ではないかというのが佐藤先生の考え。
オオミズナギドリという海鳥は毎年オスとメスがペアになって一度だけ一羽のヒナを育て、オスとメスが交代して餌をとりに行って子育てしますが、5ペアいると1ペアぐらいはお父さんと子どもに血のつながりが無いペアがいるとの事。
要するにお母さん鳥が浮気をして作った子ども。
メスは子どもに伝える遺伝子を少しでも有利にするべく良い遺伝子を持つオスと交尾しようとするという至極当然な動き。
オオミズナギドリではどういったオスが浮気されやすいのか?という研究では「小さなオスが浮気されやすい」傾向に。
体が小さいと生存競争を勝ち抜くのに不利になってしまうので、そこだけ何とかしようと別のオスの遺伝子をいただくわけですね。
人気のオスにはライバルも多く存在するので、二番人気、三番人気辺りで妥協しつつ、遺伝子だけ良さそうなのをいただくという事でも。
その際にポイントになるのは良い家(巣)を持っているオスだそうで、巣持ちであればとりあえず結婚まではこぎつける事が出来るという合理的な世界。
つまり海洋生物学的に考えると自分の推しである遺伝子に全てを捧げるのは子孫繁栄のための命懸けという事ですね。
推しへの愛という意味ではかなりズレてしまったように感じますが、野生動物は遺伝子に正直に生きているように見える一方で人間はなかなか一筋縄ではいかないようですね。
スポンサーリンク宇宙物理学
宇宙物理学的な観点で考えてみると、
「電子が見えるようになるのと同じ」
物理学にのめり込むうちに電子を表すただの記号だったものに親しみが湧いて来てだんだん好きになって来るというのが小林先生の見解。
推しに全てを捧げるようになるプロセスとしては、
興味が湧く → 調べる → 詳しく分かる → もっと興味が湧く
というエンドレス。
そしてさらにポイントになるのが「時々自分の予想が裏切られる」という事。
研究に没頭すると謎が生まれると楽しいと思えるようになってくるそうで、それは推しを追いかけるのと同じ状態ではないか?という事ですね。
知的好奇心をかき立てる為の大事な要素の一つが「裏切られたり、矛盾を感じたりする事」と認知心理学の森田先生もこれには同意。
これはどんな分野にせよ研究者には共通して巻き起こる感情ですよね。
まだまだ世に知られていないマイナーなアイドルを推して応援するのは、まだまだ研究が進んでいない分野を開拓する意識にも似ているのかも。
まとめ
そのいく果てに何が得られるか?というよりも推しを追い続ける事で「生きている時間がより充実する」という点が大事で、終わりが無いのも良い所。
また、その果てに何があるのか?というのは答えを知りたいような知りたくないような複雑な感情も。
何か楽しみにしていた旅行などのイベントはその前日まではワクワクのピークで、実際にその日になってみると意外と拍子抜けしてしまったりという予期感情と呼ばれる現象なども。
「推しは平和の象徴」でもあって、野生動物のように食うや食わずの弱肉強食の世界では推しを持てるような余裕があるはずもなく、その社会が平和だから存在するというのも一つ。
最後にスティーブン・ホーキング博士の「宇宙は、そこに愛する人がいなければ たいした意味はない」という言葉で〆。