初詣に行くのはなぜ?京急電鉄と徳川家康のおかげ?チコちゃん
23年1月6日放送のNHK「チコちゃんに叱られる 拡大版SP」の問題『初詣に行くようになったのはなぜ?』の答えは徳川家康&京急電鉄の経営戦略という事で番組内容を簡単にまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】大森南朋、有村架純、杉野遥亮
【VTRゲスト】松本潤
初詣に行くようになったのはなぜ?
2問目の出題は、
なぜ一斉に初詣に行くようになった?
新聞社が仕掛けたイベントといった答えが出ていますが、
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
VTRで松本潤にも同じ疑問をぶつけてみると家康公への挨拶が初詣の始まりという答えが出たので、
という事でチコちゃんの答えは、
京急電鉄の戦略
解説は川崎市民ミュージアムの鈴木勇一郎さん。
初詣に行くという風習が生まれたのは意外と最近の事で明治時代がその始まり。
それまでの江戸時代までの新年のお参りといえば近所の神社に大晦日から元旦にかけて行く「年ごもり」や、各神社が定めた「初縁日」に参拝するのが一般的。
そもそもは各家庭で別々のタイミングで関係の深い地元の神社などにお参りに行くのが初詣だったのが、
みんなで一斉に集まる初詣のイメージに変えさせた張本人が何を隠そう徳川家康。
家康は徳川家の繁栄の為には民衆に一揆を起こさせない事が重要と考え、
今でいうパワースポット巡りのようなイメージで「七福神めぐりを行えば願いが叶う」という宣伝文句と共に七福神めぐりを流行らせて人々の心を穏やかにしようと画策。
この戦略は縁起物好きの江戸市民の心をぐっと掴んで人々は遠くの神社まで足を運ぶように変化。
さらに江戸時代中期に入るとその年の縁起の良い方角にある神社をお参りする恵方参りも流行。
そして初詣=三が日に行くというイメージを定着させたのが京急電鉄の戦略。
明治5年に日本初の鉄道となる新橋-横浜間が開通して新橋、品川、川崎、鶴見、神奈川、横浜と6つの駅が設置されましたが、
この中で一番人気だったのが川崎でその人気を支えたのが駅から3kmの地点にある川崎大師。
列車に揺られて川崎大師にお参りに行くのがブームとなった事で鉄道利用者は増えることになりますが、これに目を付けたのが京急電鉄の創業者・立川勇次郎。
川崎大師へのお参りルートに鉄道を敷設すれば利用客が見込めるのでは?という目論見で、川崎近くの六郷橋から川崎大師まで2kmの鉄道「大師電気鉄道(のちの京浜急行電鉄)」を開業。
この経営戦略は大当たりして鉄道利用客で大盛況。
すると開業から5年目に立川勇次郎はさらなる一手を繰り出して、政府の官設鉄道に並行する形で民間でも同じルートに鉄道を敷いてやれとばかりに品川-神奈川間に京浜電鉄(のちの京急電鉄)を敷設。
こうなると同じルートに2つの鉄道が走っているわけで、当然ながら客の奪い合いが勃発。
明治38年に日本は日露戦争の真っただ中。
官設鉄道は戦費調達のために運賃の値上げを実施する中、京浜電鉄は好機とばかりに値下げを敢行。
これで利用客を奪った京浜電鉄ですが、
これに対抗して官設鉄道では年末年始限定の高速列車「最急行」の運行を開始して新橋-横浜間を1時間から27分に短縮しつつ料金も今までの半額にするという大規模改革。
安くて速いとなれば当然客は官設鉄道に流れるわけで、そこで立川勇次郎が打ち出したのが「初詣(はつまいり)は川崎大師」と大々的に宣伝するという戦略。
この作戦は大いにハマって毎年の年末年始になると初詣の広告が打たれて恒例に。
これを見た他の鉄道会社も京成電車の成田山、阪神電車の西宮神社といったように「初詣=電車に乗って一斉に神社に向かう」イメージ戦略を追従して、
やがて世間の初詣のイメージが確立される事に。
また、明治6年に休日が定められて三が日が休日となった事で、一斉にこの時期に初詣に行くようになった要因にもなっているとか。
という事でコチラが結論。
初詣に行くようになったのは京急電鉄の戦略
でした。
2問目は以上。
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