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第34回「石橋貴明のたいむとんねる」みらうじゅんさんと昔流行ったブームについて振り返る


19年1月7日の新年一発目の放送を迎えたフジテレビ、第34回「石橋貴明のたいむとんねる」はゲストにみうらじゅんさんを迎えてテーマは「あの頃どうかしてたブーム大反省会」という事でスーパーカー、ゴンドラ結婚式、セーターブック、ハイレグ、飲尿健康法などを振り返り。さらにみうらじゅんさんと野茂英雄さんの思い出話やみらうじゅんさんが仮面ノリダーの制作に携わっていたなんて裏話も。

実はタカさんは昔、飲尿健康法を行っていた事もあるんだとか。

というわけで19年1月7日放送の第34回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をご紹介します。

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出演者

【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ

【ゲスト】みうらじゅん

【ウェイトレス】なし

【ナレーション】山中まどか

オープニング

まずはみうらじゅんさんとタカさんの関係についてですが、

30年ほど前に糸井重里さんの事務所でとんねるずのお二人とモノポリーをしたことがあるというかすかな記憶があるとみうらじゅんさん。

みうらじゅん「何か覚えてません?」

石橋「モノポリーやりました。」

夜に糸井さんからみうらじゅんさんに「モノポリーに一人足りないから来い。」という電話が。

急いで現地に向かうととんねるず&糸井の3人でモノポリーの準備をしていたそうw

ただ、みうらじゅんさんは土地を売買したりするモノポリーが実は嫌いとの事。

みうらじゅん「汚れてる世界嫌いなんで。タカさんかなんかに適当に(土地を)売ってたんですよ。メンドくさいから。したら糸井さんに『適当にするな!!お前はフザけてんのか!!』って言われて、俺その夜途中で帰されたんですよ。」

石橋「(笑)」

タカさんはみうらじゅんさんの話で思い出したようですね。

さらに、みうらじゅんさんはみなさんのおかげですの仮面ノリダーが大好きで雑誌テレビジョンの勝手に記事を掲載したりしていたそう。その記事を見かけた港浩一さんから直々にみなさんのおかげですのブレーンとして参加しないか?というお誘いがあったとの事。

みうらじゅん「見たら『ブレーン』って書いてあるから、頭って何だろう?と思って。よく分かんないまま何回かやって。パロディーものとか結構ネタ書いたと思います。」

実はみうらじゅんさんは仮面ノリダーの制作スタッフとして関わっていた時期があったとの事。

それはさておき、今日のテーマは「あの頃どうかしてたブーム大反省会」と題して今考えると疑問が残る謎のブームについてのトークですね。テーマがテーマだけにマイブームという言葉を作ったみうらじゅんさんをゲストに迎えるのも納得。

今回は5つのブームのどうかしたっぷりを順々に反省していくという趣旨。

  • 70年代 スーパーカーブーム
  • 80年代 ゴンドラ結婚式ブーム
  • 80年代 セーターブックブーム
  • 80年代 ハイレグブーム
  • 90年代 飲尿健康法ブーム

※番組では順不同で紹介。

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80年代 ゴンドラ結婚式ブーム

本題のトークに入る前にミッツさんが取り出したのは「イヤーキャンドル」。

90年代初頭に流行った代物で耳に差して先端に火をつける事で耳垢が取れるという耳掃除グッズ。

ただ実は大量に取れた耳垢はロウソクのロウが溶けたもので耳垢では無く、現在はリラクゼーショングッズとして販売されているとか。

みうらじゅん「悪魔の儀式じゃないですよ?これ。」

そしていよいよ本題の「80年代 ゴンドラ結婚式ブーム」の話題へ。

1980年代後半には団塊の世代ジュニアの婚姻数の増加に伴ってブームに。

披露宴で新郎新婦がゴンドラに乗って上から登場するという演出は定番のものでした。

1977年に大阪の森口玉姫殿が初めて導入。バブル期の豪華絢爛なハデ婚のシンボル的存在がゴンドラでしたね。

ちなみにハデ婚の4つの特徴は、

  • スモーク
  • ミラーボール
  • 背の高いケーキ
  • ゴンドラ

これらの演出がハデ婚のある意味必須条件。特にゴンドラは人気が高い演出で最盛期には守口玉姫殿だけで年間1200組が利用したとか。

さらにハデ婚は進化を遂げ、

ちょんまげを結って行うちょんまげ婚、ヘリコプターから登場するヘリコプター婚、白馬の馬車にひかれて登場する馬車婚なども。その後バブル崩壊を機に一気に地味婚化へ。

石橋「芸能人あれ(ゴンドラ)はやってないですよね?」

ミッツ「ダウンタウンの浜田さんが。」

石橋「は~あ。」

みうらじゅん「わざとでしょ?どうかしてるって分かった上でですよね。そうしないと、どうかしてますよね。」

ネタ的に行ったという意味合いも。それにしてもこの番組では浜田さんの名前がよく出てきますよね。

コチラが視聴動画。

ちなみに現在でもゴンドラは健在ですが、新郎新婦ではなく、恩師や友人、親せきなどがサプライズ登場する際に利用されているとか。披露宴に残念ながらこれ無かったハズなのに、あえて盛大に登場して新郎新婦を驚かせるという演出みたいですね。

みうらじゅん「快傑ズバット的なやつ。」

また、先ほど出た背の高いケーキについては、昔の芸能人の披露宴ではケーキの高さが何メートルだったというのが話題になっていたとタカさん。

切る所だけが本物のケーキになっていて、あとは発泡スチロールで出来たものだったとタカさん。

流れで「ケーキ入刀」をもじって「ケーキ乳頭」というギャグは今でも一応は通じるとみうらじゅんの見解w

また、初めての共同作業は既に終わっているだろ?というイジりも健在のはず。

タカさんは五木ひろしさんの披露宴に出席した際の思い出があるようで、その時のご祝儀は予め決められていたという裏話。

石橋「うわっ!!っていう。こんな事言えないな・・・笑」

事前に決まっていた金額まではさすがに言えないとの事w

ご祝儀の額もかなりの金額を包むのが流行っていた時代で今と比べて桁が1つ違うそう。

みうらじゅん「嫌な時代ですよね。」

石橋「浮かれ上がってましたね。この間もそんな話になったんですけど、タカさんあの時代どうでした?って言われた時に・・・。『浮かれてた。』って。笑」

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80年代 ハイレグブーム

1980年代に日本のビーチを席巻していたのがハイレグ水着。

ハイレグとはHigh leg cut(ハイレッグカット)の略で1978年にイスラエルのデザイナーであるギデオン・オバソンが発表。

そのせいかイスラエル最南端の街、エイラートはハイレグ発祥の地と言われているとか。

ハイレグの特徴は、

  • 脚を長く見せる
  • セクシーで人目を引く
  • 動きやすい
  • 涼しい

など。

やがてハイレグの切れ込んだ角度は年々狭く、過激に進化してウエストラインの上まで切れ込んだものはスーパーハイレグと称すように。最盛期には売り上げの8割がハイレグ水着だったとか。

当時ハイレグ水着を着ていた世代によると流行りでハイレグ水着しか売られていなかったとの事。

露出についてもみんなが着ているのが普通だったので水着=ハイレグというイメージで抵抗が無かったそう。

その後は真逆にパレオ付きなどの露出を抑える水着が流行しハイレグは衰退。

これに関連してファラ・フォーセットの名前を出すみうらじゅんさん。

他にはエアロビやクラリオンガールの烏丸せつこさんなどの話題も。

居酒屋にあるビールの広告ポスターも当然ハイレグ。

みうらじゅん「昔はね、剃り跡がすごい気になったんですよ。前はプツプツしてた。」

石橋「ボーボー系が。」

みうらじゅん「棒棒鶏と書いてボーボー鶏。って言ってましたよ。」

という事で現在のモデルさんがハイレグファッションを着た状態で登場。

登場するモデルさんに逐一「ボーボー?」と投げかけるタカさんw

まずはエアロビことエアロビクスファッションのハイレグ。モデルは太田モニカさん。

リーボックの白スニーカーにルーズソックス。リストバンドとヘアバンドも定番の組み合わせ。

石橋「リーボックの靴が流行ってね。実は韓国の人が作ったんじゃないか?つって。リーさんとボクさんが。笑」

続いてはレースクイーンファッションのハイレグ。モデルは青山めぐさん。

トリコロールカラーのボディーが定番。モデル時代の蓮舫さんやZARDの坂井泉水さん、爆笑問題の太田さんの奥様で事務所社長の太田光代さんなども元レースクイーンでバリバリに着ていたはずとミッツさん。

モデルの青山めぐさんは5年前まではレースクイーンをされていたそうで、ハイレグを着るとテンションが上がるとの事ですが、今はレースクイーンでもハイレグ禁止のルールになっているので今回がハイレグ初体験だとか。2009年にSUPER GTでハイレグは全面禁止に。F1も2018年から決勝レース前のグリッドガールを廃止。女性蔑視という反対意見への対応策で止めていく方向ですよね。ただ、着る側は気合が入ると裏腹な意見。

最後は蛍光ハイレグビキニ。モデルは天野麻菜さん。グラビアでもビキニは未だに定番ですが、下の三角形の形状が明らかに現在のものとは違いますよね。

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90年代 飲尿健康法ブーム

1990年代にはコイン健康法、酢大豆、ゴムバンド、紅茶キノコなどの健康法が乱立しましたが、その中で特にキワ物だったのが飲尿健康法(療法)。

その名の通り、自分の尿を飲んで健康になるという考えですが、意外に歴史は古く、鎌倉時代から行われていたとか。時宗の開祖である一遍上人が実践していたとの事。

そのブームのきっかけは1990年に出版された「奇跡が起こる尿療法」という本。

尿は血液から作られたもので健康に良い成分を多く含むので健康に良いというのがその趣旨。

ただ、90年代中ごろには科学的有効性が充分ではないとの反論が多く上がり、ブームは下火に。それでも現在、数万人の人が飲尿健康法を行っているとか。

そこで自身も飲尿健康法の実践者である小杉中央クリニックの布施純郎院長にお話を伺ってみると、

軽い食物アレルギーが少し改善したと話す布施院長。

保湿剤や血液をサラサラにする薬などは尿から開発されているので尿は有益であるというのが布施院長の考え。

みうらじゅん「あの先生の出すおしっこっがいいんじゃないの?って思っちゃう。個人差があるんじゃないかな?って当時から僕思ってたんですよ。」

石橋「他人のはダメなんでしょ?自分のじゃないと。僕だってやってましたもん。コレ。古舘伊知郎さんがやってて。古舘さんが普通の『グラスじゃ飲まない。一番お気に入りのバカラのグラスでこうやって。』って。」

朝一のおしっこをバカラのグラスに注いで飲むという事を古舘さんから聞いてオススメされたタカさんは、自身もそれに倣ってバカラのグラスで我慢しながら飲んでいたとタカさん。

みうらじゅん「そういう時にやっぱり『一気!』とか出たんですか?」

コチラが視聴動画。

ちなみに年に一回、飲尿健康法の実践者たちが集まる「いのちの水大会」(通称:尿大会)が開かれていて約500人が参加しているとか。

歳を取ってくると頻尿気味になるので、コンサートなどを観に行ってもトイレ待ちの列に並ぶぐらいなら、飲尿グッズを売り出せば良いのでは?とみうらじゅんさんの意見w

みうらじゅん「一応、シヴィン(尿瓶)って呼んでんだけど。カルロス・ジョン・シヴィンみたいな。ボサノバの感じ出す。」

何を言っているんでしょうか?w

ここで本編とは外れたこぼれ話。

みらうじゅんさんが自作で作っていた(実際は友人に作ってもらった)タイガーマスクの虎の穴の本部の像を野球雑誌か何かの雑誌に掲載した所、元メジャーリーガーの野茂英雄さんがまだ近鉄にいる時代に、是非欲しいという連絡が。

ちなみにその像は雑誌の連載企画で様々な土地にその像を置いて記念撮影をしていくというもので使う小道具だったとか。

みうらじゅん「僕、全然野球の事分かんないんで、“ホモ”からって聞いたんですよ。だからそんなんあげなくていいんじゃないですか?って言ったんですよ。」

まさか“野茂(のも)”をそう聞き間違えるとはw

ただその後に実際に像を野茂さんに渡す贈与式が開かれて、今度海外に行くかもしれないからその時には玄関に飾るという話を野茂さんから直接聞いたとみうらじゅんさん。

つまりそれは野茂さんがメジャーリーグに移籍するという話だったとの事。

みうらじゅん「僕が一番最初に聞いたんですよ。誰よりも。スポーツ新聞知らない頃に。」

さらにお返しとしてサインボールを貰ったというみうらじゅんさん。

「虎の穴」と書かれた野茂さんのサインボールを未だに大事に持っているそうですw

みうらじゅん「虎の穴出身じゃないのに書いてんですよ。それは偽りありですからね。」

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70年代 スーパーカーブーム

この時代に少年たちや大人までもが熱中していたのがスーパーカー。

そのきっかけは漫画「サーキットの狼」。

日本各地でモーターショーが開催されて群がる客の数に警察が出動する騒ぎにも。

店内で写真が撮れるディーラーの前には長蛇の列。

街中をスーパーカーが走れば駆け寄る人の群れで動けなくなる事も。

そんなスーパーカーブームの人気車種5台と言えば、

  • ランボルギーニ カウンタック LP400 (1974年) 当時約1900万円
  • ロータス ヨーロッパ スペシャル (1973年) 当時約285万円
  • ポルシェ 930 ターボ (1978年) 当時約1340万円
  • ランボルギーニ ミウラ P400 (1967年) 当時約2000万円
  • フェラーリ 365 GT4 BB (1971年) 当時約1800万円

ブームに乗っかって走行音だけを収録したレコードも登場。

しかし、1979年にサーキットの狼が連載終了。と同時にブームは下火に。

スーパーカーの性能を発揮する場面が都心ではなかなか無いという事で「持ち腐れた巨根」と表現するみうらじゅんさんw

当時、みらうじゅんさんのお寺の息子だったという友達に、跡継ぎになるならスーパーカーを買って貰えるという約束でスーパーカーを買って貰った人がいたそう。

ミッツさんですら当時人気のスーパーカーの名前ぐらいは覚えているというほど。

みうらじゅんさんは「ランボルギーニはボラギノールにつながったりする。イメージは。」とまためちゃくちゃな事をおっしゃってますがw

80年代 セーターブックブーム

この時代に手編みのプレゼントを贈る習慣が定着。

そこでブームになったのがセーターブック。

セーターブックとはセーターの編み方をまとめた実用書。

そのブームのきっかけは実用書ながら当時話題のタレントや俳優などをグラビアのモデルに起用するという斬新な手法。

例えば、東幹久、陣内孝則、森脇健児、高嶋政宏、阿部寛、中村俊介、野村宏伸、草刈正雄、赤井英和などなど。

タカさんは「何これ?」と初耳のご様子。

ページには手編みのセーターの編み方を解説するとともに、その完成したセーターを実際に着用する人気タレントたちの笑顔の写真付き。写真集と実用書を一緒にするという手法だったんですね。

当時はセーターブックの表紙を飾るのがステータスで、中でも1987年出版の陣内孝則さんのセーターブックは売り上げ部数10万部を突破するほど。

このブームは90年代中ごろに下火に。

手編みのプレゼントは「重たい」というイメージがあってか、今では編み物自体をしない女性が増えているとか。

番組調べでは編み物の経験がある20代女性は20%との事。

石橋「初めて知った。セーターブックっていうものがこんなに世に出ていたなんて事を。」

都はるみさんの曲「北の宿」に出て来る歌詞の一節「着てもらえぬセーターを 寒さ堪えて編んでます」がブーム終焉のきっかけでは?とみうらじゅんさん。

みうらじゅん「着てはもらえぬっていう事がハッキリ分かったから。」

また、素人が編むと首が詰まりがちで「殺す気かな?って思うようなやつを作ってくるから。」との事w

その頃は電車内で学生が編み物をしている姿もよく見かけたとのタカさん。

みうらじゅん「まだ隣で授乳とかしてる頃のやつでしょ?」

昔は授乳ケープなどで隠す事も無く、堂々と赤ちゃんにおっぱいをあげる様子も普通の光景でしたね。

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エンディングトーク

最後にまた野茂さんの話題に。

石橋「野茂が今虎の穴をちゃんと飾っているのかどうかを確認したいですね。」

みうらじゅん「僕は(サイン)ボール持ってますからね。捨ててません。持ってますから。もう一回見たいです。」

野茂さんと知り合いを通じて連絡が取れるというタカさんは聞いておくとの事。

みうらじゅん「羽根は確実に折れてると思うんですよ。一回やってますから。」

実は贈与式の際に折れてしまった羽根を接着剤で急きょ付けるという応急処置をしていたとみうらじゅんさんの証言。

石橋「でもロスでトミー・ジョン(手術)を受けてるかもしれないですよ。」

みうらじゅん「ですよね。笑」

ミッツ「ロケとか行けないのかしら?」

石橋「行きたいですね。」

みうらじゅん「ロケ断るってことは無いってことですよね。」

果たして野茂さんのご自宅訪問ロケという壮大な企画が実現する日は来るんでしょうか?

そして次回予告では、

「あの男再び」という事で柳沢慎吾さんが2回目のご出演。プラスして車好きというモデルのマギーさんもゲストに迎えて車について語る放送のようです。お得意の舘ひろしのモノマネも披露してやっぱり暴走する柳沢慎吾さんが見れそうですね。

ちなみにコチラが前回登場した際のもの。18年5月7日放送の第4回放送ですね。

【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】

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