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ウィンブルドン選手権6日目 フェデラーが明かすミルカ夫人との絆。心温まる素敵なエピソード


ウィンブルドン選手権は大会日程の中程に日曜日(ミドルサンデー)の休養を挟んで、いよいよセカンドマンデー。セカンドウィークのスタートを迎えますが、ミドルサンデー直前の大会6日目には男子シングルス3回戦が行われ、試合後の記者会見に臨んだロジャー・フェデラーから素敵なエピソードが語られました。

それは最愛の妻、ミルカ夫人との絆についてのものでした。

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3回戦後の記者会見

男子シングルス3回戦 ロジャー・フェデラー vs ミーシャ・ズベレフ戦は7-6(7-3)、6-4、6-4のスコアでフェデラーがストレート勝利を飾り、4回戦進出。

試合後に行われた記者会見では4回戦の対戦相手となるグリゴール・ディミトロフについての話が多く語られたのですが、その後に続いてフェデラーの奥様、ミルカ夫人についてのコメントが。

彼女抜きではこの生活は考えられない。

もし、彼女が世界中を旅する生活はもういやだと言うなら、その時点で「OK。お終いにしよう。」

とてもシンプルで、ただ、それだけのことだ。彼女が鍵なんだ。

でも、彼女はこの生活を喜んでいてくれる。ただ、4人の子ども達を連れて常に世界中を周るわけにはいかないから、シュツットガルトとハレ(※ウィンブルドン前哨戦として2大会に出場)には僕だけで行ったんだ。

ウィンブルドンでは僕たちは一緒いられるし、とてもよい時間を過ごせているよ。

彼女は夢を追いかけるのを助けてくれているし、それはとても幸せなことだよ。

というのも、彼女のほうだって僕と同じようにその夢に夢中なんだ。

素晴らしいサポートをしてくれているし、彼女がベストだ。ウィンブルドン選手権6日目 試合後の記者会見 フェデラーが明かすミルカ夫人との絆

とても素敵なエピソードを披露してくれました。

やはり、家族のサポートあってのキャリアだということを改めて感じさせてくれる記者会見のコメントでした。

ちなみにこれは全豪オープン公式ページが公開している2017年全豪オープンの優勝後のバックヤードの様子です。トロフィーと奥様を抱きしめるフェデラーの様子がしっかりと映されています。

ミロスラヴァ・”ミルカ“・ヴァヴリネック

少し、フェデラーの奥様、ミルカ夫人について補足。

旧姓ミロスラヴァ・ヴァヴリネック。※元々の姓はヴァヴリンコーヴァ

メディアでは愛称の「ミルカ」が一般的な呼び名として使われていますので、ミルカ・フェデラーと呼ばれることも多いですね。

1978年4月1日生まれ。

チェコスロバキア出身ですが国籍はフェデラーと同じスイスです。

9歳の頃にマルチナ・ナブラチロワと出会い、テニスを始め、順調にテニスキャリアを積み上げていき1998年、19歳の時にプロ転向。

しかし、キャリアを通じて悩まされたかかとの怪我の影響で2002年ごろに低迷。ちょうどその時期にフェデラーから自身のマネージャーとしての仕事のオファーを受け引退に至ります。

フェデラーとミルカの出会い

フェデラーとミルカの出会いは2000年のシドニーオリンピック。同じスイス代表として大会に参加したことがきっかけだったようです。

そこから交際をスタートさせて、2002年に開催されたホップマンカップ(※ウィキペディアでは2001年となっていますが、2001年のホップマンカップ、スイス代表はマルチナ・ヒンギスとロジャー・フェデラーですので誤り)では同じスイス代表で大会に出場。ダブルスでチームも組んでいます。

そして2009年3月に妊娠を発表して、4月11日に近親者のみを集めての結婚式を挙げます。

7月には双子の女の子の赤ちゃんが無事誕生。

2012年のウィンブルドン選手権では姉妹揃ってパパを応援する姿が。ウィンブルド2012 フェデラーを応援するミルカ夫人と双子の姉妹

そして2014年には今度は双子の男の子が誕生。

素敵な家族と共に、ロジャー・フェデラーの夢はまだ続くようですね。

 

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