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ロジャー・フェデラーの年度別の年間試合数、勝率、獲得タイトル数、獲得賞金額について


2018年の全豪オープンを制したことでついに生涯グランドスラム獲得数を前人未到の「20」の大台に乗せたスイスのロジャー・フェデラー。

四大大会だけで20タイトルを獲得しているわけですが、そんな彼はこれまでどのような成績を残してきたのか、年度別に年間試合数、勝率、獲得タイトル数、獲得賞金についてリストアップしてみました。

※ATPツアーのみの成績を基にしておりますので下部大会であるチャレンジャー大会やフューチャーズ大会などの成績は除外されています。

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1998年から2007年まで

1998年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
52勝3敗40%0$26,370

16歳でのプロ転向後初の試合は地元スイスで開催されたスイス・オープン・グシュタード。

ルーカス・アーノルド・キブロンに 4-6 4-6のストレートで敗れたのがフェデラーの長いプロキャリアの第一歩でした。この時の世界ランキングは702位。手にした賞金は$5,250でした。

この頃はまだジュニア大会への出場がメインだったため、ツアーレベルへの出場は3大会のみ。

ちなみに、この年に喫した1敗にはバーゼル・オープンで対戦した際にアンドレ・アガシ(当時世界ランク8位)にストレートで敗れたものが含まれており、ツアーレベルにおける初のトップ10プレイヤーとの対戦でした。

1999年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
3013勝17敗43.3%0$200,986

2月のマルセイユで当時世界ランク5位だったカルロス・モヤを破ったのが初のトップ10プレイヤーから奪った金星。

グランドスラムに次ぐマスターズ大会デビューは3月のマイアミ。この時は一回戦敗退の成績でした。

フェデラー初のグランドスラム大会本戦出場はこの年の全仏オープン。対戦相手は当時世界ランク3位のパトリック・ラフター。オープニングセットを奪ったものの続く3セットを連取されて1回戦敗退に終わっています。

また、ウィンブルドンでの本戦デビューもこの年でした。ワイルドカード(主催者推薦枠)での出場でしたがこちらも1回戦敗退。

芝の王者としての第一歩はぶ厚いグランドスラムの壁に跳ね返されてのスタートだったんですね。

1999年9月20日付の世界ランキングで95位をマーク。初のトップ100入り。

2000年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
6636勝30敗54.5%0$468,974

全豪オープン本選に初めて挑んだのはこの年。1回戦ではマイケル・チャンを相手にストレートで勝利したものの3回戦敗退という成績でした。

全米オープン本戦のデビューもこの年でこちらも3回戦敗退という成績。

グランドスラムの4大会全てで本戦出場を果たしたのはこの年が初めてのことでした。

この年に開催された2000年シドニーオリンピック男子シングルスでは準決勝の舞台でトミー・ハースに敗れ、銅メダル決定戦でもアルノー・ディパスカルに競り負けて4位という成績。

しかし、このシドニーオリンピックはロジャー・フェデラーにとっては人生を左右する重要なイベントでもありました。

それは、後の生涯の伴侶となるミルカ夫人との出会い。

オリンピックの最終日は二人にとってのファーストキス記念日でもあったと後にフェデラー自身がインタビューで答えていますね。

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2001年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
7049勝21敗70%1$773,591

エキシビション的に行われる1月の国別対抗戦であるホップマンカップ(大会のスタート自体は2001年12月30日からで年をまたいで開催)では同じスイス出身で女子世界ランキング1位に君臨していたマルチナ・ヒンギスとスイス代表としてホップマンカップを優勝。ATPツアー外ではありますが、この時に獲得したトロフィーがフェデラーにとってはプロとして初めて掲げたトロフィーとなりました。

ホップマンカップは男子シングルス、女子シングルス、混合ダブルスの3種目の合計勝敗数でタイトルを競うので混合ダブルスの試合では敗れたスイスチームですが、シングルスでそれぞれ勝利したので2勝1敗の成績で優勝を飾っています。

この時、フェデラーの1歳上にも関わらず既に世界ランキング1位の座を保持していたヒンギスから受けた影響について後に、

「彼女は何もかも違っていた。常にハードワークしていたし、真剣に物事に取り組んでいた。それでいてとても才能に溢れる選手だった。彼女から多くのモノを学んだし、一度はヒッティングパートナーして大会に参加し、一度はダブルスパートナーとして大会に参加した。今日の自分があるのは間違いなくあの時の経験のおかげだ。」と2018年に行われたインタビューで回想しています。

そしてついに待望のATPツアー初優勝。2月のミラン・インドアで初めてATPツアータイトルを獲得。

この年のウィンブルドンでは第15シードでの出場でしたが、4回戦で当時絶対王者として君臨していたピート・サンプラスとセンターコートで対戦。3時間41分に渡る7-6(7)、5-7、6-4、6-7(2)、7-5の熱戦をものにして一躍時の人に。試合後に感極まって涙する場面もありました。サンプラスの大会31連勝記録をストップしたのがこの戦いでした。

マッチポイントを決めた際、まるで優勝したかのように倒れこむフェデラーの姿が印象的ですね。

映像の24:35頃には観客に対して一礼するサンプラスの姿を見て慌てて「やべ。俺もしなきゃ・・・笑」的に自分も一礼するフェデラーの初々しい可愛らしい場面も。

続くティム・ヘンマン戦に敗れて準々決勝敗退に終わったものの、新たな時代の幕開けを象徴するような大会となりました。

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2002年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
8058勝22敗72.5%3$1,837,097

 マスターズ初の決勝進出は3月のマイアミ。そして5月にはマスターズ初タイトルをハンブルグで獲得。

8月にはジュニア時代をコーチとして支えてくれていたオーストラリアのピーター・カーターを交通事故で亡くすという悲劇に見舞われています。

2019年の全豪オープンに先立って行われたCNNのインタビューでは、

「彼(ピーター・カーター)はあなたが初めてのグランドスラムタイトルをウィンブルドンの地で勝ち取る1年前に亡くなってしまいましたが、後に20回もグランドスラムタイトルを獲った事をカーターはどう思っていると思いますか?」

と問われたフェデラーは、答えに詰まり、そして泣き崩れる事に。

そして「彼は誇りに思ってくれていると信じている。才能を無駄にするなと思っていたはずだし、彼の死は僕にとっては目を覚まさせてくれるものだった。そこから激しくトレーニングに打ち込むようになった。」とフェデラーはコメント。

今でも思い出すと涙を流してしまうほどにフェデラーの胸に刻まれた経験を生かしたせいか、この年には着実にランキングを上げていき、ランキング上位8名が出場できるマスターズ・カップに初出場。

世界ランキング6位でこの年を終えています。

2003年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
9578勝17敗82.1%7$3,877,080

この年には9つの大会で決勝進出を果たし、そのうち7つで優勝を飾る活躍を見せました。

そのうちの一つにはウィンブルドンで達成した自身初のグランドスラム初優勝も含まれています。

しかし、自身初の世界ランキング1位獲得へあと一歩の所で届かず、世界ランク2位でこの年を終えています。

ちなみにマックス・ミルヌイと組んで出場したマイアミ・オープンのダブルスで自身初となるマスターズ1000大会のタイトルを獲得したのがこの年。これは現在でもフェデラーにとっては北京オリンピックのダブルス金メダル(※後述)に次ぐダブルスのハイライトシーンとなっています。

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2004年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
8074勝6敗92.5%11$6,337,660

全仏オープンでは3回戦敗退に終わったものの、残りのグランドスラム3大会では全米オープンの初優勝も含めて総なめ。1年間で3つのグランドスラムタイトル獲得は1988年のマッツ・ビランデル以来の記録でした。

また、シーズン初頭の全豪オープンで優勝したことで遂に自身初の世界ランキング1位の座を獲得しています。ちなみにこの全豪オープンのタイトルがフェデラーにとっては初のハードコートのグランドスラム大会の優勝でした。

この年フェデラーは勝率90%以上を達成。これは1989年のイワン・レンドル以来となる快挙でした。

ちなみに74勝6敗で勝率92.5%という数字は1986年にイワン・レンドルが全く同じ記録でシーズンを戦っています。

この時のイワン・レンドルの獲得タイトルはグランドスラム2つを含む9つだったので、フェデラーの記録はさらにその上をいくものでした。

この年には後に終生のライバルとなるラファエル・ナダルとマイアミ・オープンでキャリア初対戦。初対戦はラファエル・ナダルが勝利しています。

2005年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
8581勝4敗95.3%11$6,110,468

ウィンブルドンと全米オープンを制してグランドスラム2冠。マスターズでは4冠を獲得。

1984年にジョン・マッケンローが達成した年間勝率96.47% (82勝3敗)という記録に肩を並べるかに期待がかかりましたが、最終戦であるマスターズ・カップにおいてダビド・ナルバンディアンを相手にフルセットの末に敗北。

マスターズ・カップ決勝のハイライト Part1

マスターズ・カップ決勝のハイライト Part2

最終的には勝率95.3%でこのシーズンをフィニッシュしています。

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2006年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
9792勝5敗94.8%12$8,333,585

フェデラーの2006年シーズンはオープン化以降でも1969年のロッド・レーバーに次ぐベストシーズンと言われ、キャリアの中でも絶頂期を迎えます。※ちなみに1969年のロッド・レーバーはグランドスラム4冠の完全制覇を達成し106勝16敗(勝率86.9%)という成績でした。

全仏オープンはナダルに敗れたもの、残りの3冠はフェデラーが獲得。この年にフェデラーが喫した5敗はラファエル・ナダルから4敗、アンディ・マレーから1敗というものでした。

ちなみに全仏オープン決勝がフェデラーにとっては初のグランドスラムの舞台での対ラファエル・ナダル戦でした。

2007年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
7768勝9敗88.3%8$10,111,510

全豪オープンでは全試合ストレートによる勝利という圧倒的成績で優勝。前年に続いてラファエル・ナダルに全仏オープンは奪われたものの、残り3冠を達成。

前年から連勝記録を伸ばしていたものの、インディアン・ウェルズの2回戦でギリェルモ・カナスに敗戦し記録は41連勝でストップ。続く大会(16日後)でも同じくギリェルモ・カナスに敗れるというフェデラーとしては珍しい記録。

同じ相手に2大会連続して破れるのはラファエル・ナダルを除いて2003年以来の事でした。

この年の全米オープンに全身黒い服装で登場したフェデラーは映画「スターウォーズ」の人気キャラクターであるダース・ベイダーにちなんで「ダース・フェデラー」とメディアから呼ばれていたというこぼれ話も。

これに合わせてフェデラーの入場シーンに『インペリアル・マーチ』正式名称:『帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)』が流されるという趣向も。

コチラは優勝セレモニーのシーンで流れるテーマ。

2008年から2018年まで

2008年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
8166勝15敗81.5%4$5,133,080

伝染性単核球症の病に悩まされた年(期間としてはシーズン初めの半年間ほど)。クロアチアの元トップ10プレイヤーであるマリオ・アンチッチが同じ病で半年間ツアーを離れた事も知ってたフェデラー。さらに自信が大ファンである地元のプロサッカーチーム、バーゼルFCの選手で同じ病が原因で2年間も試合に出場できなかった選手の事も知っていた事も手伝って、かなり慎重に治療を進めたとの事。

それでも全米オープンを制覇するところは流石ですが、全仏・ウィンブルドンと続けて決勝の舞台でラファエル・ナダルに敗北。ただ、この年のウィンブルドン決勝 ロジャー・フェデラー vs ラファエル・ナダルの一戦はテニス史に残る名勝負として後々にも語り継がれる事に。

コチラがロングバージョンのハイライト動画。

全て観たいと言う方はコチラ。ウィンブルドン公式動画なのでご安心を。

全豪オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチを相手に敗退。これで四大大会を10大会連続で決勝の舞台に立ち続けたロジャー・フェデラーの記録は途絶えることに。2005年のウィンブルドンから10大会連続となっていたわけですが、この全豪後も四大大会の決勝に立ち続けたロジャー・フェデラー。もし2008年の全豪も決勝に進んでいたら19大会連続で決勝に進んでいた事になるので恐ろしい記録です・・・。

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2008年北京オリンピック男子シングルスでは準々決勝でジェームズ・ブレイクに敗れ、最終的にラファエル・ナダルが金メダルを獲得した事で237週連続で保持していた世界ランキング1位の座を明け渡すことに。

ただ、親友でもあるスタン・ワウリンカと組んで挑んだ男子ダブルスでは見事金メダル獲得。フェデラーにとっては初のオリンピックメダル獲得となりました。

2009年

試合数勝敗勝率獲得タイトル数獲得賞金額
7361勝12敗83.6%4$6,761,806

生涯獲得グランドスラム数13の記録で2009年シーズンをスタートさせたロジャー・フェデラー。

初っ端の全豪オープンではラファエル・ナダルに敗れてピート・サンプラスの持つ生涯獲得グランドスラム数14には肩を並べられず。その後もイマイチピリッとしないシーズンを送るロジャー・フェデラーは結局、クレーシーズンまでに優勝はナシ。

それでもクレーシーズンに入るとマドリード・オープン決勝でラファエル・ナダルから勝利を挙げて見せ、

全仏オープンの舞台でラファエル・ナダルがロビン・セーデリングにまさかの敗北を喫した事で観衆の注目は一気にロジャー・フェデラーに集まる事に。そんな中、トミー・ハース戦、フアン・マルティン・デル・ポトロ戦と2回の5セットマッチをくぐり抜け、決勝のロビン・セーデリング戦ではストレートで勝利したロジャー・フェデラーが遂に全仏オープンのタイトルを獲得。これでキャリアグランドスラムを達成。

以下のハイライト動画には全仏オープンでフェデラーが戦ったベストマッチのトップ5が収められていますが、うち3つはこの年2008年の試合映像となっています。決勝を制して感情を爆発させて涙を流すフェデラーの姿には感動を覚えます。

この時に獲得した全仏トロフィー「Coupe des Mousquetaires」は現在でもフェデラーの持つ唯一の全仏タイトルとなっています。

こんなコマーシャルも制作されましたね。

その後、すぐさまグラスコートシーズンに移ったフェデラーはウィンブルドン決勝対アンディ・ロディック戦でファイナルセットのゲーム数16-14というマラソンマッチを制して勝利。これで生涯獲得グランドスラム数を15に伸ばしてピート・サンプラスの記録を塗り替えることに成功。

そして全米オープン準決勝ノバク・ジョコビッチ戦で炸裂させた股抜きショットによるパッシングはフェデラーのスーパーショット集の中でも必ず上位に来る伝説のプレー。「マジかよ・・・。」というジョコビッチの表情もとても印象的。

それでも決勝の舞台ではフアン・マルティン・デル・ポトロに敗れて優勝はならず。

 - テニス

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