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ゴルフのティー(Tee)の語源や由来。その発明の歴史とは?


ゴルフの最も豪快なショットといえば第一打で放たれるティーショット。美しい弾道で飛んでいくゴルフボールとともに弾け飛ぶティー。でもちょっと待ってください。

このティー(Tee)はなぜティーと呼ぶのか疑問に思ったことはありませんか?横から見るとアルファベットのTの形をしているから?うーん。どうでしょう。

そして現在使われているような形のティーはいつ頃に発明されたのかのも気になってきませんか?

というわけでティーの語源や由来、その歴史についても合わせて調べてみました。

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ティー(Tee)の語源

Teeの語源となっているのはケルト系言語の一つであるスコットランド・ゲール語(単にゲール語とも)で“house”(住居、家)という意味の“taigh”とされています。

16世紀のスコットランド発祥(注:オランダ、ベルギーという説もあります)のスポーツで「氷上のチェス」と言われるカーリングでは円状の的をターゲットにしてゲームが進行していきますが、この円状の的の事をhouse(ハウス)と言います。

初期のゴルフルールには前のホールの1クラブ長の円内にティーしなければならないとされていますが、これを図で描くとまさにカーリングのハウスになりますね。カーリング ハウス ゴルフとの関連

ティーの歴史

ティーに関するゴルフルールは時代によって大きく様変わりしていますが、初期には砂や泥を積み上げてその頂点にボールを置くという方法がとられていました。

しかし、19世紀の終わりごろには持ち運びが出来るティーを使い始める人々が現れ、1889年には世界初のティーの特許がスコットランド人のウィリアム・ブロックソム(William Bloxsom)とアーサー・ダグラス(Arthur Douglas)によって申請されています。1899年 ウィリアム・ブロックソム(William Bloxsom)とアーサー・ダグラス(Arthur Douglas)のゴルフティー特許

この頃のティーは地面に置いて使われる形でしたが、ゴム状の台座でボールを支え、鉄製の胴体を地面に突き刺して使うタイプのティーが1892年に発明され一般に販売されるようになります。

発明者は英国人のパーシー・エリス(Percy Ellis)で商品名は“Perfectum”でした。1892年 パーシー・エリス(Percy Ellis) 商品名“Perfectum” ゴルフティー特許

また、変わり種としては1896年に米国特許が申請されているもので扇状のスコアカードを丸めると円錐状になってティーとして利用できるものも記録として残っています1896年 スコアカード一体型の扇状ゴルフティー特許

そして現代のティーの原型と言われているのが、ボストン在住でアフリカ系アメリカ人の歯科医師であるジョージ・フランクリン・グラント(Dr. George Franklin Grant)が1899年に発明したティー。

木製で円錐形の胴体にゴムの台座で構成されています。しかしながら製品化されたという記録は残っていません。
ジョージ・フランクリン・グラント(Dr. George Franklin Grant)が発明したティー

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ジョージ・フランクリン・グラント医師の発明は胴体が木製で円錐形であったという点が現代のティーの原型とされている理由ですね。

ただし、その他のコンセプトなどはそれまでのティーとそこまで差別化できているわけではないので現代のティーの原型という肩書は少々大袈裟かもしれませんね。

ティーの普及

19世紀から20世紀にかけて多くのティーが考案・発明され特許申請されてきましたが、それとは対照的に、多くのゴルファーたちはそれまでの伝統や習慣であったり、ルールを気にするあまり、砂山で作った“オールドスタイルのティー”を使う人が大多数でした。

そんな状況が続く中、彼らの考えを大きく変えたティーが遂に登場します。

それが「The Reddy Tee」

ウィリアム・ローウェル・シニア(William Lowell Sr.) The Reddy Tee ゴルフティーの歴史

※画像の商品パッケージは発売当初のものとは限りません

1921年にニュージャージーの歯科医師のウィリアム・ローウェル・シニア(William Lowell Sr.)が発表したシンプルな木製のティーは作られた当初は緑に塗られていましたが、すぐに赤色に変更されています。これが名前のReddyの由来。

色を変更した理由はとてもシンプルで、赤いティーだと飛んでいった場合に探しやすいからというものでした。

往年の名選手として、そしてプロゴルファーとして活躍したウォルター・ヘーゲン(Walter Hagen)とオーストラリアのゴルフ史にその名を残すプロゴルファーであるジョー・カークウッド・シニア(Joe Kirkwood Sr.)によって行われた1922年のエキシビションマッチでプロモーションの一環としてこのティーが使われると世間の注目は赤いティーに集まる事に。

1920年 ウォルター・ヘーゲン(Walter Hagen)

ウォルター・ヘーゲン(Walter Hagen)

実はこの2人のプロゴルファーはThe Reddy Teeの生みの親であるウィリアム・ローウェル・シニアに雇われてこの試合を行っており、有名選手を巧みに利用したプロモーションの成功と言えますね。

このティーの特許申請は1925年になっていますが、1922年の時点で既に販売契約を結んでおり、1925年までに10万ドルの売り上げを記録しています。ちなみに材質は木製からセルロイド製に変更。

その後1926年には様々なコピー商品が出回るようになっており、特許侵害との戦いがウィリアム・ローウェル・シニアのライフワークとなっていったと言われています。

かくしてプロやアマチュアのゴルファーに広まった“The Reddy Tee”の形は現在使われているティーの形にそっくりそのまま引き継がれているというわけですね。

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