第18回「石橋貴明のたいむとんねる」ゲスト:飯島直子 ヘアスタイルトークとは関係ないあの“うんこ二郎”が再び!
8月27日に放送された第18回「石橋貴明のたいむとんねる」。ゲストに飯島直子さんを迎えて今回のテーマは「ヘアスタイル」。トーク中には飯島直子さんの「倒しましたね。」「自身最大のモテキ」「アフロヘア時代」などのキーワードについても。そして最後には第2回放送で披露された「うんこ二郎」さんの最新エピソードがタカさんの口から語られます。
というわけで8月27日放送の第18回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をご紹介します。
スポンサーリンク出演者
【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ
【ゲスト】飯島直子
【ウェイトレス】なし
【ナレーション】山中まどか
番組概要
フジテレビ系で4月17日から放送が始まったトーク番組。
長らく続いた「みなさんのおかげでしたが」が最終回を迎えて、間もなく始まったとんねるず石橋貴明さんのレギュラー番組。
放送時間は23:00から23:40までの冠番組となっていますね。
第9回放送では月9ドラマの「コンフィデンスマンJP」が最終回15分拡大SPということで23:15から23:55までの放送。
トークセットのコンセプトはレトロな喫茶店の雰囲気となっていて、MC役の石橋貴明さんが向かって右側、ミッツ・マングローブさんが向かって左側に座って、真ん中にゲストを迎えるというポジショニング(放送初回だけはMC役の左右が逆)
ちなみに第6回放送では向かって左側にミッツ・マングローブさん、真ん中にタカさん、左にゲストという座り位置でした。
トーク中にはBGMとして古めの曲を中心に洋楽がかかるのも特徴。※アーティスト名と楽曲名が左下にテロップ表示されたものに関しては全て本文中に表記しております。
今の所、特に何もするわけでもないアシスタントのウェイトレス役の女性が2名。
店員さん風の衣装で常に後ろにスタンバイしていますが、初めにドリンクを持って来るだけで、あとは何かするということもなくただ後ろで笑っているだけ。謎の存在。
ウェイトレスの2名は途中からいつの間にかいなくなっていることもあるので余計によく分からない存在(第5回放送)。
江夏豊さんがゲストの第7回放送ではウェイトレスが一名もいない状態になってしまいました。※第8回も引き続きウェイトレスはナシの状態。
第9回ではウェイトレスは復活しましたが、名前の字幕表示は無し。
第2回放送まではごく短いオープニングとしてカウンター越しにミッツ・マングローブさんとタカさんがトークをしてからスタートしていましたが第3回放送からは省略されています。
ちなみに番組後半はCMだらけになって40分番組にしている理由があるのかよく分からないことに。
第4回放送からは「こつぶとんねる」というミニコーナーがスタート。
「ちょっと気になる懐かしいアレコレ」について番組が実際に検証するという企画ですね。
フジテレビの番組公式HPの募集ページには視聴者からの投稿を受付中となっています。
ちょっとレトロなものであれば、アイテムや場所、生き物、人物、ブーム・現象でも何でもOKみたいですね。
こつぶとんねるのコーナー後には検証結果として結果表示がされるようになっています(第5回放送から)。
6月18日はサッカーワールドカップのハイライト番組放送の為に中止。翌週の6月25日は映画「昼顔」放送の為中止となっています。
第12回放送では番組初の生放送となっています。
第13回放送では番組初の全編ロケ収録。
第16回放送では番組中にかかる懐メロBGMのテロップ表示が久々に復活。
第17回放送では歌を特集する放送回ということもあってBGMテロップがまた省略。
第18回放送ではBGMのテロップ表示が再度復活。
スポンサーリンクオープニング
今回はスターたちのヘア写真と共に当時流行ったヘアスタイルを中心にトークが展開していきます。
ということでテーマは「あの時流行ったヘアスタイル」
まずは今回のダイジェストとなる予告VTR。直後にオープニングムービー。
今日はドアを開けてゲストの飯島直子さんが入店するシーンからスタート。
飯島「すごい素敵なお店ですね~。」「久しぶりです。タカさん。」
石橋「ええ!?いつ以来?ドラマ以来だったら20年ですよ。」
ミッツ「ニューヨークのやつですか?」
1998年のフジテレビ系ドラマ「今夜、宇宙の片隅で」で飯島直子さんとタカさんは西村雅彦さんと共に3人で主演を務めました。三谷幸喜さん脚本でニューヨークを舞台に描かれる恋愛ドラマでした。
じっくり話をするのはこのドラマでの共演以来20年振りだそうです。
飯島「全然変わらないですね。」
石橋「飯島も全然変わらず。もう共同テレビ社長港浩一がですね一目見て『すげぇ綺麗だなっ!』」
飯島「何かとって付けたように言ってきて怪しいですよね。笑」
ただ、ミッツさんと飯島直子さんは今回が初対面だそう。
ではここからトークスタート。
スポンサーリンクトークスタート
今回のトークテーマはヘアスタイルですが、ご実家が美容院という飯島直子さんは小さな頃からシャンプーのお手伝いなどをしていたそう。
石橋「じゃあ毛染めとかも出来るの?」
飯島「出来ますよ。」
石橋「アラアラアラアラ。」
ミッツ「“毛染め”ってなかなか言わないけどね。笑」
石橋「毛染めじゃないの?」
ミッツ「カラーリングとか言うんじゃないんですか?」
石橋「毛染めでしょ!」
“毛染め”中に耳につけるカバーが途中でとれてイラつくと言うタカさん。
また、施術に使う手袋に息を吹き入れて膨らませてから手にはめる動きをするタカさん。
これまで様々な髪型遍歴を持っているという飯島直子さん。
飯島「でもみんな変わってますよね?きっと。みんなやりますよね?タカさんもね?」
石橋「俺の話はいいですよ!」
飯島直子 髪型変遷史
まずは「飯島直子さんの髪型変遷史」を1991年から大きく分けて振り返ります。
- 1991年 23歳 ワンレングス
- 同上 ソバージュ
- 2000年 32歳 レイヤーセミロング
- 2009年 41歳 グラデーションボブ
- 2013年 45歳 シャジーボブ
1994年に放送されていたジョージアのCMで披露したソバージュスタイルで一世を風靡した飯島直子さん。
こちらがそのCM動画
当時の映像を観て飯島直子さん本人は、
飯島「すごいですね~。頭。笑」
スポンサーリンクこれまでの髪型遍歴を見て、基本的に「髪質」は変わらないというミッツさん。
歳をとると女性は特に髪の毛自体が細くなっていく事が多いようですが、
飯島直子さんは「全然細くならない。すごい私太いんですよ!太くて多いの。」
今でもトップにボリュームを持たせることが出来ると自信満々。
それぞれの時代を振り返ってみると、1991年のワンレングス(ワンレン)では当時の時代が出ているとタカさん。
飯島直子「恥ずかしい。笑」
髪型に合わせてメイクの雰囲気もガラリと変わりますよね。1991年の頃はまだ太眉が流行っていた頃。
ミッツ「熱湯コマーシャルとかね。」「『しっかりやんなさい!』って。」
飯島直子「そうそうそう。笑」
ミッツ「もう姐さん(飯島直子)の喝は。熱湯コマーシャルですぐ(挑戦者が)出ちゃうから。『しっかりやんなさい!』っていう。笑」
石橋「よく知ってるな。笑」
1983年から1999年まで放送されたビートたけしさん司会の「スーパーJOCKEY」では熱湯コマーシャルやTHEガンバルマンのコーナーが人気でしたが、1992年から飯島直子さんはアシスタントを務めていました。
さらに「W-NAO」の事も話題に出すミッツさん。
W-NAOとは名前が同じでプライベートでも仲が良かった網浜直子さんと飯島直子さんによるユニット。
飯島直子「すごい!よく知ってる・・・笑」
ミッツ「網浜直子さんと。」
石橋「網浜直子ちゃんね!」
網浜直子さんの現況について聞くタカさんですが、現在は主婦業をされていて息子さんが柔道をやっているという情報を伝える飯島直子さん。現在も親交があるとのこと。
ここでどの時代が一番モテたか?という話題へ。
飯島直子「うーん。一番モテキは、23歳。結構もっさり見えますけど、やっぱコレ旬でしたね。私の。飯島直子の旬でした。」
石橋「倒した?全部?」
飯島直子「倒しましたね。」
ミッツ「やっつけた?バッタバッタと。」
石橋「倒したかったなぁ~。」
その後、元祖 癒しの女王として知られるようになっていく飯島直子さん。
石橋「ナイスバディでね。今日横に、どこ見ていいか分かんなくなっちゃう。」
この日も僅かに胸の谷間が覗くセクシーな服装。
ミッツ「全然、何だろう、崩れが無いですね。」
飯島直子「崩れてるんですよ。これホントに、洋服がそう見せてるだけで、脱いだら結構ヤバいですよ。笑。見せれない!」
ミッツ「一番どこが?」
飯島直子「お腹周りとか、結構若い時もポッチャリしてたんですけど、お腹とか出てなかったんですよ。やっぱり若かったっていうか。」
ミッツ「出てるの!?」
飯島直子「お腹とか普通に出てるし。」
スポンサーリンク色んなものが下がってくるというミッツさんですが、
飯島直子「下は下だし。そりゃそうですよ。」
ミッツ「タカさんだって乳首(へその高さを指して)この辺でしょ?」
石橋「それおばあちゃんだろ。」
垂れたおっぱいを肩に乗せて首の後ろで結ぶ動きのタカさんw
1970年代~
ここからはアイドルたちのヘアスタイルについて。
まずは1972年当時17歳だったアグネス・チャンさん。
真ん中からぴったりと分けたロングのサラサラヘアが特徴。
他にも南沙織さんなど当時のトップアイドルがしていた定番のヘアスタイル。
さらに、少女漫画の世界から飛び出してきたような清純ヘアも流行。
1972年歌手デビューの麻丘めぐみさん。清楚な雰囲気で“お姫様アイドル”と呼ばれていましたね。その翌年1973年「わたしの彼は左きき」が大ヒット。その大ブームを起こした“姫カット”は自らが考案したものでした。
そのトレードマークともなった姫カットは、ロングヘアーのサイドを直角にカットして頬にかかるスタイル。
一方、男性の流行は、
世界を席巻していたヒッピーカルチャーの象徴のような存在である長髪スタイル。
ヒッピーカルチャー、学生運動と続く反体制のシンボルとしての長髪が当時の最先端でした。
それを反映するかのようにカリスマフォークシンガーたちも長髪スタイル。吉田拓郎さんや泉谷しげるさんなどですね。
その長髪におしゃれなアレンジを施した野性的なヘアスタイルがウルフカット。
1974年当時27歳だったデヴィッド・ボウイがその代表。
襟足は長めでボリュームを持たせ、その毛先にレイヤーを使用して髪の毛を削いだ状態のヘアスタイルはウルフカットと呼ばれて流行。
西城秀樹さんもウルフカットを少し長めにしたヘアスタイルでした。
また、女性では天地真理さんが女性版ウルフカット。ということで男女問わずに人気があったスタイルでした。
飯島直子さんは1968年2月29日生まれなので当時は4歳~6歳。
小さな頃は実家の美容室でお母さんが全てやってくれていたということで、他の美容室に行ったのは25歳過ぎの頃だったそう。
小学生時代は狼カット(ウルフカット)だったそう。
その後、中学時代には松田聖子さんがど真ん中。
70年代後半~80年代
続いて流行したのが、それまでの長めのヘアスタイルに逆行するように登場した“さわやか短髪”。
1976年当時24歳「失恋レストラン」でデビューして大ヒットを飛ばした清水健太郎さんの健太郎カットがその代表。
髪全体にアイロンパーマをかけた後に短くカットして、前に流すのがその特徴。
実は手入れが大変で、1か月に一回はケアしないといけないということで理容室は大繁盛。
飯島直子「すごいカッコよかったですよねぇ。」
石橋「パーマをかけて短く切るっていう。」
床屋さんでも見本としてよく飾られていたという健太郎カット。
その一方で“ツッパリ”と呼ばれた不良少年たちの定番となったのがリーゼントパーマ。
1980年ツッパリ文化をモチーフにデビューした4人組ロックバンドの横浜銀蝿がエルヴィス・プレスリーやジェームス・ディーンの時代からあるリーゼントに独自のアレンジを加えて大ブームに。後に銀蠅一家として弟分「紅麗威甦(ぐりいす)」=(杉本哲太らが在籍)や嶋大輔らがデビュー。
リーゼントはさらに進化して、リーゼントビバップスタイルを生み出します。
映画「ビー・バップ・ハイスクール」の大ヒットを受けて、オシャレなリーゼントを真似するヤンキーたちが続出しました。
リーゼントの先端からチョロっと出した前髪スタイルが不良少年たちのトレードマークに。
片岡鶴太郎さんも若いころはこのスタイルでしたね。
スポンサーリンク一方で女性の方は、先ほど飯島直子さんも憧れたというあのスーパーアイドルがデビュー。
それが松田聖子さん。
1980年に「裸足の季節」でデビューしてから大ヒットを連発し、80年代を代表するトップアイドルに。
その松田聖子さんのヘアスタイルが聖子ちゃんカット。
当時、四谷にあった美容室「ヘアーディメンション」で美容師・飯塚保佑氏と松田聖子さん本人が開発したヘアスタイルでした。
トップとサイドにボリュームを持たせて、前髪を目線ギリギリに下げることで小顔効果もあったそう。
今現在でも聖子ちゃんカットは美容学校の教科書に載るぐらい。
アイドルの定番スタイルになった聖子ちゃんカットですが、例えば松本伊代さん、早見優さん、森口博子さん、西村知美さんなどもその流れを汲んでいました。
飯島直子「当時、やっぱり聖子ちゃんカットすごい流行ったじゃないですか?で聖子ちゃんカットにしておけばモテる。それでみんな聖子ちゃんカットでした。」
石橋「聖子ちゃんが髪の毛切っちゃうと一気にみんなも切っちゃう。」
飯島直子「ショッキングでしたね。すごく短く切られた時には『それは出来ないなぁ』と思って。」
この後は中森明菜さんが聖子ちゃんカットの長めのアレンジで台頭という飯島直子さん。
当時のアイドルたちはトップでも楽屋で自分たちでセットしていたというミッツさん。
石橋「みんな自分でやってましたよ。ヘアメイクさんなんて付いてる子いなかったですよ。」
ヘアアイロンを自分であててセットしている光景をよく見ていたというタカさん。持参したヘアメイクセットで自分たちでセットしていたとのこと。
飯島直子「えっ聖子ちゃんもスゴイ、これを機に大ブレイクしたじゃないですか?そのブレイク中もヘアメイクさんいなかったんですか?」
石橋「ブレイクする前は大部屋のとこにいましたよ。聖子ちゃん。」
松田聖子さんと早見優さんは同じ事務所のサンミュージック所属ということもあって、早見優さんもデビュー時は聖子ちゃんカット。
聖子ちゃんカットではトップのボリュームをいかに出すかがポイントだったと語るミッツさん。
トップがペタンとなってしまうと聖子ちゃんカットでも残念な仕上がりに。
飯島直子「ブラシで立たすんですよ。やってましたよ。いっつもいっつも中学生の時に。」
石橋「女の子は髪の毛決まらないと学校行きたがらないんでしょ?」
飯島直子「遅刻しちゃう。笑」
こちらが中学生時代の飯島直子さん。紹介されたのはかなりボヤけた写真だったので何とも言えませんが、聖子ちゃんカットは分かりますね。
ミッツ「中学とかパーマとかダメでしょ?」
飯島直子「あててました。お母さんがかけてくれていました。ウチ美容室なんで。」
そうじゃなくて“校則”では?というミッツさんですが、
飯島直子「そうですね。私、うーん・・・は大丈夫だった。」
石橋「私“は”大丈夫だった。笑」
「私的には全然大丈夫だった」と改めて言い直す飯島直子さんでしたw
そんな飯島直子さんですが、中学生時代に“オキシドール”でまず脱色したそう。
石橋「中学生でしょ!?」
殺菌剤や漂白剤として使用されるオキシドール(過酸化水素)ですが、かつてはヤンチャな少年少女たちが髪の毛の脱色に使用していた時代があったんですね。
髪の毛を束ねてオキシドールにしばらく漬けてから、ドライヤーで乾かすと色が抜けていたという飯島直子さん。
石橋「傷口にやるときは泡が出てる時はまだバイ菌があるんだぞって。笑」
スポンサーリンクその他に炭酸飲料(コーラ)やビールで脱色するという話も。
飯島直子「絶対みんなやったと思いますよ。みんな。全員やってると思う。みんなオキシドール。」
石橋「久々に聞きましたね。オキシドールで脱色。笑」
それでも茶色く染めた髪の毛をお母さんが見かけると「切ってあげるからおいで」と心配されていたというエピソードも。
さらに“アフロヘア”にも挑戦していたという飯島直子さん。
横浜銀蝿のリーゼントスタイルに憧れたそうですが、その中でもメンバーのTAKUさんがボリュームのある髪型をしていたということでそのヘアスタイルを真似てアフロヘアに。
それまでは聖子ちゃんカットでしたが、中学の夏休み間にアフロに。すると、
飯島直子「すっごい評判悪くて。すんごい不評で。男の子から。『飯島、それ似合わないよ。』って言われて。笑」
ウケが悪かったということで夏休み限定の短い期間だけだったそう。
タカさんの70年代
タカさんは70年代はずっと野球部時代で髪型に関しては「何も出来なかった」そう。
その当時の憧れは先ほど出てきた“健太郎カット”
石橋「一番最初に高校野球終わってパーマをかけた時(当時18歳)に埼玉県の鴻巣に実家が美容院やってるっていう友だちがいて、そいつの家まで初めてパーマかけに行きましたよ。タダでかけてくれるって。埼玉県の鴻巣ですよ?すっげぇ遠いんだよ。」
「そこでかけてくれたら、やっぱりねぇ。まあ言葉はアレですけど、埼玉の奥の方のお母さんがやってるとこだから、ちょっと東京寄りのパーマじゃないんですよ。ガチガチのパーマで!大仏みたいになっちゃって。笑。」
「えーと。名前はカジくんです。」
その後、学校の先生にパーマについて指摘されたタカさんですが「これ僕天パ(天然パーマ)なんです。」とごまかし。
証明の為に「水で濡らして来い」と先生に指示されて、その通りにしてくるとガチガチのパーマがバレてしまったというエピソードも披露。
1980年代
この時代、これまでの常識を覆す最先端のヘアスタイルが誕生します。
それがテクノカット。
1980年代に巻き起こったテクノブーム。そのブームをけん引していたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が当時取り入れていたのがこのテクノカットでした。
YMOはメンバーに細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一。シンセサイザーとコンピュータを駆使したテクノミュージックで一世を風靡し、海外にもその名が知られる存在に。
テクノカットでは後ろのサイドを刈り上げて、もみあげは切り落として鋭角に剃り上げるのが特徴。
これから男性の間に刈り上げ(カリアゲ)がブームに。サイドをツーブロックにするスタイルが生まれました。
その後に流行ったチェッカーズカットはツーブロックをアレンジして前髪を不揃いにして前に垂らすというスタイル。
藤井フミヤさんがボーカルを務めるチェッカーズが一世を風靡したことで大流行。
そして吉田栄作さんのヘアスタイル、ツーブロックサラサラボブも当時の定番。
男らしさと爽やかさを併せ持つヘアスタイルで、白Tシャツにブルージーンズのシンプルなファッションスタイルも人気に。
さらにカリアゲブームは女性にも波及して、ハウスマヌカンスタイルを生み出します。
襟足を刈り上げたショートボブがハウスマヌカンスタイルの特徴。
ハウスマヌカンとは現在で言うショップ店員の事を指す言葉で、ショップの服を着て対応する店員を特にこう呼びました。高級ブランドの服が飛ぶように売れた時代に店員も流行の最先端の存在でした。
その後にやってくるバブル景気の象徴とも言うべきヘアスタイルがワンレン(ワンレングス)。
女優、浅野温子さんがその代表とも言われますが、ストレートの髪を前から後ろまで全て同じ長さで切り揃えたスタイル。
長い髪をかき上げる仕草がトレードマークですよね。
ワンレンは前髪を作らないのでおでこの辺りはシンプルで少し寂しいということで生まれたのがトサカ前髪。
ワンレンに華やかな前髪をプラスしたスタイルでバブル全盛の頃に流行りました。工藤静香さんがその代表で、銀座、赤坂、六本木の夜のお店で働く女性たちはこぞってこのスタイルを真似しました。
工藤静香さんは4月17日の記念すべき第1回、初回放送のゲストでしたよね。
当時の女性は寝る前に前髪をカーラーで巻いて朝出かける前に超ハードミストでしっかり固定するというルーティンでした。
スポンサーリンクさらにバブルを代表する髪型と言えばソバージュヘアがそれ。
ワンレンにボリュームを出すために流行したとされている強めのパーマヘア。髪の根元から毛先まで波打つようなパーマが特徴です。
松任谷由実さんなどが取り入れていました。
ディスコの女性客はワンレンストレートかソバージュの二択。
既に紹介したジョージアのCMではソバージュを披露していた飯島直子さん。
この時の飯島直子さんの写真を美容室に持ち込む女性客が急増したとか。
石橋「でもやっぱYMOがテクノカットやった時はちょっと衝撃的でしたよね。男で刈り上げるって当時、おじさんの公務員かホテルオークラの従業員しかいなかったですよ。刈り上げてる人って。」
「18の時にホテルマンだったんで、ホテルオークラに3か月研修に行かされたんですよ。髪の毛が耳にかかってると『お前、下で刈って来い』って言われて。下の従業員用の床屋さんで刈られるとホントに刈り上げられちゃうんですよ。『それだけは勘弁してください!』つって。笑」
「その位、刈り上げに対して恐怖感があったのに、YMOでそれが一気に払拭されちゃうんですよ。」「カッコいいってことに。刈り上げが。」
それまではダサいものの代表だった刈り上げが、一気におしゃれに変貌した瞬間だったというタカさん。
サイドを刈り上げるのは女性にもハウスマヌカンスタイルで流行。現在でもミッツさんはその流れを汲む髪型。
女性のツーブロックは現在でも定番スタイルですよね。
吉田栄作さんのサラサラヘアは男子の髪型に大きな影響を与えましたが、サラサラヘアを作るヘアムースも当時流行。
石橋「資生堂 メンズムース!」
とんねるずの二人が出演していた資生堂のCM動画がこちら。1986年の映像のようですね。
ミッツ「あとはキョンキョンのスーパーマイルドシャンプーとか。」
こちらがそのCM動画。
石橋「あ~。スーパーマイルドシャンプーあったね。」
飯島直子「あれ使ったらキョンキョンなれんじゃないか?とかそういう気持ちぐらい。」
飯島直子は女性ホルモン多い?
その後も続くヘアスタイルに関してのトークですが、話題は岩崎宏美さんのキューティクルがすごいというものへ。
飯島直子「天使の輪がね。すごすぎる!」
石橋「天使の輪って言ってましたね。あれ。」
飯島直子「もうだって皿乗ってるぐらい。皿が乗ってるみたい!」
こちらが岩崎宏美さん「聖母たちのララバイ」の歌唱動画。
照明の感じも勿論あると思いますが、遠くひいたカメラでも天使の輪が白く光って見えますよね。
スポンサーリンク出番前に絶対アイロンのコテでやってるというミッツさんですが、
飯島直子「当時そんないいコテがあったかな?っていう。」
石橋「コテ・・・笑。いいですねコテ。」
また、工藤静香さんのヘアスタイルについて“トサカ前髪”というネーミングの響きにひっかかるタカさん。
飯島直子「なんか“すだれ”って言われてました。」
石橋「すだれ!?笑」
その他にはソバージュヘアでは松任谷由実さんの他に今井美樹さんもそうだったと回想するミッツさん。
ソバージュにウェットムースが憧れだったというミッツさんはどうしても髪質的に難しいとのこと。
女性ホルモンの影響が相当強く出るそうで、KABA.ちゃんの髪質がとても綺麗になっているとうらやましそうに語るミッツさん。
女性ホルモンは髪質に一番影響が来ると力説するミッツさんですが、
飯島直子「ええ~。うそー?私結構女性ホルモンあるけどツヤ無いよ?全然。」
石橋「何で女性ホルモンがある無いってどこで分かるの?」
ミッツ「量ったの?」
飯島直子「あるんじゃないかな?と思って。笑」
髪の毛の毛量が多い人は女性ホルモンが多い傾向があると説明するミッツさん。
石橋「すごそう!女性ホルモン。すごそう!」若干オネエ的な口調になるタカさんw
飯島直子「ああ~おかしい。」
ミッツ「というわけで。」
飯島直子「じゃあ終わる?」
石橋「『じゃあ終わる』笑」
タクシーに絡まれるタカさん
最後の最後にヘアスタイルとは全く関係ないエピソード。
石橋「えーと、いつかこの番組で“うんこ二郎”の話しましたよね?埼玉に住んでる。」
ミッツ「ディスコの時かなんかに。」
4月23日放送の第2回でゲストはDJ KOOさん。テーマは「新宿ディスコ・フィーバー伝説」でしたが、1987年発売のとんねるずの曲「嵐のマッチョマン」の歌詞に登場する「浦和までは帰れない高橋二郎」の由来の謎について説明したタカさん。
こちらがその時のエピソード。
スポンサーリンク第2回「石橋貴明のたいむとんねる」ゲスト:DJ KOO 出張ディスコ状態でダンスミュージックがかかりまくり?全曲リストも
学校の帰り道に我慢できずに知らない人の家をノックして「すいません。うんこさせてください。」と頼んで、知らない家でうんこしてから、卒業するまで高橋二郎ではなく“うんこ二郎”と呼ばれ続けた人のことを指しているという説明でしたが、
石橋「あの話して一か月くらいですか。タクシーを待ってたの。したらタクシーがフッと停まって『石橋!』って言うんすよ。何で俺がタクシーの運転手に石橋呼ばわりされるんだと思って。だけど俺が頼んでるタクシー会社じゃないんですよ。」
「コイツ俺にケンカ売ってんのか?と思って。『石橋!』って言うから『ああ?』つって。『俺だよ!』って言うから、俺だよじゃねーよと思って『誰?』つったら『うんこ二郎だよ!』って。笑」
飯島直子「自分で言っちゃったの!?笑」
石橋「お前俺もよぉ、人の親なんだからテレビで俺の話すんなよ!って。笑」
「いやービックリですよ。うんこ二郎。今は人の親となり、タクシーの運転手をやりながら子どもたちの生活を守り『テレビで俺の話をするなよ石橋』と。」
飯島直子「うんこ二郎さん~♪」
優しい口調で呼びかける飯島直子さんw
石橋「飯島に言われちゃったらたまんないだろうね。うんこ二郎も。」
結局、面と向かって「話をするな」と話したことでまたぶり返される事になったエピソードでエンディング。
次回予告では、
ゲストに南海キャンディーズ山里亮太さんを迎えてテーマは「怖すぎて忘れられない映画・ドラマ」だそう。
夏の放送ということでホラー要素満載のテーマですが、山里さん自身はホラー系は苦手だそう。
だからこそ逆にこのテーマで子どもの頃の怖かった思い出を語るということですね。
【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】