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TOKIOカケルで芸能活動引退のタッキー(滝沢秀明)にTOKIOのメンバーは最後に何を語った?全文公開


フジテレビ系で放送された「TOKIOカケル」の18年12月19日放送回では今年限りで芸能活動引退を発表しているタッキーこと滝沢秀明くんがフジテレビのバラエティ番組に最後の出演。そこでTOKIOのメンバーたちはどんなメッセージを贈ったのでしょうか?城島リーダーの手紙の内容とは?

ジャニーズJr.時代からの滝沢秀明くんの芸能活動を振り返りながら放送されたその詳細について、まとめてお伝えします。

見逃した方は是非チェックしてみてください。

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“タッキー”の呼び名は?

まずは太一くんからの質問で番組はスタート。

「タッキーって名前なくなるの?」

滝沢「どうなんですかね。笑」

国分「ビートたけしと北野武があるように、」

城島「ピーターさんとね。」

松岡「ちょっと静かにしててね。笑」

出だしからチャチャを入れてくる城島リーダーw

表舞台を退いた後に滝沢秀明くんの愛称として定着している「タッキー」は封印されるのかどうか?についてですが、

滝沢「まあ僕はどっちでもいいですけどね。考えてないですね。」

国分「演出で名前が出るわけじゃないですか?今後。そこはどうしていこうっていうのはまだ決めてなかったの?」

滝沢「決めては無いですけど、まあ多分普通に“滝沢秀明”っていう名前だとは思いますけども。まあでもタッキーって言いたい方は言っていただいて僕はいいかなとは思いますけどね。」

国分「じゃあ多分タッキーという名前は無くなる事はないって事だよね。」

長瀬「言われても嫌な感じは無い?」

滝沢「全然嫌じゃないです。」

国分「振り向いてくれます?タッキーって僕らが呼んでも。」

滝沢「もちろんです!笑」

松岡「振り向いてくれなかったらぶっ飛ばすよ?笑」

滝沢「怖ぇぇ。笑」

イイ感じの先輩後輩の雰囲気が存分に出ていますねw

芸能界はどうだった?

続いては長瀬くんの質問。

「この世界どうだった?」

長瀬「業界の事ですね。僕らにとっては当たり前の世界ですけれども、やっぱり一般的に考えたら変わってる所って沢山あるじゃないですか?」

13歳から芸能生活23年の滝沢秀明くん。

滝沢「まあある意味この世界しか僕知らないので。」

長瀬「13歳からもうドラマもやってるわけだからね。」

滝沢「バイトとかもした事無いし、だから比べられないですけど、いい面も悪い面もあるのかもしれないですけど、でもやっぱひっくるめて素敵な世界だなとは思いますね。」

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滝沢秀明の芸能活動史

1982年3月29日、東京都八王子市で3人兄弟の末っ子として誕生。

国分「3人兄弟なんだ?」

滝沢秀明「そうです。はい。」

7歳の時の写真では馬車のメリーゴーランドと思われる遊具で楽しそうにピースサインをする小学生時代の滝沢秀明くん。

日付に88の年号がついた(おそらく6歳の時の)写真では兄弟3人で仲良くこたつに入ってピースサイン。お兄ちゃんと上下お揃いの服みたいですね。

小学校5年生の時の写真では白い鉢巻き姿で騎馬戦の騎馬を務める滝沢秀明くん。

1995年、滝沢秀明くんが13歳(当時:中学2年生)の時にKinKi Kidsの堂本光一くんのファンだったお姉さんがジャーニーズ事務所のオーディションに履歴書を応募して合格。※その他メディアではジャニーズ入所の経緯について「自ら履歴書を送った。」としている事の方が多いので、この辺は番組側の誤解がある可能性もありますね。

これを受けて「へ~。お姉ちゃんのおかげだ。」と長瀬くんがリアクションしますが、隣の滝沢秀明くんは特に否定も肯定もせずでしたね。

さらにジャニーズ入所から一週間後にはKinKi Kidsのコンサートでいきなりバックダンサーとしてデビュー。※ジャニー喜多川さん本人から電話でスケジュール確認が来たそうです。

そしてそのわずか半年後には滝沢秀明くんの代表作とも言われる連続ドラマ「木曜の怪談 怪奇倶楽部」で初出演・初主演。まだ声変わりもしていない時期。この発表を新聞報道で初めて知ったとか。

これに関しては、

松岡「半年で出来ちゃうのがすごいね。」

滝沢「何も分からないですし、業界言葉とかも何も分からないのでついて行くのに必死でしたね。」

国分「楽しかったですか?」

滝沢「楽しいというか必死過ぎて記憶に無いぐらいですね。」

他番組での情報によると14歳ぐらいの時期にはジャニーさんの横に付いてオーディションの助手をしたり、時には面接官を任される事もあったそう。

1997年、15歳では「スターどっきり大作戦」で寝起きドッキリのターゲットに。

寝起きレポーター役を務めた当時24歳の島崎和歌子さんに、

松岡「和歌子若ぇぇ!!」「オバサンが襲ってる風にしか見えねぇじゃん。笑」

長瀬「イジリー(岡田)さんみたいな事やってるからね。」

そっち?w

1999年10月9日のジャニーズJr.の東京ドーム公演では滝沢秀明くんはJr.のリーダーとしてパフォーマンスとライブ演出にも既に携わっていたそう。

国分「ジャニーズJr.ってメインには出ない子たちだったわけじゃない?育成の場だったのにね。」

松岡「変わったよね。」

この時代のジャニーズJr.には現在の嵐、NEWS、関ジャニ∞、山下智久、生田斗真などが在籍。まさに「ジャニーズJr.黄金期」

城島「一番最初に演出をやり始めたってのはこの頃なの?」

滝沢「一番最初は15歳とか16歳ですかね。コンサートを作るにあたって、大人の方の意見が強くなっちゃうので、子供ながらに『ナメないで欲しい。』みたいな事を言ったりとか。笑」

2000年1月3日、当時17歳で出演した「TOKIO! Kinki! V6! Jr.! 超豪華密着150分マジ勝負スペシャル」(ジャニーズ大運動会)ではリレー競技にアンカーで登場した滝沢秀明くん。

城島「考えたら子供たちの運動会あんだけ観に来るんやろ。」

国分「確かにそうだね。笑」

松岡「今年イチのウケだよ。年末に持って来たね。」

この年の瀬にやっと今年イチw

さらに17歳の時にプロレスのリングにも上がった滝沢秀明くん。その対戦相手はプロレス界のカリスマ、燃える闘魂アントニオ猪木さん(当時57歳)。レフリーは藤原組長こと藤原喜明さん。

国分「これどうやって決まったの?猪木さん(との対戦)」

滝沢「僕が元々プロレスが好きで、でジャニーさんと力道山さんが元々お友だちだったみたいで。その流れで。YOUプロレス好きだよね?みたいな。」

松岡「もう俺たちの雲の上の話ですよ。笑」

まさかジャニーさんと日本プロレス界の祖とも言われるあの力道山先生が旧知の仲だったとはw

19歳ではTOKIOカケルの前身番組「メントレG」に初登場。2001年11月23日放送。

松岡「滝沢のかわいさとカッコよさよりも、俺たちの喋りの成長の無さにガッカリだね。笑」

そして2002年、20歳の時に待望のCDデビュー。ユニット名は「タッキー&翼」

国分「自分の中ではいいスタートを切ったと思った?」

滝沢「うーん・・・いや。いいかどうかは分からないですけども、イメージとはちょっと違いましたね。」「何かこう華々しい感じっていうのはあんまり感じなかった。」

長瀬「もっとじゃあグループで人数が多くてってイメージだったんだね?」

滝沢「そうですね。」

2006年、23歳ではジャニーズに新たな風を吹かす事となった、時代劇ライブミュージカル「滝沢演舞城」で新橋演舞場史上最年少座長を務めた滝沢秀明くん。

2010年、28歳では「滝沢歌舞伎」で主演・演出も。

2019年からは「滝沢歌舞伎ZERO」の名称で演出家として再デビューを果たす滝沢秀明くん。

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プロデュース業

続いては城島リーダーからの質問。

「本当の自分に戻れる時 いつ?」

城島「これからは完全な裏方やんか?裏方さんって仕事終わってもずっとプロデュース考えてたりとか。オンオフ関係なしにやっていくのは結構キツイ事やと思うんです。それぐらい覚悟はある?」

滝沢「これからなんで分からないですけども、でも当分はいいかなと思ってますね。」

城島「スイッチ切らなくても?」

滝沢「ある程度自分が形にするまで切らなくていいかなとは思ってます。」

長瀬「それがホントの自分かもしれないしね?じょっとしたらね。」

滝沢「ジャニーさんがそれまでやって来たと思うので、自分もやりたいなという気持ちが強いですかね。」

国分「演出とかの楽しさはもっと前からあったわけだもんね?」

滝沢「ジャニーさんの近くでモノが作られていく姿っていうのをすごく近くで見ていたので。どこかで興味というか、っていうのは昔からあったのかなとは思いますね。」

V6三宅くんからのメッセージ

2016年から滝沢歌舞伎に出演し、その後にKEN☆Tackey名義でユニットを組んだV6の三宅健くんからのビデオメッセージでは、

三宅「名古屋で滝沢をはじめとする僕も共演者の子たちもよく食べに行ったラーメン屋さんがあって、どうしてもそのラーメンが食べたいと。で探したんですけど名古屋にしか無くて。ある時連絡が来て、『健くんラーメン行きましょうよ』って。」

「『えっ?どこの?』『名古屋で食べたラーメンですよ。僕車出すんで車で行きましょう。』『嘘でしょ!?』みたいな。いちいち規格外の男なんですよ。」

表舞台を退いて芸能活動引退については、

三宅「余力を残してこの仕事を去るっていう決断はびっくりしたんですけど、面白いなって。僕は思ったので。本当に彼はジャニーズが大好きでこの先も下の人たちに継承していく為にも、それは応援してあげたいなっていう気持ちになりましたね。」

最後にメッセージ。

三宅「まだ何かこう・・・滝沢が引退するっていう感覚があまり無いので何とも言い難いんですけど、まぁ落ち着いたらご飯行きましょう。それだけです。」

このメッセージに、

滝沢「ありがとうございます。嬉しいです。」

V6の三宅くんが滝沢歌舞伎に出演するきっかけについては、

滝沢「ちゃんとお仕事をしたことが実は無くて、一度も喋ったことがないくらいの先輩だったんですけど、ホントに(共演を)想像が出来なかったので逆にやってみたいなという想いからオファーをしたんですけど。」

松岡「敢えて知らない人とやってみたいっていうのはどうしてだったの?」

滝沢「想像できるメンバーでやるのはお客さんも面白くないだろうなっていう思い。自分も想像つかないようなキャスティングでやりたいなっていう思いで。」

松岡「怖さは無かった?」

滝沢「賭けでもありますけどね。」

国分「そう考えたらここにもあんまり接点のない先輩がいたわけじゃないですか?それは頭にちょっとよぎった人とかいたの?TOKIOの中で。」

滝沢「あります。もちろん。松岡くん。僕ホントに名前出させていただいた事あります。」

松岡「マジでっ!?」

滝沢歌舞伎の弁慶役でオファーをしていたそう。ただ、舞台公演なのでスケジュールの都合が付かず実現には至らなかったとの事。

松岡「今初めて知りました。」

国分「いやぁオーディション漏れた・・・。」

長瀬「全然出てこなかったですね。笑」

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10年後何してる?

松岡くんの質問は、

「10年後何してる?」

松岡「いい時だと思うんですよ。さてこれからのっていう時に向けてどういう風になってると思いますか?」

滝沢「僕が先ほどVTRにもありましたけど、そのジュニアの黄金期って呼ばれていた時代っていうのが僕にとってはものすごく良い風景に見えてたので、その10年後というか10年の間にジュニアの黄金期をもう一度僕は作りたいっていう思いがすごく今強いですね。10年後までに。」

10年後には既にジュニアの黄金期を確立しているという目標のようですね。

これに対して、

松岡「いやだからここがプロデューサーで、俺はお前(滝沢)の10年後って聞いてんですよ。なのに今ヤツの答えは彼ら(ジャニーズJr.)の10年後なんですよ。ここがらしいですよ。」「今俺ドキッとしたからね。自分で質問してて。」

質問と答えがズレたようで実は滝沢秀明くんの本質が現れた場面という見立てですね。

国分「それはお前に付いて行くよ。」

この太一くんの発言には笑いが起きるスタジオですが、

滝沢「それを作らないと僕は今回の決断の意味がないので。」

国分「この10年後の間に表に戻りたいって気持ちは湧いてくるものなのかな?」

滝沢「今のところ全く無いですね。」

国分「湧いて来たらそれはそれでもう一回やろうかなっていう気持ちは?」

滝沢「多分無いと思いますね。」

松岡「これから後輩だけじゃなくて先輩もプロデュース出来たらしてくれるわけでしょ?」

滝沢「おぉ~。笑。まあもちろん。」

松岡「ホントに俺ら3人頭下げるから何とかしてくれ!」

城島「僕かいな。笑」

滝沢秀明プロデュースの城島リーダーという事もそのうちあるんでしょうか?w

1対1でメッセージ

先輩として一人の男としてTOKIOのメンバーそれぞれから1対1で最後のメッセージ。

少しスタジオが暗転する中、対面する形で言葉をかけます。

国分太一と滝沢秀明

「いつもふざけてばっかりいたりとか、タッキーとガッツリ仕事したのもTBSの番組だけど、一緒に二人して司会やったりとかして、その時から後輩を見る目だったりとか後悔の事を思ってるなと。」

「これずっと言ってこなかったことだけど、やっぱタッキーすごいなぁと見習わなきゃいけないなっていうのはあったんですが、タッキーが裏に行く事によっても俺とタッキーの先輩後輩は変わらないと思うし、タッキーも遠慮なくもし僕の力がどこかで欲しいなと思ったらいつでも連絡をください。あとまあちょっと時間があれば、わたくしのダメ出しもしてもらえると。」

「今後とも先輩後輩の付き合いは続けて行きましょう。」「握手。」

両手でがっちりと握手を交わす2人。

滝沢「何かこう太一くんはプライベートでもご飯一回連れて行っていただいたりとか。僕から先輩に行くってなかなか性格上出来なかったんですけど、来てくれた事がすごく嬉しかったですね。」

松岡昌宏と滝沢秀明

同じ舞台人としての共通点のある二人ですが、

「まあまずは23年間お疲れ様でした。今回のお前がスタッフになるっていうのを聞いた時、正直第一印象はあー滝沢らしいなと思いました。滝沢らしくいったんだなと思うのと同時に滝沢らしく納まって欲しくないなって。次の事がきっとあるでしょう先言ってたジュニアの事も含めて。」

「で時代が変わってるから、これから年号も変わるし、子供たちがもっともっと変わってくる。ジャニーズももっともっと変わってくる。そん中で新しい風を滝沢が吹かしてくれたら嬉しいなと思いますし。まあ飲みに来ましょう!頑張って。」

がっちり握手。

滝沢「でもあの~すごくリアルなお話を今いただいたので、僕の中でも時代が変わるのはすごくテーマがあるなと思ってて、今まで先輩に甘えて来れなかったんですけど、これを機に甘えて行きたいなっていう風にすごく今感じましたね。」

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長瀬智也と滝沢秀明

TOKIOの楽曲制作も手掛ける長瀬くんは若かりし頃は作り手側として語り合った事もあったそうですが、

「もう23年っすか。世の中的にはね俺とは接点があんまり無いってみんなは思ってると思うんだけど、実はちょっとコアな部分でね、ちょっとこう共通してる部分があって。」

「まあ何度か滝沢がストイックにね、そういうモノをクリエイトしている姿っつうのを。あれは20代半ばぐらいだったっけかね?そん時僕も色々とクリエイトな事を勉強するにあたってね、やっぱ苦しい思いをしたりとか、そういう事もあったんでね。きっと滝沢にもそういう何か時期があったんじゃないかなって心配する部分もあったんだけども。」

「まあでもやっぱり誰かに言われたわけでは無くて、自分で何かを作りたいって思った気持ちはお互いあったわけだし。あの10数年前に聞いた時のあの滝沢の気持ちを俺は今でも忘れてないんで、それやっぱ貫いて欲しいな。」

「それがブレてしまったらね、俺は多分『あっ滝沢ブレたな。』って思ってしまうだろうし。そういう風に思わせて欲しくないなっていう部分もあるし。まあタッキーなら大丈夫だろうなって信じてるんで、まあでも楽しむことも忘れずに、妥協せずに、負けずに、これからも戦っていって欲しいなと思います。お疲れ様でした。」

最後は握手。

滝沢「何かこう安心と言うか、すごく今スッキリしました。自分の思ってる事をどんどんこれから形にしていかないといけないなと思いますし、ブレずに頑張りたいなと思います。」

国分「このくらいにしておきますか?」

城島「いや。笑」

松岡「良い終わり方だと思うぞ?使う使わないは別で撮っとく?」

やっぱりイジられる城島リーダーw

城島茂と滝沢秀明

「今日タッキーに何話そうかなと思って色々考えたんですけど、今日ちょっと始まる前に楽屋に挨拶に来てくれて、何か上手い事伝える事難しいなと思ったんで、あの後ちょっと楽屋で急きょ手紙したためたんで。」

「改めて読まさせていただきます。」

「タッキーへ。1995年13歳で芸能界に入り、今日まで本当に色々あったと思います。1人ではなく、2人でデビューしたいと言った君、自らの名を冠した舞台で最年少座長として劇場に立った君、そしてスポットライトを浴びる側では無く、浴びせる側に立とうと思った君、その全てが、それぞれがあなたの素顔であり本音なんでしょう。“ダイヤはダイヤでしか磨けない”これから滝沢秀明さんがどんな原石を見つけ、どう輝かせていくのか楽しみで仕方がない自分がいます。ありがとうタッキー。そしてこれからもこの先も全ての方に夢を。」

「以上です。急いで書いたんで誤字ありますけど。」

滝沢「ありがとうございます。」

手紙を手渡して握手。

滝沢「すごい・・・。すごい・・・。」

最後は全員が横並びになったポジションで、

松岡「この人(城島)さすがですよね。ちょっとジャニさんイズムを感じるよね。」

滝沢「もう嬉しいですね。先輩からお手紙をいただくって初めてなので。ちょっとびっくりしましたね。」

国分「楽屋に置いて帰んないでよ?笑」

滝沢「大事に!笑」

「タッキーありがとう。これからもよろしく。」と声を掛けながら城島リーダーから花束の贈呈。

それぞれが2ショットで記念撮影、そしてTOKIO x 滝沢秀明の5ショットでエンディング。

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