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第41回「石橋貴明のたいむとんねる」タカさんが選んだ平成スポーツ名場面第1位とは?あのヒーロー?


19年2月25日に放送された第41回「石橋貴明のたいむとんねる」は先週に引き続いて「タカさんが選ぶ平成のスポーツ名場面ベスト10」を発表。先週はテーマがテーマだけにゲストの伊集院光さんも巻き込んで大盛り上がりしすぎて第7位までしか発表できず。というわけで今日は第6位からの発表から再スタートですね。タカさんが「1位から決まっちゃったんです。」と断りを入れながら発表したのはどんなスポーツ名場面だったんでしょうか?

というわけで19年2月25日放送の第41回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をまとめてご紹介します。

やっぱり野球ネタになると途端に長くなりがちなお二人の盛り上がりに注目。

そして最後の番外編で綺麗なオチw

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出演者

【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ

【ゲスト】伊集院光

【ウェイトレス】なし

【ナレーション】山中まどか

第6位から

もうすぐベスト10という事で15位から発表した19年2月18日放送の第40回はコチラで。

そして今日は第6位から。

第6位「高橋尚子 “日本陸上女子 史上初の金メダル”」

2000年のシドニーオリンピック女子マラソンでルーマニアのライバル、リディア・シモンとの一騎打ち。

TBSのオールスター感謝祭の赤坂ミニマラソンにも出ていたと小ネタを挟むミッツさん。さらに何故かシモンの旦那さんが「旦那シモン」というネーミングでミニマラソンを走った事もありましたよねw

そして有名になったのが高橋尚子がサングラスを投げ捨てるシーン。

伊集院さんはこの時のサングラスの行方について気になっているようですが、高橋尚子のお父様が思い出として保管されているとか。

まあそんな事はさておき、最後はシモンを振り切って金メダルを獲得。

「皆さんの声援のおかげで本当に背中を押してゴールまで辿り着けました。すごく楽しい42キロでした。」というレース後の高橋尚子のコメントも名言として残っていますね。

石橋「やっぱQちゃんでしょう~。」

レース後の言葉もタカさんは印象に残っているそう。

ちなみにタカさんは「すごく楽しい42.195キロでした。」と言っていますが、実際は“42キロ”と言っていて.195キロは省略しているんですよね。未だに私はここが引っかかるんですけどw

石橋「この子スゴイ!と思っちゃった。」

伊集院さんはマラソン選手は普段は明るいけどレース中は苦しそうに走っている印象が強かったのが、高橋尚子に関しては「始終明るいじゃないですか。」とコメント。

伊集院「レース中も明るいっていうのはまたちょっと新キャラかなって思いましたね。」

タカさんもその点は同意して、マラソンランナー=修行僧のようなイメージがあり、過去には瀬古利彦、宗兄弟などが印象強かったとの事。

体を斜めにしながら走る宗兄弟のマネをするタカさんw

伊集院「死んじゃうんじゃねぇか?っていう感じ。笑」

レース直後でも明るいQちゃんの姿にイメージを覆されたわけですね。

ミッツ「獲れそうで獲れないものが本当に獲れる日が来るっていう日本のスポーツ史を変えた瞬間ですよね。」

さらに誰かが壁を打ち破ると続いて打ち破る選手が出て来るのがスポーツのすごい所と伊集院さん。

この4年後のアテネオリンピックではやはり女子マラソンで野口みずきが金メダルを獲得していますよね。

伊集院「あれに似てると思うんですよ。タモリさんのモノマネ誰もやらなかったのに、コージー(富田)くんがやったらみんな出来るようになるっていう。」

石橋「(笑)」

伊集院「多分例えは違いますね。笑」

ここで伊集院さんがQちゃんという高橋尚子の愛称についての都市伝説を紹介。

高橋尚子は“Q”に関係ないのになんで“Qちゃん”と言うんだろう?という素朴な疑問。

そこで伊集院さんが最初に聞いた説明としては、

尚子の尚の漢字をよく観るとオバケのQ太郎のフォルムにそっくりだからという説。色紙にサインを書いた際にオバケのQ太郎に見えたからというもの。

石橋「ははは!毛が3本で。笑」

伊集院「なるほど!って思ってたらね、全くのデマらしい!」

という事でタカさんが正しい理由を説明。

所属チームの合宿の打ち上げでバスタオルを巻いてオバケのQ太郎を歌ってからQちゃんと呼ばれるようになったというのが正解との事。

伊集院「ほら!そっちの方が嘘っぽいじゃん。俺の言った事の方が本当っぽいでしょ?デマってスゲェなって思って。俺も相当広めたけどデマの方。笑」

※実際は新入部員歓迎会においてアルミホイルを使ったボディコン風の衣装を着て歌ったとの事。バスタオルというタカさんの説は恐らく間違い。

第5位「男子日本サッカー代表 “世界の強豪と渡り合った 日本サッカー歴史的一戦”」

1998年のFIFAサッカーワールドカップ フランス大会で初出場の日本の初戦の相手は強豪アルゼンチン。

苦戦必至の戦前の予想を覆して、守備で奮闘した日本代表でしたが、最終的にはガブリエル・バティストゥータに得点を許して敗戦。

あの時はエースのアリエル・オルテガをいかにして止めるかという点が盛んにメディアで論じられていましたよね。

それでも世界と互角に戦えたと新聞では健闘を称える論調でした。

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第4位「澤穂希 “日本中が歓喜した 奇跡の同点ゴール”」

2011年のFIFA女子ワールドカップ ドイツ大会決勝 日本代表なでしこジャパンは強豪アメリカと互いに譲らない壮絶な戦いを繰り広げ、雌雄は延長戦へともつれ込みます。

延長前半には澤穂希のクリアミスからボールを奪われてワンバックにフリーのヘディングシュートを許して痛恨の失点。

しかし延長後半にコーナーキックから澤穂希が後ろ足でボールを逸らして値千金の同点ゴール。

その後はPK戦の末に日本が勝利を挙げて男女を通じて日本サッカーの歴史上初となるワールドカップ優勝を果たしました。

サッカーネタが続いたので第5位、第4位をまとめてコメント。

まず第5位の男子については、

石橋「W杯なんていう所に日本が行くんだなっていう。」「93年にJリーグがスタートして、でドーハがあって、で遂に本当にフランスワールドカップに出た時の驚き?うわっ!?スッゲェ日本出るんだ!?っていう。だからこれなんですよ。」

伊集院「僕らの本当に子ども頃とか、ましてや親の時代って絶対的に日本人が全員観てるような番組ってあったけど、僕らの頃どんどん分散化されて、今もっともっと分散化されてるじゃないですか?なのにお化け番組ってあると思ったのは特にこの大会辺りって近所から声が聞こえてましたよね?家でテレビ観てると、点が入った時とかヤバい時に近所中から『ワァー!』って声が聞こえるんですよ。何かそれが俺の体感した本当に国民的なすごい行事にこれがなってっていう。」

石橋「日韓の時なんてまさにそうでしょ。」

伊集院「サッカー周り以外は誰も居ませんみたいな状態。」

ミッツさんは1994年のアメリカW杯アジア地区最終予選でイラク戦で味わったドーハの悲劇では逆に国中が悲痛な思いをした事も印象的だったという意見。

伊集院「ドーハ俺すっげぇヒドイ目に遭ってるんですよ。俺が悪いんすけど。俺が悪いんですけど。」

2回繰り返すぐらいに刻まれた苦い記憶w

ドーハの悲劇で伊集院さんが招いてしまった悲劇とは?

伊集院「当時ニッポン放送。」

石橋「行ってたの!?ドーハに!?」

伊集院「行ってないっす。笑。行ってたらヒドイ目遭ってないんです。」

当時はちょうど試合が行われている時間帯に伊集院さんは生放送の番組(伊集院光のOh!デカナイト)を持っていましたが、中継のおかげで本来であれば伊集院の番組自体がお休み。

ただ、スポーツ中継で不測の事態が起こる可能性に備えて一応放送が出来る状態でスタンバイ。恐らくスタンバイするだけで実際は出番ナシに終わるだろうという見立て。

伊集院「ニッポン放送の生スタジオでこれをずっと観てるんです。そしたらこんな終わり方をした上に、なぜかラスト10分だけ生放送やります。って言うんですよ。要するにこれが見てられないっていうか。やりようが無くなっちゃってあまりの落胆に。それでスタジオに入ってくるんですけど、この雰囲気の中喋る事なんか何も無いんですよ。なのにコッチはまあまだ若手のお笑いだから何か言わなきゃ、何か言わなきゃと思うじゃないですか?事もあろうにラモス選手がドーハの後落ち込んでいる所を当時カレーのコマーシャルあったんで、Jリーグカレー食べてまさおからラモスになるCM。」

それがコチラの動画。

このネタに引っかけて、

伊集院「あんなにラモス泣いたらまさおに戻っちゃうよね。って。その当時はネットとかが無いから1分後位に耳に『黙れ!黙れ!』って。『ニッポン放送の電話が抗議で爆発する!』って言われて。どこで調べたんだ?っていうようなデスクにある電話から代表電話まで全部に抗議がかかって来てると。それにしかも局で聴いてたスタッフも『あのギャグは無いよ・・・。』って言われて。全部の怒りここ(自分)に来てる。」

まあ今だったら炎上騒ぎになっていたでしょうねw

そして改めて第4位は遂にワールドカップを制してしまった女子の偉業達成。

それまでもオリンピックの舞台などで善戦していて女子サッカーが盛り上がっていた所でしたが、

石橋「勝つまではっていう・・・。でも結局これもPK勝ちだから公式記録は引き分けになってるんですよね。PK勝ちは引き分けですから。」

伊集院「あの瞬間はその事を割と忘れてますよね。PKで。やっぱりあの澤さんのあの感じがすごいから。」

澤穂希の同点ゴールを呼び込んで後ろ足のプレーを再現するタカさんw

石橋「あれどうやって入れたんだ!?っていう。」

伊集院「どういう練習とどういう打ち合わせをしたらそうなるんだ?って。魔法みたいでしたよね。あのシーンね。」

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そこまで女子サッカーに詳しくなくてもワンバックの名前が忘れられないと伊集院さんw

伊集院「一人だけ反則のやついるよって。笑」

石橋「デカすぎるよ!って。笑」

伊集院「あそこで全員が、善戦したけど終わった・・・って思いましたよね?」

石橋「思った。思った。」

石橋「で、丸山なんとかっていう女の子が後にああいう風になっていくとは信じられない。」

丸山桂里奈の事ですねw

まさかのバラエティタレント転身。しかも芸人さんがやるような体を張った企画も多くこなしていますし。

伊集院「これチームで国民栄誉賞もらってるじゃないですか?丸山さんだけはお返しした方がいいんじゃないかっていう。笑」

かつて世界の盗塁王と言われた福本豊さんが国民栄誉賞を「立ちションベンも出来んようになる。」と言って断ったというエピソードなんてのもありますよねw

そんな賞はおこがましくてもらえませんという真意だったそうですが。

第3位「松井秀喜 “日本のゴジラが世界のゴジラに”」

松井秀喜の名前が出た途端に「どっち?」と熱が入る伊集院さんw

本拠地で満塁ホームランデビューを飾った衝撃的なシーンかもしくは?という事でしょうか。

2002年にヤンキース入団から2006年には怪我の影響もあって成績はイマイチ。

そして2009年には遂にヤンキースが松井秀喜を放出する方針であるという話がメディアに伝わります。

ただ、この年のチャンピオンを決めるMLBワールドシリーズではヤンキース vs フィリーズというカード。

伊集院「コッチだよ。」

ここで松井秀喜は獅子奮迅の活躍。

第6戦でワールドシリーズタイ記録となる1試合6打点を記録して大爆発。

チームの世界一の原動力となって日本人初となるワールドシリーズMVPを獲得。

石橋「これはちょっと来たでしょ?」

伊集院「来た・・・。来ました。」

伊集院さんとしてはヤンキースの放出方針が伝えられる中のワールドシリーズMVP獲得で、

伊集院「これで俺トレードって無くなるもんだって思った。」

石橋「俺も。俺も残った。これで残すと思った。」

でも結局そのまま方針通りチームを離れエンゼルスに移籍。

このメジャーのドライな感覚に、

伊集院「メジャーってスッゲェな!って逆に。」

石橋「あっさり出すからね。」

伊集院「シビアですよね~。でもここは泣きそうな位すごかった。」

石橋「やっぱりねフィリーズで出て来るペドロ・マルチネスが絡んでくるっていうね。」

ここからタカさんは2003年のリーグチャンピオンシップシリーズの話へ。

石橋「ペドロは当時レッドソックスのエースで、ものすごいボールを何度も投げて、あの松井くんがプレーをしている時にあんなに感情を出すことが何も無かったのに、レッドソックスの時にポサダのセンター前で帰って来てこうやる。あん時に打たれたのはペドロなんですよ。初めてこんな感情を出すんだっていう宿敵ペドロからホームラン打つんすよ。」

8回の松井秀喜の打席からはコチラの動画。

ホールに帰って来た松井秀喜は感情を爆発させてチームメイトとハイタッチ。

石橋「でまたいつもコマツでやってたからコマツの看板の上に打つんですよ。」

伊集院「そこは見てなかったです。笑。ペドロの話までは感動させてもらいました。笑」

コチラがフィリーズに移籍したペドロ・マルチネスから打ったホームランの動画。先ほど出て来た2009年ワールドシリーズ第6戦。KOMATSUの看板がしっかり入ってますねw

松井秀喜のお父さんが勤めていたという縁で小松製作所のイメージキャラクターにも起用されていた松井秀喜。

しっかりスポンサーさんに恩返しですねw

ここで松井秀喜と長嶋茂雄さんの素的な師弟愛について語るタカさん。

長嶋茂雄さんの4番1000日計画で松井秀喜はマンツーマンでの直接指導をずっと受けていたという間柄。そしていよいよ長嶋茂雄監督勇退の日東京ドームで試合が。

その日もいつものように二人だけでマンツーマンの素振り。

するとこれまでの長年の師弟関係から思いがこみ上げてきた松井秀喜は涙が止められなくなって号泣。

石橋「振れなくなっちゃって。そしたらミスターが『どうした?』つって。『すみません。監督・・・。』つって。」

すると次の日、雨天で流れた阪神戦が甲子園で行われる事に。

石橋「で甲子園球場着いてミスターが『おい松井!今日もやるよ!』『えぇ~~!昨日の僕の涙は!?』」「全くミスター、忘れてるのか、そんな事何とも思ってない。笑」

松井秀喜の涙を無かった事にしちゃったミスターのお話でしたw

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第2位「大谷翔平 “日本人最速 夢の165km/h”」

2016年クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦 日本ハム vs ソフトバンク。

9回表のマウンドにリリーフとして登板した大谷翔平。

その大谷が投じた一球が日本プロ野球史上最速となる165km/hを記録。

伊集院「やった!初めて俺あそこにいた!」

石橋「えっ!?生でいたの!?うわぁ~~!」

やられた!という表情のタカさんw

伊集院さんは165km/hの記録が出た時用の特別な演出が用意されてあったことがこれまたスゴかったという意見。

伊集院「いまだに知りたいのは『何km/hまで用意してあったんだろう?』っていう感じなんだけど。」

さらに大谷翔平と言えばピッチャーとバッターの二刀流でも有名ですが、こんな漫画みたいな事出来んの!?とタカさん。

過去はどちら片方に絞るべきという意見もありましたが、今では大谷翔平の出す結果を見て認めざるを得なくなっているハズと伊集院さん。

タカさんはこの時の最速165km/hを見たときにやっぱりピッチャーなんじゃないの?と思ったそうですが、バッティングも凄まじい事にまた驚いたそう。

そこでタカさんが大谷翔平に直接会ってどうしても聞きたかった質問があるそうで、

石橋「もうね。実は去年9月に3試合観てきました。」

ミッツ「番組の収録の合間に行ってんのよ。」

伊集院「ちょっと多摩川グラウンドみたいな感じで行くなぁ~。」

久々に合った大谷翔平からはメジャーリーガーのオーラがガンガン出ていたと感じたタカさんは、少し近づけない雰囲気で後ずさりしてしまったとの事。

石橋「一個だけ絶対これだけは聞こうと思った質問があって。さっき出てました松井秀喜くんが、松井秀喜くんは初めてヤンキースでデビューした年の5月に今まで経験した事のない疲れを感じてバットが振れなかったんですって。それは日本のシーズンだと必ず月曜日が休み、どんなやらせても6連戦ぐらいのペースで10年間やってたのが急に10何連戦とか移動とかで体がアジャストできなくて振れなかった。」

そんなエピソードを知っていたので、

石橋「あの松井くんですらそれだけ疲れて。疲れてないの?すっげぇ9月打ってたじゃん?疲れてないの?」

すると大谷翔平の返答は、

『僕守ってないですからね。』

石橋「それだけ!?だってピッチャーもやってるのに!?スゴい・・・化け物です。」

一方で伊集院さんも大谷翔平の化け物ぶりを感じたエピソードがあるそうで、

伊集院さんと言えば熱狂的な日ハムファン。好きすぎてキャンプの時期は仕事をお休みしてキャンプ観戦。

そこでメジャーに行く前年の大谷翔平のバッティング練習を見たという伊集院さん

長年の野球ファンなのでいくらでもすごい打球は見たことがあっても力を抜いたバッティングでセンター方向のバックスクリーンのさらに上のスコアボードを越えるまでボールを飛ばす様は見たことが無いという感想。

伊集院「平気で何本でも。ずうーっと続けてんの見て。ちょっとホントによく言う鳥肌立つって言うか、何か理解出来ない。」

石橋「多分、見たことないシーンばっか2位まであげてきましたけど、もっと見たことのないシーンをこの人は見せてくれるんだろうな。って。ホントにホームラン王獲って、サイ・ヤング賞獲るっていう夢のようなことを。」

伊集院「我々おじさんなってくるじゃないですか。おじさんなってくると大体『昔の方がすごかった』ってなるじゃないですか?」

石橋「張本さんがね。笑。張本さんが言うようにイチローがどんなに打ったって『日本じゃ俺の方が打ってる。』金田さんは『大谷が165km/h?俺は180km/h投げてた!』っていう。」

伊集院「なっちゃうじゃないですか?笑。俺たちもそうなる時あるけど、(大谷翔平は)それを全部すっ飛ばしてっていうレベルですよね。」

石橋「次のページをめくる人が出てきちゃった。」

伊集院「えぇ~!こん中の1位なんですか!?」

石橋「1位はでもね、これね本当に申し訳ないんですけどベスト10とか15位とか全部アレする前に1位これしかないんで、1位から決まっちゃったんです。」

伊集院「とするとアレか?っていうのはあるんだけどな~。」

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いよいよ第1位

第1位「野茂英雄 “海を渡ったトルネード 新たな歴史の開拓者”」

1995年、日本の野球が世界で評価されていない時代にドジャースとマイナー契約を結んだ野茂英雄。

そんな期待薄の中、5月2日にジャイアンツ戦でメジャー初登板。

初登板で超強力打線を相手に5回無失点の好投。

メジャーで日本人選手が活躍するその礎を築いたパイオニア。

この企画の為に用意されたのかどうかは分かりませんがトロフィーの画のアップから。

石橋「まあ僕は本当に伊集院さんと同じで野球が大好きで、見てないシーンというか扉を開いてくれた人に対してはもう『うわ!こんな所を見せてくれるんだ!?』っていう。平成で1位はやっぱ野茂英雄なんですよね。誰もアメリカのチーム含め、日本人でそんな野球上手いの?ってとっから入ってるから、だから野茂英雄のこの活躍によってどれだけの選手が後に良い条件で入れて。」

「全ての道を開けてくれた。という。」

ここでタカさんが野茂英雄と初めて会った時のエピソードを披露。当時、野茂英雄は20歳。

石橋「アマチュアの時から知っていて、一番最初に会ったのが、当時オールジャパンに選ばれて新日鉄堺にいて、明日からキューバかなんかに遠征に行くっていう前の日に東京にいて、チームのトレーナーが僕のよく知ってるトレーナーの人でオールナイトニッポンに連れて来た。」

伊集院「えぇ~~!あの時点で!?うわっスゲ!スゲ!スゲ!」

石橋「で一緒に写真を撮って、今日東京にいたの?明日から遠征なんで今日は原宿行ってバレンタインハウスでトレーナー買いました。って。それが生まれて初めての。」

バレンタインハウスではフジテレビの「ねるとん紅鯨団」のタイアップで番組グッズとしてトレーナーやバッジなどを販売していた当時。

石橋「んで、頑張ってね~って。そん時はね、プロに行くの?つったら、あんまりまだプロには興味ないです。ってそん時は言ってたの。そしたらもう次の年8球団来て近鉄行って。まあほぼほぼ毎年のように会っていて。だからメジャー行ったこの第1試合も家で観てましたけど、なんか運動会で子どもが徒競走を走ってる時みたいな感じのお父さんの気分になっちゃって!」

その一方で、野茂英雄に対する当時の世論としては、

伊集院「あの時、ほぼほぼプロ野球ファンもプロ野球関係者も大反対でしたよね?」

石橋「はい。」「裏切り者と。」

当時、野茂英雄は“任意引退”という制度を使ってメジャー移籍。当時のプロ野球体制を脅かすとして激しい批判の的に。

伊集院さんも掟破りの移籍手法から当時は反対派。

それでもメジャーの地で結果を出す野茂英雄の姿に、

伊集院「あれを縛り付けとく方が間違っていたっていう力づくで認めさせていく感じっていうんですかね。」

石橋「この95年でシーズンが終わって野茂が帰ってくる時のスポーツ新聞にナイキが出した全面広告見ました?全部が今のバッドな記事(の見出し)がズラーって載ってる中、一番最後に『お帰りなさい。野茂英雄。』ビシッって(ナイキのマーク)。」

「かっけぇ~!ナイキのこの宣伝広告!」

Google検索「お帰りなさい 野茂英雄」

という事でタカさんが独断と偏見で選んだ平成スポーツ名場面のトップ15発表は以上。

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最後に番外編

伊集院「やっぱり自分の独断が面白いっすよね。みんなの独断で決めるのが絶対面白いわ~。」

ミッツ「伊集院さんは伊集院さんでやりたいでしょ?」

伊集院「やりたい!」

石橋「やりたい?笑。ちょっと違う?」

伊集院「イチロー上がってきますよ。WBCのイチロー上がってくるでしょう。」

石橋「あぁ!俺WBCの、ごめんね、WBCの準決勝行ってんの。」

伊集院「またいるじゃん!」

伊集院さんの二の腕を優しく掴んで「ちょっと話させて、ごめんね。」といったニュアンスのタカさんw

石橋「どうしても仕事があって・・・そうだ!笑っていいともだ!いいともの友達の輪(テレフォンショッキング)かなんかのゲストに呼ばれちゃって。『えぇ~!俺その日決勝あんのに・・・。』つって準決勝終わってすぐ次の日飛行機乗って、結果一切聞かずに全部終わってから観ようと思って、成田だよな?成田パッって着いたらJALのお出迎えの人が『イチローさんスゴかったですね~。』って。『えっ!?えぇ~~!』って。笑」

まさかのJALのスタッフさんからのネタバレw

という事で改めて野茂英雄の栄誉を称える為に先ほど映ったトロフィーの画。

おそらく本人に授与したりとかは無いと思われますがw

そして次回予告。

サビだけは知っている洋楽のヒットを大特集。

ゲストはグッチ裕三さん。

グッチ裕三「六本木のジョン・トラボタルって言われた。」

次回は洋楽にスポットが当たる回ですね。

【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】

一覧:「石橋貴明のたいむとんねる」

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