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第73回 NHK「チコちゃんに叱られる!」1日3食なのはなぜ?銭湯に富士山の絵が多いのはなぜ?


またしても1週のお休みを挟んで19年12月13日放送の第73回 NHK「チコちゃんに叱られる!」はゲストに黒木華さん(初登場)と石黒賢さん(初登場)を迎えて取り上げられた疑問は、1日3食なのはなぜ?銭湯に富士山の絵が多いのはなぜ?というもの。

ということで、19年12月13日に放送された第73回 NHK「チコちゃんに叱られる!」の様子をまとめてご紹介します。

※本記事では番組前半に紹介された2問をまとめておりますので後半の疑問は別記事でフォロー。

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出演者

【メインMC】チコちゃん(声:木村祐一)

【アシスタント】塚原愛(NHKアナウンサー)

【ナレーション】森田美由紀(NHKアナウンサー)

【レギュラー】ナインティナイン 岡村隆史

【ゲスト】黒木華、石黒賢

【VTR】森山直太朗

チコちゃんの疑問その1

1日3食なのはなぜ?

ゲスト紹介では黒木華さんの事はいたって普通に紹介するチコちゃん。ちなみに岡村さんと出身地がかなり近いとか。

そして石黒賢さんの事も普通に紹介。でもチコちゃんが一番気になったのは石黒賢さんの挨拶スタイル。

石黒賢さんは「初対面で握手するタイプの人」という指摘のチコちゃんですが、チコちゃんとはまだ握手していないという事でどこか寂しそうw

慌てて握手した所で第1問目。

指名は、この中で一番規則正しく生きている立派な大人ってだーれ?

「規則正しくないですけど。」とご本人は言っていますが、岡村さんが強引に指名して黒木華さんが解答者に。

ここでチコちゃんの疑問は、

なんで1日3食食べるの?

黒木華「決められてたんですかね?なんか偉い人たちに・・・」

どんどん詰め寄って来るチコちゃんに圧を感じる黒木華さんですが、最終的には「偉い人が決めた説」を信じてみる事に。

チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

黒木華「嬉しいです。笑」

叱られて嬉しそうな黒木華さんですが、偉い人が言ったからといってそれを素直に聞くかどうか・・・。

チコちゃん「みんな言う通り聞くのかしら?あなた聞いてないもんね?」

黒木華「アタシ聞いてないっスね。」

急にヤンキー口調の黒木華さんw 

続けて石黒賢さんにも聞いてみると、

昔は日の出日の入りに合わせて生活していたのでその頃は2食だったという話を展開していきますが、

石黒賢「・・・なんでもう一回増えたんだろう?」

肝心なところが分からずw

都内の食堂でインタビューしてみると、本能の赴くまま、日本政府が決めたという答えが出ますがどちらも不正解。

ということでチコちゃんの答えは、

明かりがついたから

石黒賢さんはかなり良い所を突いていたのに惜しかったですね。

チコちゃんもチコりを覚悟したみたいですが、途中であっさりと諦めてくれたので一安心w

解説は医学博士の奥田昌子先生。

この1日3食という食習慣が始まったのは江戸時代に入ってからの事。

それ以前は朝食と夕食の1日2食が一般的でした。これは石黒賢さんが指摘した通り。

それが江戸時代中期になると一般庶民の間で「照明用の菜種油」が普及した事で生活様式が一変。

今では食用としてよく使用される菜種油ですが、古くから照明用の燃料として使われていました。

しかし、江戸中期以前の菜種油は非常に高価な代物で庶民には手の届かないもの。

そこで庶民が照明用燃料として使っていたのがイワシの油。しかしこのイワシの油は燃える時に強烈な臭いがしたため、あまり多用はされなかったとの事。庶民はその頃は照明自体あまり使っていなかったですね。

ところが1700年頃に菜種油を大量生産する技術が開発されるという革命が起きます。すると高価だった菜種油の値段は一気に下がって庶民でも気軽に手に入れる事が出来るように。つまり、夜になっても明かりを点けることが出来るようになり、夜も色々と活動できるようになったというわけ。

その結果、起きている時間が長くなって2食では足りず、朝食と夕食の間に昼食を挟むという1日3食の習慣が広まっていきました。

ここで番組ディレクターが、

  • 江戸以前(例として室町時代初期)の明かりを使わない1日2食の生活スタイル
  • 明かりを使うようになった江戸中期以降の1日3食の生活スタイル

の2パターンを実際に体験してみて比較してみる事に。

まずは1日2食の時代。

起床は何と夜明け前の午前3時半。しかも起床後は朝食は摂らないままで日の出とともに仕事開始。

そして午前10時には仕事終了。労働時間は早朝から5~6時間ほど。

黒木華「いいなぁ~。」

起きてから7時間以上が経過した所でやっと朝食。この時点で午前11時。

当時の朝食メニューは蒸した玄米、すまし汁、焼き魚などの一汁一菜が基本。

朝食後はゆっくりと余暇時間を過ごして、午後4時ごろに夕食。夕方に食べていたのでまさしく夕食。

夕食が終わるともう日暮れ。イワシの油は臭いので夜に明かりを点けることも無く日没の午後6時には就寝。

この頃は夜の活動時間は極端に短く、睡眠時間が9時間超という生活スタイルでした。

これが1日3食の時代になると、

夜明けとともに午前5時に起床。起きると仕事に行く前に朝食を食べます。

朝食メニューは一汁二菜が基本。主食は玄米から山盛りの白米に。

江戸時代には精米技術の発達などにより江戸の庶民も白米を食べられるようになっていました。

朝7時には仕事開始。

すると3時間後の朝10時におやつ感覚で蕎麦や寿司などの軽食を摂るのが普通。

その後は仕事に戻ったと思ったら、午前12時には昼食。

メインのおかずには刺身などを食べる1日の中で最も豪華な献立が昼食には用意されます。

そしてここでも山盛りの白米。

江戸時代には1人1日5合も白米を食べていたほどに江戸の庶民は白米好き。

白米は当時は年貢として納められてた事もあって、白米は富と権力の象徴でした。

そんな白米を食べる事はこの上ない幸せ。その為に江戸の庶民は白米ばかりを食べてビタミンB1不足になり脚気になったほど。

そこから脚気の事を「江戸わずらい」なんて名称で呼ばれたり。

昼食を食べた後には再び仕事に取り掛かりますが、午後2時にはこの日2度目のおやつタイム。

お昼前と夕食前の2回に渡って軽食を摂っていたわけですが、当時江戸では多くの人が長時間働いており食事は仕事の合間を縫って摂るもの。となると1回の食事では十分な時間がとれないので代わりに食事の回数を増やす事で対応していました。

2度目のおやつタイムの後は1時間ほど仕事をして終業。午後4時には仕事を切り上げて帰宅します。

そして夜7時になると菜種油を使った行燈に火をともして夕食。

夕食は残ったご飯をお茶漬けにするのが一般的。昼食や軽食でしっかり食べているので夕食はごくごく軽め。

夕食後は行燈の明かりで読書をしたり晩酌をしたりして過ごし、夜11時頃に就寝。

菜種油の普及によって夜の活動時間が増えて、その分睡眠時間は6時間ほどに減少。

比較してみて番組Dの感想は「1日3食っていうか5食食べましたから、もうお腹いっぱいですよ!江戸時代食い過ぎ!

という事で、

1日3食なのは明かりがついたから

でした。

3食で一番テンションが上がる食事は?という質問には、

チコちゃん「朝ね、だし巻き卵を巻きながら、お昼と夜なに食べようかな~って思う時。」

総括すると、明かりがついたのに夜は仕事をしなかった江戸時代に疑問を持つ黒木華さんw

最後に塚原愛アナからは「脚気=江戸わずらい」というお話の補足。

地方の人は玄米を多く食べていたのでビタミンB1不足にはならずに脚気は少なったとの事。

当時は原因が分からず、流行り病の一種として捉えられていたり。

土曜ドラマ「みをつくし料理帖」の番宣が入って1問目は終了ですが、

黒木華「チコちゃんも出てて・・・」

チコちゃん「チコはね。笑。いや。華ちゃん!チコは出てないんだけど。笑」

岡村「チコちゃん出てんの!?笑」

チコちゃん「岡村~!分かってるでしょ!そんなことぐらい!」

チコちゃんの声の正体である木村祐一さんが「みをつくし料理帖」に常連客の清右衛門役で出演w

カリキュラマシーンのオープニング。

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チコちゃんの疑問その2

銭湯に富士山の絵が多いのはなぜ?

2問目の指名は、

この中で一番、 お風呂が大好きなステキな大人ってだーれ?

岡村さんはカラスの行水で、さらに石黒賢さんもシャワー派だそうですが、

強引に岡村さんの指名で石黒賢さんが解答者に。

ここでチコちゃんの疑問は、

なんで銭湯には富士山の絵が多いの?

「青いから」という答えの石黒賢さんw

岡村「急にアホみたいな言い回し。笑。ちゃんとしてください!」

お湯につかっているとボーっとしてくるので青空バックの富士山でクールダウンするという意味みたいですが、

チコちゃん「喋り出した時に正解になるという感覚あった?」「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

厳しいチコちゃんw

叱られてリアクションをとるのを楽しそうに「あ~やった!これやりたかったんだ。笑」と石黒賢さん。

岡村さんに続けて聞いてみると、

最初に富士山の絵を描いた人が富士山のふもと(富士五湖)の近くに住んでいたからという答え。

チコちゃん「うわぁ~・・・残念!惜しかった。」

銭湯のお客さんに聞いてみると「前チコちゃんでやってたけど・・・友だちから聞いた。」という女の子が登場して取材スタッフも大慌てw

番組でこの疑問が取り上げられるのは今回が初めてなので何かの勘違いでしょうねw

ということでチコちゃんの答えは、

最初に銭湯に絵を描いた人が静岡けんみんだったから

岡村さんはほぼそんな事を言っていたような気がしますが?

岡村「チコってる?チコってんちゃう?今。」

チコちゃん「富士五湖は山梨県でございました~。」

岡村&石黒賢「そこ~!?」

思わずユニゾンする2人w

解説は庶民文化研究家の町田忍さん。

銭湯に初めて大きな絵が描かれたのは今は既に廃業して無くなっていますがキカイ湯という神田にあった銭湯でした。これが銭湯絵発祥。

1912年にキカイ湯の経営者で東由松(あずまよしまつ)さんという方が子どもたちを喜ばせようと浴室の壁に絵を描く事を発案。当時は板張りが普通で殺風景だったのでこのような試みに。

そして当時、東由松さんの知り合いだった川越広四郎(かわごえこうしろう)さんという画家に依頼。

この時に描かれたのが富士山だったわけですが、その理由は川越広四郎さんの出身地が富士山の見える静岡県の掛川市だったから。

この富士山の絵がきっかけでキカイ湯は大繁盛し、これにあやかって他の銭湯も真似するようになった事からどんどん広まって行ったんですね。

番組では実際にどのように銭湯の絵が描かれるのかその現場を取材。

登場したのは全国に数名しかいないという銭湯絵師の中島盛夫さん。

YouTube動画。

今回の仕事現場は元々、中島さんが描いた富士山の絵が飾ってある銭湯。この度、新しい絵にガラッとリニューアルするという事で仕事の依頼を受けたようです。

するといきなり絵の上から筆を走らせていますが、これは「下塗りをする暇が無いから」だそう。

銭湯の営業前などの限られた時間を使って絵を仕上げて行かないといけないので極力無駄は省くためにこのようなやり方。

この時、使われるペンキの色は赤・黄・青・白という4色。

また、広い所を塗る際にはハケではなくローラーを使ってどんどん塗りつぶしていきます。

途中でチコちゃんに叱られる!の視聴率を気にする中島さんw 番組のファンで毎回観ているという熱心な視聴者さんだった模様。

「ボーっと生きてんじゃないよ!笑。アレが面白い。」と快調に飛ばしながらガンガン作業を進めて行きます。

そして朝8時からスタートして5時間後には絵が完成。

元々は白糸の滝が描かれた富士山でしたが、見事な逆さ富士に変身。

出来栄えを尋ねてみると、

中島さん「今日描いた絵が一番なんですよ。いつでも。そうしないと帰れないでしょ?笑」

サラッと名言。

今では銭湯絵もどんどん進化していて豊島区の銭湯には夢の街と宇宙が描かれた壮大な絵。

隅っこにはスペースシャトルに掴まるサンタさんだったり、キングコングの絵だったりと遊び心満載。

また、大阪ではデカデカと大阪城の絵が描かれた銭湯も。さらになぜかミロのヴィーナス像も。

岡村「どうなってんねん。これ。笑」

その意図を経営者の坂本春子さんに聞いてみると「ステキだから。色々楽しんでもらったら。」というシンプルな答え。

という事で、

銭湯に富士山の絵が多いのは最初に銭湯に絵を描いた人が静岡県民だったから

でした。

銭湯に描きたい絵を聞かれたチコちゃんは「チャーシューチャーハン。」という答えw

相変わらずチャーハン好きのチコちゃんですね。

最後に中島さんの名言を噛みしめる石黒賢さんからドラマ「決してマネしないでください。」の番宣が入って2問目は終了。

後半の疑問はコチラの記事で。

NHK「チコちゃんに叱られる!」に関する全記事はこちらのリンクから

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