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「唯一負けたのがクスリ」とんねるず石橋貴明と清原和博の焚き火トーク


元プロ野球選手の清原和博が2020年7月8日放送の「石橋、薪を焚べる」に出演し、そこでタカさんと一対一で本音トーク。記念バットの贈呈から始まり、出て来た話題は、自殺願望、唯一負けたのがクスリ、再起のきっかけは甲子園観戦と息子との再会などなど。

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記念バット贈呈

石橋「内角まっすぐを投げるよ?俺は。大丈夫?」「真っ直ぐ勝負ですよ?」

清原和博を「キヨさん」と呼びつつ、冒頭から容赦ナシの真っ向勝負を宣言するタカさん。

清原和博「いやもちろん。お願いします。大丈夫ですよ。デッドボール当たらないように。笑」

そしてタカさんに何やら手渡す清原和博。

袋を開けて出て来たのはミズノのバット。執行猶予が明けた日である2020年6月15日の日付つき。

石橋「4年間!頑張って。遂に。」

現役時代と同じ仕様というバットには先端に重量調整のため凹み。

トップを削るとバットの重心がやや手元側に移動するというマニアックな知識を披露するタカさんに「よくご存知ですね!」と驚く清原和博。

石橋「俺はね、工場行ったことあるのよ。」

当時メジャー移籍2年目だった松井秀喜のバットの仕様も先端が抜いてあるものだったそうで、その理由を尋ねると、

1年目にメジャーのピッチャーのボールは手元でよく動くので、芯で捉えたと思った打球でも小さくズレてしまうのでそれを防ぐために手元に芯をズラしたかったという回答が返ってきたとか。

清原和博「僕も基本的に詰まるタイプだったんで、重心を(手元に)落としたんですよね。」

せっかくプレゼントした記念バットは「薪にしないでください。笑」とジョークを飛ばす清原和博w

石橋「大馬鹿もんでしょ。そしたら。笑」

自殺願望と再起

石橋「4年間苦しかったですか?」

清原和博「苦しかったですね。あの~・・・ついさっき湾岸署の横通って来たんですけど。笑。僕は湾岸署じゃなかったんですけど。」

芸能人が警察の厄介になった場合はよく湾岸署の前で頭を下げるシーンがメディアに流れたりしていますがw

清原和博「あぁここでやってんだみんな。と思いながら。で最後の番組も、男気じゃんけんこっから出て行ったじゃないですか?」

「そういった色んな事思い出して、あぁ~長かったなぁって感傷の浸りと、逮捕されてからの1年、2年、3年。1年目はすごく長く感じましたし。」

「1年目はすごく長く感じましたし、2年目も。1、2年目は薬物の影響による、抗うつ剤とかで廃人状態でした。」

「(薬物が)体に入ってる量があまりにも多かったんで、一回に使う量が。それでそういう後遺症が出るんで。」

医師から処方される薬も多岐に渡るそうですが、中には体に合わないモノもあるようで、

清原和博「自殺願望。1年目、2年目ってすごかったですね。」

全てを失って、家族にも会えない日々から「生きてても意味がない。」という思いに駆られたそう。

清原和博「iPhoneで自殺の仕方とか検索したりとか。それで1日中寝っ放しでした。」

外に出ると世間の目にさらされる恐怖感もあり、マスコミに追いかけられる恐怖などもあって、食事などは友人に協力してもらって自宅まで届けてもらっていたそう。

石橋「完全なステイホーム?」

清原和博「そうですね。笑。ステイホームっていったらあれなんですけど。笑」

テレビなども民放はまず点けられなかったそうで、そんな中で海外ドラマは観ていたそうで

清原和博「保釈されて病院に移ったんですけど、プリズンブレイク観てました。笑」

日本の番組(特に報道番組)や、スポーツ番組などは一切観れなかったとか。

石橋「どうやって乗り越えていったの?」

清原和博「生きていく力が無かったんで、それで僕大阪から出て来たじゃないですか?ホントに野球した事さえも後悔したんですよ。」

「野球選手を選んでいなかったらこんな事にはならなかったのでは?」という思いも浮かんできたとか。

石橋「野球すら否定してしまったの?」

清原和博「そうです。」

そんなどん底の状態から少し上向いてきたきっかけは、

清原和博「甲子園行けば原点みたいなのが思い出せるかな?って。第100回大会(2018年大会)あったじゃないですか?そこに向けて甲子園に行こう!って決めてたんですね。その前にNumberの取材とかあって、やっとこさ2週間に1回取材を受けるようなリハビリみたいなのをして、じゃあ100回大会観に行きたいですって言ったんですね。」

「勝手にチケット勝って来る分には良いと。だから招待的な感じじゃなかったです。それでも行きたかったんで。」

念願の甲子園観戦では、

清原和博「巨人阪神で何回もやってるじゃないですか?だからその甲子園って自分の中ではすごい覚えてるんですけど、(PL学園時代の)あん時の甲子園観てみたいなぁっていうのがあったんで、ホントに静寂した空気感とブラスバンドがあって、俺こんなとこで野球してたのかなぁ?って改めて観て、あぁ~高校野球っていいなぁ~って。そっから元気もらいましたね。」

石橋「やっぱり清原和博をもう一度奮い立たせたのは夏の甲子園だったんですか?」

特に2018年大会は金足農業高校の吉田輝星投手が注目された大会で、決勝戦のカードは対大阪桐蔭に。

公立校である金足農業高校とエリート校である大阪桐蔭校の対戦となった決勝には感じ入るものがあったようで、

清原和博「死んでいた魂がやっとドクドクと(脈打って来た感じ)。」

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クスリに手を出すきっかけ

石橋「清原和博ほど甲子園に愛され、野球に愛され、プロ野球の生活も全てスター中のスターを歩んでいた男が野球を辞めてしまおうと思ってしまような事を起こしてしまって、うーん・・・。何だか・・・苦しさはキヨさんしか分からないと思うんだけど。」

清原和博「まずそういうモノに出会ってしまった事もありますし。」

石橋「なんで大体そんなモノに手を出しちゃったの?」

少し声を荒げるタカさん。

清原和博「まず膝のリハビリから解放されるじゃないですか?リハビリ毎日毎日時間を費やして来て、今度は自分のやりたい事がなかなか見つからなくて、夜な夜な飲み歩くようになって。そういうところでついやってしまったっていう。」

石橋「時間があまりにもあり過ぎたために?」

17年、18年ぐらい前 (2002年、2003年頃)に当時ジャイアンツに所属していた清原和博と同じジムでトレーニングをしていた事があるというタカさん。

その時のタカさんは体を鍛えて40歳にして東京ドームでホームランを打つという番組の企画に挑んでいた頃。

石橋「そん時のね、バーベルやってるトレーニングの姿見たらね、プロの一流バッターっていうのはここまで体をいじめ抜かないと一流としてずっと持続していけないだなって思って。俺あの練習見た時に驚いて、うわ。あの清原和博でさえこんなにやってんだ!?っていう。」

そんな満身創痍のトレーニング直後でも、タカさんがジムで同時に行っていたトスバッティングの練習にはずっと付き合ってくれたという清原和博。

ボールをセットする雑用も行い、冗談を交えつつもバッティングのアドバイスも逐一。

石橋「キヨさんは優しい人なんだなぁって思って。」

その後に現役引退をした後に清原和博に対してメールで連絡してみると、

石橋「これだけの選手だと、テレビ観ましたよ~ぐらいのメール送ると、ありがとうございました。ぐらいの返りがあるのが普通なんですけど、まぁ丁寧なメールをちゃんと返してくれる人で。」

そんなエピソードから野球が大好きな野球小僧がそのまま大人になってしまったような人という印象を強く受けたというタカさん。

石橋「だからうーん・・・あの事件を最初知った時、俺は驚いた。なぜあの野球小僧が、家族を愛していた清原和博が全てそこでパーにしちゃうのかっていう。」

現在のプロ野球だと引退後の生活について割としっかりとビジョンを持っているケースが多いのに対して、

清原和博「僕ホントに野球ばっかりやって来て、ポッカリ穴開いてしまったんですね。自分これからどうやって生きていけばいいのかな?みたいな感じで、仲間の集まりで軽いノリやったんですよ。」

「だから一回やったら終わりですよね。」

「自分はある程度意志は強い人間だと思ったんで、どんな苦しさにも耐えて来たし、痛みにも耐えて来たし、そんなモノに負けるるハズがないって思ってたんですけど。」

「唯一負けたのがクスリでしたね。」

石橋「恐ろしい?」

清原和博「恐ろしいです。」

石橋「全然そっから抜け出せなくなっちゃう?」

清原和博「もう・・・完全に人間じゃなくなりますよね。だからそれが一番に来るんですよ。常に。使う事が。それで二番目に自分の大切な事が来るんですよ。」

始めは優先順位が低かった薬物への意識が気付けばどんどん上がって行って最終的にはそれしか考えられなくなると。

意識「悪魔のようなクスリなんだね。じゃあ。」

清原和博「僕今、薬物の病院とか行ってるんですけど、ドクターが言ってましたけど、コロナの期間中あったじゃないですか?そこに患者さんで薬物の売人とかも来るらしいんですよ。凄まじいうめきだったって言いますから。」

「自分の役割としてはちゃんと元気になった姿見せて、止めたいと思ってても止められない人いっぱいいると思うんですよ。僕もそうでしたから。」

息子との再会

石橋「ホントに戦いはこっからですよね?」

清原和博「やっぱりこうしてチャンスいただける、4年前なんか、もうこの世に出て来ては行けないっていう風に思ってましたし。完全否定ですよね。自分を。」

「やっぱり前向きになれたのは息子と再会できた事とか。」

石橋「そうですか!俺一番最初にニュースを知った時に、TBSの番組で息子さんの前でホームランを打つっていう企画で、桑田くんが投げてくれてキヨさんが打って。息子さんをガッと抱きしめてたシーンあったでしょ?あの事が浮かんだから、え~勘弁してくれよ~キヨさんって思ったんだけど。」

YouTube動画。

清原和博「去年ですかね。ホントは弁護士さんを通じて写真をもらうだけだったんですけど、去年3月ですね、突如会える事になったんですよ。」

「なぜ会える事になったのかというと、息子がちょっとバッティングの事で悩んでると。次男なりに(アドバイスを受けたいのが)僕っていう事を言えなかったと思うんですよ。母親に気を遣って。」

「それで長男が僕の名前を出してくれて。それで急に決まったんですね。」

「決まって2、3週間後に突然母が亡くなったんですよ。3月5日で僕の背番号の日なんですけど。あぁこれ母からの置き土産かなぁと思って。最後死ぬ前に。」

久しぶりにあった次男(中学3年生)は背も大きくなって成長していたそうで、

※ちなみに長男は今年高校3年生ですでに清原和博よりも背が大きいとか。

清原和博「最後に見たのが小学6年生なんですよ。その時点で自分の6年生より遥かに(野球センスが)良かったんで。」

このコロナの自粛期間中は年代的に一番伸びる時期だったそうで、その時期に試合が出来ない代わりに清原和博が直接アドバイスを行う頻度も多くとれたとの事。

清原和博「僕自身も勉強してるんですよ。A・ロッドの打ち方とか。笑」「僕今、注目しているバッターが鈴木誠也選手なんですよ。」

石橋「鈴木誠也はやっぱ何が一番いいですか?」

清原和博「構えも素晴らしいですし、タイミングの取り方も上手いですし、バットの軌道がまずいいですよね。あとハートが強いですよね。」

石橋「まぁとにかく負けず嫌いだって。超がつくほどの負けず嫌いだって。」「帝京に高校時代にやられて帝京大嫌いなんですよ。鈴木誠也。笑」

「この1、2年で構えた瞬間に、投げてらっしゃいっていう感じが出てるよね。」

清原和博「彼のスイングが理想的だと思うんですよね。」

石橋「現役時代のキヨさんもそうだったけど、鈴木誠也はデカい!年々デカくなってく。体が。」

清原和博「自分誕生日一緒なんですよ。それで思い入れもあって。」

※清原和博:1967年8月18日生まれ、鈴木誠也:1994年8月18日生まれ

石橋「そういう星ってあるんだよね。長嶋さんとアントニオ猪木さんが一緒だったり。ユーミンと宇多田ヒカルちゃんだったり。」

※長嶋茂雄:1936年2月20日生まれ、アントニオ猪木:1943年2月20日生まれ、松任谷由実:1954年1月19日生まれ、宇多田ヒカル:1983年1月19日生まれ

清原和博「芸能界だと吉川晃司さんとか、中居くんとか。」

※吉川晃司:1965年8月18日生まれ、中居正広:1972年8月18日生まれ

石橋「やっぱいい星なんだ。ちゃんと同じ日に生まれてくんだね。」

そんなやり取りで焚き火トークは以上。

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