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あいみょんが自ら選曲した『人生ベスト5曲』+番外編4曲とその理由は?


シンガーソングライターとして幅広い世代から支持される、あいみょんがこれまで聴いて来た曲の中から自ら選曲する『人生ベスト5曲』と番外編4曲を番組で発表。自身の音楽性の礎となった選曲集と共になぜその曲を選んだのか?本人の解説と共にご紹介。

ということで2020年9月13日放送の「関ジャム 完全燃SHOW【あいみょんの人生ベスト5!人生に影響を与えた曲とは】」からまとめてお伝えします。

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父の思い出ソング

5曲に絞るのがそもそも大変だったというあいみょんですが、

1曲目に選んだのが、

「小学生時代 父が歌っていた思い出の曲」

との事。

父親が聴いていたというだけではなく、実際に歌っていたという曲が、

ソウル・フラワー・ユニオン『満月の夕(ゆうべ)』1995年

初めてこの曲に触れたのは6歳頃の事だったようですね。

映像が差し替えられていますが、あいみょんがカバーしたバージョンがコチラ。

この曲を知ったきっかけは、

「バンドやってたんです。お父さん。小さい頃見てました。お父さんがバンドで歌ってるところを。それでこの曲お父さんの曲やと思ってた。」

しばらく経った後に父の部屋に置いてあったソウル・フラワー・ユニオンのCDを発見した事で、そこで初めて「あっこの人たちが歌っとったんや!」と気付けたとか。

1995年3月生まれのあいみょんですが、この『満月の夕』がリリースされたのも同じ年1995年の10月の事。

阪神・淡路大震災の2か月後に生まれたあいみょんですが、この曲も阪神・淡路大震災をきっかけに誕生したといういきさつがあったり。

あいみょんはこの曲への理解を高校生になった時に深めたそうで、

「震災の曲って当時は知らずに聴いとったんですけど、大きくなるにつれ歌詞を見て理解したりだったりとか。」

飼い主をなくした柴が・・・と続く歌詞にういて、

「ちっさい頃は分からず、ワンちゃんが出てくるぐらいの感覚だったんですけど、あの頃人だけじゃなくて行くあての無い動物たちも沢山いたっていう状況がめちゃめちゃ目に浮かんだんですよね。」

さらに高校1年生時には東日本大震災が発生しましたが、TVニュースに触れることで歌詞の意味をどんどん理解していったとの事。

「3年前ラジオをやっていた時にメンバーの中川さんからメッセージをもらって、より想いが強くなった。」「伝えていくというわけではないが、毎年1月17日になるとこの歌を歌わないといけないという使命感にかられます。」

というあいみょんのコメントも。

毎年1月17日になると『満月の夕』を弾き語りしているというあいみょんですが、それをラジオスタッフさんがメンバーの中川さんに伝えたところ『震災の時に満月がキレイだった。それがみんな怖かった。』というメッセージがご本人から。

その恐怖を紛らわせるために満月の空にみんなでたき火を囲んでいたというのが曲の歌詞に表れていますよね。

ちなみに曲を聴くと沖縄サウンドを感じる楽器構成になっていたりしますが、それは被災者のために慰問ライブに回っていた頃に、電気がまだ復旧していない地域を回るために選ばれた楽器たちだったからだそう。

「あんまり震災当時の話は父親からは聞いてなくて、2か月後に生まれたので。お姉ちゃんも生まれてて大変やったっていう話しか聞いてなかったんで。」

なぜこの曲を父が歌っていたかについては、

「私ちっちゃい頃から沖縄の音楽、意外と知られてないんですけど、沖縄の音楽にめちゃめちゃ触れて育ったんですよ。父方の親戚が沖縄の方に。沖縄の民謡とかもめちゃめちゃ聴いて育ってて、お父さんも三線弾けるんですけど、結構小さい頃から聴かせてくれてました。」

元々お父さんはバー(店名は島唄)の店長をやっていて、そこでバンドを趣味としてやっていたとか。

あいみょんのしゃくるような歌唱法のルーツは沖縄民謡にあったのかもしれませんね。

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家族との思い出が蘇える曲

2曲目は、

「小学生時代 家族との思い出が蘇える曲」

それが、

浜田雅功と槇原敬之『チキンライス』

2004年にダウンタウンの松本人志が貧しかった幼少期の実体験をもとにして作詞した曲で、初めて聴いたのはあいみょんが9歳の頃。

あいみょんの生家は6人兄弟の大家族だったので、決して裕福ではない中でそれでも色んな所に旅行に連れて行ってもらっていたとか。

「その車の中の帰りの時に『チキンライス』が流れてて、で父ちゃんが『この歌詞の意味は大人になったら分かるからな。』って言われたんですよ。その時はただ良い曲やなぁ~って。」

それが時が流れて中学・高校と年を経ると、

「理解して。これはホンマ平成の神曲やと思ってます。私は。」

自身の家庭と同じものを感じたそうで、

「ホンマ親孝行せななって思いましたね。」

ちなみにレコーディング現場では家族の近況についてよくお喋りの話題になるというあいみょん。

弟(三男)があいみょんが実家に置いて行ったギターを受け継いでいるそうで、今はお父さんがギターの先生役をしていたり。

「私父ちゃんにギター教わった事が無いので、なんで私だけ・・・って思いながら。」

ギター歴2ヶ月ながら弟さんは既にあいみょん以上のギターの腕前だったりとか。

家族に関する歌詞という意味では、

15年の楽曲『どうせ死ぬなら』には「父ちゃんと母さんに挟まれて」「二度寝で死にたい」という歌詞が出てきますが、これを聴いたお母さんからは『そんな事言わんとって。』と言われたとあいみょん。

神と崇めるバンドの名曲

3曲目はこれまた父親の影響を受けたという、

「どハマりするきっかけをくれた神と崇めるバンドの名曲」

それが、

スピッツ『春の歌』

あいみょんが“私の神様”と言ってはばからないのがスピッツの草野マサムネ。

アーティスト人生を語る上で絶対に避けては通れないのがスピッツという存在のようですが、その出会いは実は父からのあるプレゼントがきっかけ。

小学4年生(10歳頃)の時に『春の歌』がリリースされると、

「めちゃめちゃ心地よくて、歌声も好きやなっていうのがあって、このスピッツというバンドに対して『私こういう男の人の声好きかも!』とか。純粋に歌詞どうこうではなく、音楽的に好きやなって思い始めた頃が『春の歌』っていう楽曲。でそっから掘り下げていくんですけど。」

ただ、小学生でCDを買いあさるようなお金も無いので、そんなあいみょんの為にお父さんが色んなアーティストの曲を選曲したオリジナルCDを作ってプレゼントしてくれたのだとか。

その当時の選曲は例えば、あいみょんが自ら選曲した『人生ベスト5曲』+番外編4曲とその理由は?あいみょん父の手作りCD

ORANGE RANGEはあいみょんは初めて自分で買ったCDという思い出もあったり、大塚愛もお気に入りのアーティストで大好きだったり、Crystal Kayも弾き語りをしていたほどだったそう。

ちなみにジャケットに写っている子猫は「ぐうちゃん」。

外で拾って来た子猫で、当時押し入れで親に内緒で育てていた所、母親にバレて、喘息持ちだった三男の為に絶対に許可してもらえなかったという思い出エピソード。

両親揃って絶対に飼うのはダメと言われていたそうですが、ジャケットには写真をのせているという粋な計らい。

その後思春期を迎えてなかなか父とコミュニケーションをとらなくなった頃でも、

「音楽が父とのコミュニケーションにはなってたかもしれないです。」

改めて音楽の道を歩むようになってから『春の歌』を聴くと、

「当時は歌詞を気にせずメロディーが体になじむから歌いたいなとか。改めて聴くと歌詞ですよね。マサムネさんの書く歌詞は半分夢の中に近い歌詞なんですよ。だからこそ繰り返し聴きたくなって想像したいし、同じ夢をもう一回見たいじゃないですか。それがいいっていうジャンルを作り上げたなって思いますし。」

そして一度草野マサムネとの対談を行った際には、

歌詞の内容についての本人解説については、あまりしゃべらない主義という事を本人から聞いて、

「そのままでいて欲しいし、私も聞きたくないって思ってます。歌詞に関しては。」

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歌詞を書く面白さを知った曲

4曲目に選んだのは、

「比喩表現の素晴らしさに衝撃を受け歌詞を書く面白さを知った曲」

平井堅『鍵穴』

「大好きです。平井堅さん。2004年に『SENTIMENTALovers』ってアルバムを出されたんですけど、これはどっちかっていうと母ちゃんの影響で。なぜか分からないんですけど、家の掃除する時ウチの母ちゃん、扉と窓全部開けて平井堅さんを流してたんですよ。」

掃除のお手伝いをしていたので、当時は「掃除の曲」だったとの事。

「この曲スゴイですよ。ホンマに!」「めっちゃオシャレやなと思って。」と大絶賛しているあいみょんですが、歌詞の意味を理解し出したのは中学・高校時代。

「大人になってこういう歌詞を書くのが楽しくなってきました。分かる人には分かるみたいな。平井堅さんの書くセクシーな歌詞は本当に素晴らしいと思います。」

という本人コメント。

これに影響を受けて憧れて10代の頃は背伸びして大人な歌詞を書いていたとか。

「こういう歌詞書くの楽しいんですよ。めちゃめちゃ考えて書き込んでるわけじゃないんですよ。自然と出てくる言葉が割とこうなる事が多い。」

「こんな人になりたい!」と憧れた曲

最後の5曲目に選んだのは、

フリッパーズ・ギター『恋とマシンガン』

高校時代にバイト先の先輩が教えてくれて、CDやレコードを全部くれた事をきっかけに大ハマりしたそう。

「あと、アートワークがホンマに可愛くて。当時オザケンさんが表紙やった昔の雑誌とかをヤフオクで落としまくって。」

好きすぎてコレクターになってしまうほどだったとか。

「MVもオシャレで全てにおいて私の中で完璧だった!!目指すは小沢健二なんじゃないかと思っていたが、途中でなれないと気付いた・・・。」

というコメントも。

「もしかしたら影響受けてるのかもな?って自分が客観的に思うのはタイトルの付け方と言いますか、タイトルのセンスがスゴいんですよ。漢字とカタカナの組み合わせが私大好きで。それは知らず知らず影響を受けてのかもしれないなと。」

「『LIFE』ってい小沢健二さんの大名盤をヤフオクで落としたんですよ。それ聴いてて、また父ちゃんの部屋漁りまくってたら『LIFE』が出て来て。父ちゃんも好きやったんや!?って思って。だから上京するまで実家に『LIFE』が2枚あったのは私の中でスキなんです。それが。」

こちらが全5曲の顔ぶれ。あいみょんが自ら選曲した『人生ベスト5曲』

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番外編

トップ5には選曲しなかったものの、他に影響を受けた曲としては、

  • 浜田省吾『初恋』
  • マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー『The Girl Is Mine』
  • 石崎ひゅーい『第三惑星交響曲』
  • 倖田來未『キューティーハニー』

を挙げたあいみょん。

『初恋』は歌詞の内容から洋楽を聴くきっかけになった曲で、この曲のおかげでボブ・ディランやジャクソン・ブラウンに興味を持ったとか。

元々、洋楽で一番聴いたのはマイケル・ジャクソンで『The Girl Is Mine』や『Say Say Say』を聴いた事で初めてビートルズの存在を知ったとの事。

そして『第三惑星交響曲』を聴いた時には「天才が現れた!!」と衝撃を受けたそうで、渋谷のタワレコで開かれた石崎ひゅーいのインストアライブ&サイン会にはしっかり並んで「対バンしてください!」と直談判するほど。

『キューティーハニー』は中学2年生時に陸上の部活のメンバーでレクリエーションをする機会があったそうで、その時にカエルの着ぐるみ(着ぐるみの理由は謎)で歌った所、周囲から「めっちゃ歌ウマくない!?」と注目されたという経験があり、そこから音楽の道を意識するようになったようですね。

以上、あいみょんが自ら選曲した「私の人生ベスト5曲+番外編4曲」ついてでした。

「関ジャム」に関する全記事はこちらのリンクから

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