チコちゃんに叱られる 年賀はがきにお年玉くじが付いているのはなぜ?答えは戦後復興
22年1月2日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!新春拡大版スペシャル」の第1問は『なぜ年賀はがきにお年玉くじが付いている?』という問題。答えは戦後の日本を明るくしようと一人の画家、林正治が考え出したアイデアとの事で、その歴史を木村祐一初顔出し出演となったNHkたぶんこうだったんじゃないか劇場と共にご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】佐藤浩市、菅田将暉、中川大志
【VTRゲスト】橋本じゅん、宮下雄也、木村祐一
なぜ年賀はがきにお年玉くじが付いている?
お正月スペシャルという事でゲストは「鎌倉殿(どの)の13人」から菅田将暉さん、中川大志さん、佐藤浩市さんの3人。
鎌倉殿は「かまくらでん」と読みがちですが、実は「かまくらどの」が正解。佐藤浩市さんはつい先日まで「でん」だと思っていたようですが。
というわけで早速、1問目の指名は、
この中で一番、年賀はがきがたくさん届くステキな大人ってだーれ?
ここは菅田将暉さんが回答者に。
出題されたチコちゃんの疑問は、
なんで年賀はがきにはお年玉くじが付いてるの?
大人でもお年玉がもらえるように、誰かが勝手に始めたといった答えが出ていますが
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
というわけでチコちゃんの答えは、
戦後の日本を明るくするため
解説は郵政博物館の藤本栄助館長。
そもそも年賀状の起源とは平安時代の貴族の風習から来ているそうで、
これが江戸時代になると庶民の間にも普及し、明治に時代が移り変わると明治4年に郵便制度がスタート(国は発行する官製はがきは明治6年に誕生)した事もあってはがきを使った年賀状のやり取りが一気に広まって大ブームに。
明治32年には決められた日までに差し出せば元日に届く年賀郵便物特別取扱制度がスタート。
スポンサーリンクこうして年賀状文化が根付いた日本では昭和11年に日本人口約6800万人に対して年賀状の取り扱い枚数は約8億5000万枚にも達したとか。
ところが1940年(昭和15年)になると戦争の影響で年賀郵便は減り、年賀郵便物特別取扱制度も停止に。
そして1945年に向かえた終戦。
まだ戦争の傷跡が深く残るこの時代、人口約8000万人に対して年賀状の取り扱い枚数は約6900万枚にまで低下し、ピーク時の12分の1。
そこで登場するのがお年玉くじが付き年賀はがきなわけですが、その発案者は郵便の仕事とは全く関係の無い画家の林正治という人物がきっかけ。
ここで始まるのが「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場 郵送り人(おくりびと)」。
戦争によって焼け野原になった日本では消息の分からない人が大量に生まれる事になり、日々ラジオで尋ね人が流れるというそんな時代。
となると互いの無事を確認し合う手紙のコミュニケーションというのは今とは比べ物にならないほどに当時重要なものだったというのは想像に難くないお話。
ここにも手紙によって知り合いの無事を確認してホッとする一人の人物が。
それが橋本じゅん演じる画家の林正治その人。
大量の年賀状を書いて出したのに返信は僅かという事実に嘆く林正治はある事を閃いてなじみのある印刷屋さん(演:宮下雄也)のもとへ。
そこで、みんなが年賀状を出したくなるアイデアは無い物か?と頭をひねって出した答えが「くじ引き」で景品として候補にしたのはミシンや自転車、ラジオなどなど。
ちなみに昭和24年のミシンの値段は約20000円で、平均月収が8000円の時代になのでなかなかの高級品。
林正治ははがきに付加価値を付ければ送る人が多くなるだろうという考えで、その考えを絵にしてまとめる事に。
この時勝手に林正治が考えたのが現金50万円(今の価値で160万円ほど)という特賞の存在。
ここまでだと一般人が勝手に考えたただの絵空事で終わりそうですが、どんどん突っ走る林正治は大阪郵政局に猛烈プレゼンし、その結果、昭和24年7月には東京の郵政省にまで赴いて自らのアイデアを猛アピール。
アピールポイントとしては、
- 年賀状によってお互いの消息がつかめて人の交流が再開する
- 郵便料金2円に対して1円の寄付金を付ける事で生活困窮者救済に回す
といった所でしたが郵政省の回答は「悪い案ではないが時期尚早」という何とも残念な結果に。
スポンサーリンクこれで林正治のアイデアは潰えたかに思えましたが、東京にいた友人に相談した所、郵政省の事務次官のポジションにいる人を紹介してもらえるという願っても無いチャンスが転がり込むことに。
こうして林正治が相談した先が郵政事務次官の大野勝三。演じるのは何と木村祐一。
遂にチコちゃんの声の正体(チコの知り合いのおじさん)が顔出しでVTR登場。
戦後の郵政事業が赤字続きという事情もあって、興味を示した大野事務次官はくじ付きの年賀はがきのアイデアに賛同。
実は昭和24年6月にかつて郵便を扱っていた逓信省が廃止となり、郵政省と電気通信省の2つに分離した事で郵政省が独立したので赤字解消が喫緊の課題になっていたんですね。
事務次官がOKを出した事でここからはとんとん拍子に話が進む事になりますが、同時に林正治は企業、商店、個人などに自家製のくじ付きはがきを見本として配り、売り上げを推定するマーケティングまで独自に実行。
郵便事業とは縁もゆかりもない画家にしてはその行動力が常軌を逸しているレベルに思えますが、実は林正治はかつて肺の病気で山奥の療養所で長期療養をしていた時期に死の淵から自分を救ってくれたのが毎日届けられる好きな人(後に2人は結婚)からの恋文だったという経験があったり。
こうして昭和24年12月1日にはお年玉くじ付きの年賀はがきが発売。
郵政省はこれに合わせて一大キャンペーンを展開し、この時の特賞は高級ミシンに。
肝心の売上は?というと12月下旬にはすべて完売するという大盛況になり、翌年には発売枚数を2倍状に増やして4億枚発売。
また、林正治はこれに留まらず「声の郵便」というアイデアも考えていて、主にシベリアなど海外に残っている家族に宛てたレコードに録音した声を送るというサービスも発案。
他にも林正治は50以上の特許を持っていて実はかなりのアイデアマンだったという一面も。
というわけでコチラが結論。
年賀はがきにお年玉くじが付いているのは戦後の日本を明るくするため
でした。
ついてないなと思う時は?という質問には、荻窪のラーメン屋さんに1時間かけて向かうも臨時休業だったというエピソードを話すチコちゃん。
最後にチコちゃんから補足情報。
遂にチコちゃんで顔出し出演を果たした木村祐一さんについては、今回のVTR出演オファーを受けた際「やっと来たか。」という感想だったとか。
という事で1問目は以上。
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