チコちゃん 礼金を払う意味は?現代ではおかしい制度?
22年3月12日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」の第2問は『敷金礼金の礼金を払わないといけないのはなぜ?』という問題。答えは江戸時代の住宅不足の中で大家(家守)に対するお礼のお金がその起源だそうで、その慣習が今でも残っているのが礼金システム。という事で番組内をまとめてご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】谷中敦、森泉
【VTRゲスト】なし
礼金を払わないといけないのはなぜ?
この日2問目に出題されたチコちゃんの疑問は、
なんで礼金って払わないといけないの?
大家さんに対するお礼の気持ちという答えの岡村さんですが、
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
というわけでチコちゃんの答えは、
お江戸の町が人口爆発したから
解説は明海大学の中城康彦教授。
礼金は「ありがとう」という感謝を込めて大家さんに支払う謝礼金の事で、その起源は江戸時代と考えられているとの事。
1603年に始まり260年ほど続いた江戸時代では江戸という町に巻き起こった爆発的な人口増加が社会問題に。
人口の推移を見てみると、
- 1600年代初期 – 約15万人
- 1650年頃 – 約28万人
- 1716~1736年頃 – 約105万人
1700年代には100万人都市へと成長し、
当時ヨーロッパ最大の都市だったロンドンの人口約86万人をしのいで世界最大級の都市になった江戸。
この影響で起こったのが住宅不足で、これに対応すべく生まれたのが「長屋」という住居スタイル。
家を壁一枚で6畳ほどに仕切って、一間に家族が一緒になって暮らすという長屋を隙間なく作る事で人口増加に対応したわけですが、
長屋の土地は幕府のもので、幕府の土地に建てられた長屋を大家が町人に貸すというシステムをとっていたので、これはいわば日本における賃貸制度の始まり。
そして住む場所が足りない中で家を貸してくれたお礼として借主が家守(やもり=大家)にお金を払い始めた事で礼金という新しい風習が誕生。
スポンサーリンク当時の家守は今でいうと管理人のような仕事を担っていましたが、
- 家賃集金
- 住人の身元保証
- 争いごとの仲裁役
- 火事の対応
- 住人への職の斡旋
- 結婚相手探し
と住人のありとあらゆるサポートをする言ってみればコンシェルジュのような手厚いサービスも提供していたとか。
ですから江戸時代の礼金は「住宅不足の中で貸してくれてありがとう。これから面倒おかけします。」という意味を込めて払われていたお金。
当時の礼金の相場はというと、一般的な長屋の家賃が月600文(約9900円)として、その3分の1程度の額を入居時に礼金として払うといった具合。
その後明治時代になると政府が土地改革を行って家守を置く賃貸システムを廃止しましたが、その代わりに賃貸仲介業者が誕生して人々は引き続き長屋や借家暮らし。
という事は家守という存在自体が無くなったのでこれと共に礼金も一緒に無くなるのが自然な流れのハズですが、ゆるい慣習として残ったと中城先生。
そして大正時代には再び住宅不足が発生し、礼金システムはより強固なものに。
1923年(大正12年)に起こった関東大震災では東京の町の4割以上が焼けてしまい、家が足りなくなってしまったので政府主導で震災復興目的の公営住宅や同潤会アパートなどが建てられましたが、それだけでは追いつかず住宅不足が発生し、そうなると謝礼として礼金を払わないと借りられないというほどに貸主に有利な市場に。
その後は関東大震災からの復興が進んでいく事になりますが、昭和に入ると太平洋戦争の影響で再び住宅不足が発生。
1941(昭和16)年から1945(昭和20)年まで続いた戦禍で東京の町の3割ほどが空襲によって焼失。
このようにして東京では事あるごとに住宅不足が起こり、その中で家を貸してくれる大家にお礼金を払う慣習がずっと残り続けていると中城先生。これはある意味東京が幾度となく困難を乗り越えて来た証とも。
ちなみに現在の日本では部屋を借りたい人に対して部屋が余っているという状態なので、敷金礼金をゼロにしたり、家賃数か月分が無料になるフリーレントなどを打ちだして入居者を呼び込むという賃貸物件も増加。
というわけでコチラが結論。
礼金を払わないといけないのはお江戸の町が人口爆発したから
でした。
将来どこに住みたい?という質問には「モナコ」とチコちゃん。
という事で2問目は以上。
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