相撲が東西に分かれるのはなぜ?チコちゃん
22年10月21日放送のNHK「チコちゃんに叱られる」の2問目は『相撲が東と西に分かれるのはなぜ?』という問題という事で番組内容をまとめてご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】柳葉敏郎、若槻千夏
【VTRゲスト】なし
相撲が東と西に分かれるのはなぜ?
2問目の出題は、
なんで相撲は東と西に分かれるの?
もともと関東vs関西だったからという若槻千夏さんの答えですが、
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
という事でチコちゃんの答えは、
東さんと西さんが同じくらい強かったから
解説は静岡大学の小和田哲男名誉教授。
そもそも相撲の始まりは、現存する日本最古の歴史書といわれる古事記に登場する二人の神様の力比べ。
その後に五穀豊穣を願う「素舞(すまい)」と呼ばれる神事に移り変わり、
そして鎌倉時代には武術として広まる事にになりますが、この時はまだ東西に分ける文化は無かったとか。
これが変わるきっかけになったのが安土桃山時代に入ってからで、大の相撲好きとして知られるあの織田信長が関わっていると言われているとの事。
相撲好きだった織田信長は全国の力自慢を安土城に集めて行う相撲を主催したり。
相撲をとる両者を人で囲いそこからはみ出たら負けというルール作ったのも織田信長といわれていて、これが土俵の起源となる人方屋(ひとかたや)。※諸説あり
スポンサーリンク他にも勝敗を巡ってもめる事も多かった相撲において行司を設けて勝敗を決めるルールを作ったりと何かと相撲に造詣の深かった織田信長ですが、そんな中でも特に好んだ相撲の一つとして竹相撲と呼ばれる相撲の形式があったようで、
これは大きな竹の両端を互いに掴んで逆方向にねじり合って力比べをするというもの。
そして当時竹相撲には伝蔵と馬次郎という2トップがいたそうで、互角の勝負を繰り広げる両者の竹相撲では竹の方が先に悲鳴を上げて竹が真っ二つに割れて勝敗が着かないという事も起こったとか。
この名勝負に織田信長は大興奮して両者の健闘を称えて2人に名字を与えることに。
この時与えられたのが東伝蔵、西馬次郎でこれは「東にいるから、西にいるから」という非常にシンプルな名付け理由。
ちなみに今でもこの東一族と西一族は脈々とその名前を継いでいるそうで、
子孫のお二人に「どっちが強かった?」と尋ねるとお互い譲らないバチバチ。
このままではらちが明かないのでトントンボイス相撲のリモート対戦で決着をつけることに。
結果は小手投げで東家に軍配。
ところがリモートならではの回線のラグ問題で物言いがついて取り直しに。
今度は押し倒しで西家に軍配。
結局トータルで1勝1敗と400年経っても互角の両者。
という事でコチラが結論。
相撲が東と西に分かれているのは東さんと西さんが同じくらい強かったから
でした。
2問目は以上。
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