有吉の世界同時中継 環七ラーメン戦争から生き残ったラーメン店8店舗一覧
23年4月13日「有吉の世界同時中継」では環七ラーメン戦争から店が続いているラーメン店を8店舗紹介という事で一覧でまとめ。
生き残り8店舗
羽田空港に近い巨大トラックターミナルに出入りするドライバーさんたちが常連として長年お店に通っているのが生き残った要因とか。
井上陽水、チェッカーズなど九州出身の有名人がお店の知名度を上げてくれたのがきっかけで多くの常連客(特に福岡出身の客)を掴むことに成功したのが生き残った要因との事。
醤油ラーメンが主流だった東京において豚骨ラーメンで勝負したという点も特筆。
周囲のラーメン店の多くがこってり系だったのに対して、シンプルなラーメンで勝負したのが生き残った要因との事。
環七ラーメン戦争の頃には味噌ラーメン専門店自体がほぼ無かったこともあって、その珍しさから集客が出来ていた流れが今も続いているという店主の分析。
環七ラーメン戦争の頃には珍しかった豚の背脂を使ったラーメン、女性創業者の掲げた温かい接客のポリシーなどのおかげで常連客を生んだのが生き残りの要因に。
近くに3つの大学(武蔵大学、日本大学、武蔵野音大)があるおかげでボリュームを求める学生からの支持が厚く、社会人になった後も通ってくれる常連客などにも支えられたのが大きかったとの事。
なかには親子三代で通っているという筋金入りのラーメン一番党もいると店主談。
釣り好きの店主が漁師の釣り仲間と一緒に食べていたマグロだしの鍋を何とかラーメンに出来ないかと試行錯誤した結果生まれたラーメンは唯一無二という事で常連客を生んだのが生き残った要因。
全国に150店舗近く展開するラーメン店の直営一号店は環七ラーメン戦争を生き残ったレジェンド的存在。
ちなみに環七ラーメン戦争の全盛期には100軒以上のラーメン店がしのぎを削ったあの戦場は、
今でも70軒以上のラーメン店が営業する激戦地との事。
以上「有吉の世界同時中継」から環七ラーメン戦争の生き残り店一覧でした。