七五三はなぜこの年齢でお祝いする?いつ始まった?チコちゃん
23年9月29日「チコちゃんに叱られる」の問題『七五三はなぜ3歳、5歳、7歳?』の答えとなる3つのイベントがそれぞれいつ始まったのか?なぜ祝っていたのか?を簡単にまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】蒼井優、水上恒司
【VTRゲスト】なし
七五三はなぜ3歳、5歳、7歳?
1問目の出題は、
なんで七五三は3歳、5歳、7歳なの?
チコちゃんの答えは、
昔は3歳、5歳、7歳まで生き延びるのが大変だったから
解説は国立歴史民俗博物館の新谷尚紀名誉教授。
七五三は地域によってやや異なるものの、3歳と7歳の女の子、5歳の男の子が11月15日に神社に参拝する伝統行事。
この七五三という名称が付いたのは明治時代以降のお話で元々は「○歳の祝い」という言い方でセットにして祝うものではなくそもそも別々の儀式。
始まった時期が最も古いとされているのが「3歳の祝い」で平安時代。
3歳になる男児、女児の頭に真綿を乗せて白髪になるまで元気でと祈願する「髪置き」がその起源。
当時の子供は3歳になるまで男女とも坊主頭で過ごすのが主流だったので、3歳で髪の毛を伸ばし始める儀式としてこの髪置きが始まったとか。
明治大正昭和ですら生まれてすぐに子供が亡くなってしまう例が多く、1歳未満で亡くなる不幸なケースな数知れず。
となると平安時代にまで遡ると事態はもっと深刻だったはずで、子供が3歳まで成長するのは非常にめでたい事だったわけですね。
続いて誕生したのが「7歳の祝い」で平安時代中期にスタート。
子供がそれまで着ていたひもで結ぶタイプの着物から帯で巻く大人の着物に初めて着替える儀式「帯解き、ひも落とし」が起源でコチラは現在でも続いている風習。
江戸時代に作られたと言われる「とおりゃんせ」の童歌には”七つのお祝いにお札を収める”という歌詞が登場しますが、
これは7歳になる前の子供はあくまで神様のモノ(=神の子)であり、神社にお参りした7歳から初めて人間になるという意味。
大昔は幼い子供は病気や事故でいつ死ぬか分からない=神様に命運を託された子供と捉えられていたわけですね。
スポンサーリンク“いきはよいよい かえりはこわい”の歌詞には7歳以前は神様の子なので何をしてもOKなのが、お参りをした後は人間になるので悪い行いをしたらバチが当たるようになるという意味だったとか。
そして最後に誕生した「5歳の祝い」は平安時代末期、鎌倉時代にかけて武家の間でスタート。
貴族社会から武家社会への転換期だったこの時代、武士にとって最も大事だったのが跡継ぎとなる子供の誕生で、家の未来を託す子供の無事な成長を願ってお祝いするようになったとか。
江戸時代になると5代将軍・徳川綱吉が3歳になる長男を11月15日に盛大に祝った事でこの日付がお祝いの日として定着。
その後は町人の間にもこのお祝いの風習が浸透して11月15日に5歳も7歳も一緒に祝うようにセット化。
そして明治時代に七五三は全国に広まっていきますが、そのきっかけとなったのが百貨店。
百貨店はもともと呉服屋から始まったお店が多く、子供用の着物が売れる機会を増やそうと七五三を盛り上げたというマーケティング戦略。
ここで「七五三」というワードが生まれて世間一般に定着。そして戦後に女の子は3歳、7歳、男の子は5歳で祝うように。
ちなみに七五三にはローカルルールも数多く存在していて、
千葉県八千代市、成田市ではホテル貸し切りで結婚披露宴のように豪勢に七五三を祝う習慣だったり、
新潟県の松苧神社では7歳の男の子が標高360mの山を登って神社を参拝する「七つ詣り」という行事だったり。
という事で1問目は以上。
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