観覧車はなぜ誕生した?エッフェル塔のライバルがきっかけ?チコちゃん
25年2月14日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『観覧車って何?』の答えなどまとめてご紹介。半沢直樹のパロディドラマで観覧車誕生の物語に迫ることに。
ゲスト出演者
【ゲスト】八木勇征、島崎和歌子
【VTRゲスト】マイケル富岡、デニス植野
観覧車って何?
2問目の出題は、
観覧車って何?
チコちゃんの答えは、
エッフェル塔のライバル
解説は和洋女子大学の坪野圭介准教授。
観覧車が誕生したきっかけは1893年開催のアメリカ・シカゴ万博まで遡るそうで、その当初の目的はエッフェル塔に対抗するため。
フランスのパリを象徴する高さ330mのエッフェル塔はもともと1889年開催のパリ万博の目玉として建造されたもので当時世界一の高さを誇っていた一大建築物。
さらにエッフェル塔はレンガや石を使って建物が造られるのが一般的だった時代において非常に珍しい鉄製の建築物で、鉄の大量生産が難しかった時代にあれほどの規模の建築が建ったという事で世界中が驚愕。
約7000トンもの鉄を使い、僅か2年2か月という早さで建ったエッフェル塔は一躍世界的な建築物の名をほしいままにしたわけですが、そこに待ったをかけたかったのがパリ万博の次の開催地であるアメリカ。
フランスを超える高い技術力を世界に誇示したいと野心を燃やすアメリカは観覧車を建ててエッフェル塔に対抗しようとプロジェクトが動き出すわけですが、これはシカゴ万博の建築物の総指揮を担当していたダニエル・バーナムがぶち上げた無理難題に対し、
鉄橋建築会社の若き社長ジョージ・フェリスが厳しい条件の中で導き出した起死回生のアイデアだったと坪野先生。
という事で半沢直樹ならぬ「ジョージ沢フェリス樹」がスタート。
シカゴ万博までたった1年で目玉を作るようバーナムからふっかけられたフェリスはさらに、エッフェル塔より高い塔を建てるというアイデアをことごとくバーナムに否定されて、ただ高いだけではエッフェル塔の二番煎じであるとダメ出しを喰らう事に。
スポンサーリンクまた、電球・蓄音機・映画の原型となるキネトスコープを発明していたトーマス・エジソンや交流式電流を発明したニコラ・テスラなどは競ってシカゴ万博で電気の力をアピールしようと目論み、東京ドーム60個分という広大な万博会場を約12万本の電灯で照らし、高さ20m以上の電球で覆われた光の塔(通称エジソンタワー)を建てるなどなかなかスケール感のあるアイデアを次々と打ち出す事に。
となるとこれらのアイデアをさらに上回る「何か」を打ち出さないと到底万博の目玉にはなり得ないわけで、遊具・大衆的な娯楽・エンタメの要素を全面的にアピールしてアメリカの自由で民主的な面を世界に知らしめるというシカゴ万博全体のテーマ性に沿ったとっておきを欲したバーナム。
そこでシカゴ万博本番まで半年というタイミングにおいてもなかなか決定打となるアイデアを出せずに焦るフェリスは当時アメリカで流行し始めていた自転車をきっかけに、幼少期から興味を持っていたという水車の構造などを組み合わせて「大きな車輪にゴンドラを取り付けて人が乗った状態でグルグル回す」という観覧車のベースとなる奇抜なアイデアを考案。
やっとバーナムのOKももらっていよいよプロジェクトが動き出したかに思えたものの、シカゴ万博では壮麗な建築群、電力で動く噴水、動く歩道など約200もの建築物やモニュメントが造られた事もあって予算はひっ迫。
そんな予算不足のしわ寄せをもろに食らったのがフェリスの観覧車で、現在の日本円にすると16億円以上と試算された建築費用は自腹で、さらに収益をあげてその費用で賄うというなかなか酷な条件で造る羽目に。
鉄製で高さ80m、動力は蒸気で一周は約10分というスペックを誇り、最大のポイントはゴンドラ一基につき定員は約60人というスケール。
高さ約3m、幅約7mというビッグなゴンドラが36基つけられて一度に2160人が乗車できるという巨大な観覧車は話題を呼んで、乗車1回のチケット代50セント(現在の日本円で2500円ほど)にも関わらずチケットは飛ぶように売れてのべ150万枚を販売して売り上げは37億円以上という数字を叩き出す事に。
スポンサーリンクさらに万博自体の来場者数は2700万人越えで世界に向けたアメリカのアピールは大成功。そんな事もあってアメリカでは観覧車の事を発明者のフェリスにあやかって「Ferris Wheel(フェリスウィール)」と呼んでいたり。
ちなみにこの一大プロジェクトを成功させたフェリスはその後、観覧車というよりかはジェットコースターような浮き沈みの激しい人生を送る事に。
万博終了後にフェリスは観覧車の運営権を持って営業を続けていましたが、観覧車が各地で真似されたせいで会社は倒産の憂き目に。さらに追い討ちをかけるように病に侵されたフェリスは万博終了3年後に37歳という若さで病死するという悲劇に。
観覧車はその後、客層が家族メインに変わって行き、さらには移動遊園地の需要が増えた事で小型化が進んでゴンドラ1基4人乗りが定着していったとの事。
という事で2問目は以上。
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