牛たんが仙台名物なのはなぜ?実はごり押し?チコちゃん
25年6月20日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『なぜ牛たんは仙台名物?』の答えなどまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】土田晃之、サーヤ
【VTRゲスト】なし
なぜ牛たんは仙台名物?
2問目の出題は、
なんで牛たんは仙台名物なの?
チコちゃんの答えは、
佐野さんが作った牛たん焼きを大川原さんが「仙台名物だ」とそうでもなかったのに言い切ったから
解説は仙台牛たん振興会事務局の小野博康さん。
実は牛たんは欧米でかなり昔から食べられていたという歴史を持っており、その一方で日本で食されるようになったのは戦後になってやっと。
生の牛たんは筋肉量が多いので食感が硬いというデメリットを抱えており、その為に欧米では3日以上じっくりと煮込むことでその硬さをやわらげるタンシチューといった食べ方が広まっていましたが、1940年代の日本ではガスの普及率も低くて数日間も続けて煮込む調理法が難しいという事情もあって牛たんはごくごく一部の地域でしか食べられていなかったという歴史的背景。
食べられない部位として破棄される事も多かった牛たんでしたが、そんな牛たんを網で焼いて提供するという牛たん焼きを開発したのは佐野啓四郎という人物で、20代で日本料理を学んだのちに戦後まもなく仙台市へ。
1945年の空襲で仙台市も焼け野原となり、そこで困窮した人々の姿を見て何とか腹いっぱい食べさせてあげたいと考えた佐野は焼鳥屋を開業しますが、戦後の混乱期にあっては鶏肉、串、焼き台などがあればすぐに始められる焼鳥店は職を失った多くの人にとっては始めやすい商売となっており、街のあちこちで簡易的な店が開かれて、当時の仙台市内には数百軒の焼鳥店が存在しているほどに供給過多の状態。
そこで佐野は他の焼鳥店では真似が出来ない自分だけのオリジナルメニューを開発しようと考え、そこで目を付けたのが知り合いの洋食店から紹介された牛たん。
捨てられるだけの牛たんであれば安く仕入れられてオリジナルのメニューになると考えた佐野は、かつて修行していた日本料理の技法を取り入れて牛たんをやわらかく美味しく調理する方法として「キッパ漬け」を採用。
スポンサーリンクキッパとは切り込みの事で、食材に切り込みを入れる事で調味料をしみ込みやすくするというこの技法は、硬い筋繊維が多くて熱すると縮んで硬くなってしまうという牛たんにぴったりで、肉全体に切り込みを入れる事で筋繊維をあらかじめ断ち切った状態にして縮んで硬くなるのを防止。
さらに切り身にした牛たんに塩コショウを振ってから重ねて一晩寝かせる事で塩を肉に浸透させてアミノ酸などの旨味成分を引き出し、火が通ると硬くなるたんぱく質を溶かすというひと手間。
また、牛たん同様に廃棄されていたテール部分をスープにして、さらには大盛でも安く提供できる麦飯とセットにして牛たん定食としてメニュー化した佐野でしたが、広く宣伝して客を呼び込むのであれば、その分だけ安くして客に提供すべきというポリシーを持っていた佐野は宣伝を嫌って、そのせいで牛たん定食は知る人ぞ知るメニュー的な存在に。
現在も「旨味 太助」としてその頃の味を守って今も営業されているそうですが、そこから仙台名物にまでのし上がるにはもう一人の大川原要という人物がキーパーソンに。
現在は「味の牛たん喜助」として全国に14店舗を展開するようになっている有名店の創業者の大川原は元々デパートの営業担当として働いており、1974年に佐野の牛たん定食を初めて食べた際にすっかりその味に惚れ込み、勢いそのままに脱サラして52歳という年齢にして佐野の店に弟子入りを志願。
その後は佐野の指導を経て独立し2号店として仙台駅前に自身も同じく牛たん焼きを出すお店を開業する運びとなった大川原でしたが、お店を構えたビルは駅前で人通りはあるものの、店自体が4階だった事もあり、牛たんという馴染みのない料理も敬遠されて閑古鳥が鳴くという問題に直面する事に。
そこで大川原はビルの1階に置いた看板に「仙台名物 牛たん」と思い切って書いてみるという苦肉の策に。
宣伝嫌いだった佐野の教えを守って慎ましく営業するポリシーを受け継いでいた大川原としては師匠の教えに背くようなこの行動はかなり思い切った事だったはずで、ましてやこの時はただのマイナーな食べ物に過ぎなかった牛たんをいきなり名物と銘打つという奇策は大胆不敵なもので、仙台名物という看板を見てやってきた客にも堂々と「仙台名物です」と言い切っていたという大川原の肝っ玉。
そんな大川原の開き直った作戦は数年続き、徐々に店が知られた存在になってくると牛たん焼きを出していた他の店もこぞって「仙台名物」を謳うように情勢が変化。
さらに1982年に東北新幹線が開通すると全国から多くの人が仙台を訪れるようになって仙台名物としてメディアなどで取り上げられる機会も増えて、ますます仙台名物が本物になって行くことに。
ちなみに宣伝嫌いだった佐野は、このような大川原の行動について真意は定かではないものの不問にしていたようで、当初は見向きもされていなかった牛たんを世に出してくれたと佐野も喜んでいたのではないか?と二代目の証言。
という事で2問目は以上。
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