プロ野球選手総選挙2025の結果一覧 ランキング3位長嶋茂雄、2位王貞治で1位は?
25年12月1日放送の「ファン5万人がガチ投票 プロ野球選手総選挙」では引退した選手約9000人を対象に2025年版ランキングを発表という事でランキング1位~20位を一覧でまとめてご紹介。
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20位~11位
20位 ラミレス
2001年という年はイチローがシアトル・マリナーズに移籍をして多くのタイトルを獲得したり、新庄剛志がニューヨーク・メッツに移籍して日本人として初の4番を打ったりと日本の野球選手たちがメジャーに続々と挑戦するという変革の時代。
そんな2001年にヤクルトに入団したのがベネズエラ出身のアレックス・ラミレスで、その後の継続した活躍もあって外国人選手初となる2000本安打を達成する快挙。そんな大記録だけではなくサービス精神旺盛な明るいキャラクターもファンから愛される要因となって、ホームラン後のカトちゃんぺ、アイーン、ゲッツ!など名物パフォーマンスで記憶にも残る選手に。
19位 高橋由伸
1997年に慶應大学からドラフト1位で巨人に入団して1年目から打率3割、HR19本と活躍。端正なルックスに綺麗な打撃フォームでまさにスター選手の出で立ちという雰囲気もファンから愛される事に。
18位 クロマティ
ロサンゼルス五輪開幕やエリマキトカゲブームが巻き起こった1984年に巨人に入団したクロマティはその明るいキャラクターでファンから愛され、観客を巻き込んでのバンザイコールはスタジアム観戦の名物に。
1987年発売のファミコンソフト「燃えろ!!プロ野球」では4番クロマテの名前で登録されていて、バントでホームランになるという逸話も。
そんなクロマティの伝説の試合と言えば頭にデッドボールを受けて退場したその翌日に代打満塁ホームランを放った一戦。
1986年10月2日、優勝争い真っただ中の巨人は神宮でのヤクルト戦を迎えますが、そこでクロマティを襲ったのが頭部への危険なデッドボール。頭を押さえながらもんどりを打つように倒れ込むクロマティはそのまま病院へ緊急搬送。翌日の同カードの試合のスタメンにクロマティの名前は無かったものの、6回表3-3の同点で2アウト満塁という場面でコールされたのが代打クロマティ。するとファンの心配をよそに代打満塁ホームランという最高の結果に。
スポンサーリンク17位 鳥谷敬
2003年のプロ入りから歴代2位となる1939試合連続出場や史上50人目となる2000本安打達成など記録の面でも偉大な選手ながら、ファンの記憶に残るのが常にクールに振る舞うその姿。
そして記憶に残る試合と言えば2013年のWBC日本vs台湾戦、1点を追う日本の攻撃は9回2アウト1塁であと1アウトで大会を去るという崖っぷち。そこで塁上の鳥谷敬はギリギリのタイミングで盗塁を決め、続く井端弘和のヒットで一気にホームへ。するとあのクールな鳥谷敬が雄叫びを上げるという珍しいシーン。
その当時を本人に回想してもらうと一生で一回しかやった事が無い雄叫びだったようで、その夜は興奮し過ぎて眠れなかったとか。
16位 江川卓
プロ9年間で通算135勝をあげた昭和の怪物。その怪物ぶりは高校時代から大いに世間から注目を浴びて1973年の春のセンバツでは1大会60奪三振という伝説の記録を打ち立て、その他にもノーヒットノーラン9回(本人の記憶では10回)、完全試合2回、20完封、36イニング連続無安打無失点など怪物記録が続々。
そして江川のボールと言えば「ホップして浮き上がる豪速球」が有名で、現役時代に対戦経験のある栗山英樹はピンポン玉のような軽いものが飛んできてフワッと浮き上がるイメージでそんな球を見たのは唯一無二の体験だったとか。江川本人も自らが投げたボールが浮き上がるのを感じた経験が生涯で3、4回あるそうで、自分のいつもの軌道とは異質のボールを投げた事があるという証言。
15位 野村克也
野村克也について今でもファンの語り草になっているのがプロ入り12年目に打ち立てた新記録でキャッチャーでありながら戦後初の三冠王に。さらにその6年後にはあの世界の王貞治よりも先にプロ野球史上初の500号ホームランを達成する快挙も。通算本塁打でも王貞治に次ぐ657本で堂々の歴代2位。
選手引退後は監督としてもリーグ優勝5回、日本一3回も成し遂げてその実績もさることながら、名物の「ボヤキ」はいつしかファンや取材記者の楽しみの一つに。
スポンサーリンク14位 原辰徳
王貞治、長嶋茂雄という偉大な選手の跡を継いで巨人の4番を務めた若大将。竹の子族やルービックキューブが流行した1980年に4球団競合の末に巨人に入団した原辰徳はプロ1年目から22本のホームランと好成績を残し、その甘いマスクと確かな実力であっという間に巨人の顔に。その人気の高さはプロ野球選手という枠組みを跳び越えてアイドル的人気となり、現役時代のCM契約は7本など。
そんな原辰徳についてファンの記憶に残る一戦が日本シリーズでの満塁ホームラン。
時は1989年、巨人vs近鉄の日本シリーズは巨人1勝3敗で崖っぷち。さらにkの時の原辰徳は打撃不振に陥ってシリーズ打率は18打席無安打.000という絶不調。そんな中で迎えた第5戦では、原辰徳の前を打つクロマティを敬遠して満塁策をとるという原辰徳からすれば屈辱の采配。
そして7回裏2アウト満塁2-1巨人リードの場面で打席に立った原辰徳はそれまでの不調を吹き飛ばすかのような会心の当たりで満塁ホームランそして塁を回りながらの両手ガッツポーズ。この一本のホームランがそれまでの巨人敗戦ムードをガラッと変え、終わってみれば巨人の3連敗後の4連勝で日本一という結果に。
13位 清原和博
つくば万博が開催された1985年にドラフト1位で西武に入団するとプロデビュー戦で初ヒットがホームランといきなり強いインパクトを残し、高卒1年目にもかかわらず打率3割、ホームラン31本の好記録。スター清原の登場でパ・リーグは大きな盛り上がりを見せ、リーグ初となる年間観客数600万人を突破する大きな原動力に。その人気は子どもたちにも拡大して清原和博を題材にしたマンガ「かっとばせ!キヨハラくん」も一躍人気に。
そんな清原和博の名シーンと言えば西武vs巨人の日本シリーズで見せた清原の涙。PL額円時代にはKKコンビとして桑田真澄と共に名を馳せた清原和博でしたが、早稲田大学進学を希望する桑田と巨人入りを希望する清原と二人は別々の道を志す事に。ところが迎えたドラフトでは西武が清原を1位指名し、巨人はまさかの桑田1位指名という残酷な結果となり、ドラフトの席では涙を目にためる清原の姿。
そして時を経て1987年の日本シリーズは清原擁する西武vs桑田擁する巨人という運命的な戦いに。すると西武3勝2敗で迎えた第6戦、あと1アウトで日本一という場面でカメラが捉えたのは守備に就きながら涙を流す清原とそれを慰める西武・辻発彦の姿。あのドラフトの日に味わった悔しさが込み上げるような清原の涙には共感するファンの声多数。
スポンサーリンク12位 掛布雅之
1985年には阪神の4番として2リーグ制以降初の日本一に貢献し、ドラフト6位からミスタータイガースと呼ばれる大打者にまで駆け上がったスーパースター。
あの松井秀喜が憧れの選手として名前を挙げるのが掛布雅之で、松井秀喜が左打ちになったきっかけが掛布雅之という逸話も。
そんな掛布雅之の名シーンと言えばプロ野球史上ただ一人しか成し遂げていないオールスター3打席連続ホームランの伝説。1978年に後楽園球場で開催されたオールスターゲーム第3戦に4番王貞治の前を打つ3番打者として出場した掛布雅之は4回に第1号、5回に第2号、8回に第3号と驚異の3連発。
本人によるとホームランは特に狙っていなかったそうですが、ホームベース上で憧れの王貞治が迎えてくれるので何とか打てればいいなという心境の中で放った3連発だったとか。
11位 桑田真澄
1985年にドラフト1位で巨人に入団するとその後は沢村賞、最多奪三振、最優秀防御率など数々の投手主要タイトルを獲得し、巨人歴代最長の21年連続エースナンバー18を背負った大投手。
あの松坂大輔が幼いころからずっと憧れて真似し続けていた存在と語る桑田真澄ですが、ファンの記憶に一番残っているのがケガからの復活を果たして683日ぶりに勝利をあげた一戦。
1995年5月24日、ファールフライの捕球のためにダイビングキャッチを試みた桑田真澄は右ひじの靭帯を断裂する大怪我を負ってしまう事に。そこから約2年にも及ぶ長いリハビリ生活に入った桑田真澄は日々淡々とメニューをこなして、ひたすらランニングを繰り返した結果すり切れた芝生は桑田道・桑田ロードと呼ばれるほどに。そしてケガから661日後に遂に迎えた復帰戦ではマウンドに右ひじを付けて祈りを捧げる姿。そして683日ぶりの勝利。
スポンサーリンクトップ10
10位 古田敦也
1989年に野村克也監督率いるヤクルトにドラフト2位で入団すると、そのメガネ姿からついたあだ名は「のび太」。ところが、そんなあだ名を吹き飛ばすかのように1年目から正捕手の座を掴むとルーキーながらゴールデングラブ賞を獲得。さらにプロ4年目には未だに破られる事がないシーズン盗塁阻止率歴代1位.644という驚異的な数字を達成してメガネのキャッチャーは大成しないという球界の常識を覆す活躍ぶり。
さらにはキャッチャーとしてだけではなく打者としてもその才能を遺憾なく発揮して2年目には首位打者のタイトルを獲得する大活躍。
2006年には選手兼監督としてチームの指揮を執って「代打オレ」というワードはファンの記憶にも鮮明に残る事となり、監督最後の試合でも代打オレで登場して見事ヒットで締めくくり。
9位 バース
日本でのプレー期間はわずか6年にもかかわらず2年連続三冠王の史上最強助っ人。さらには世界の王貞治の記録に並ぶ7試合連続ホームランを放つその長打力は驚異的。
そんな記録以外にもファンの記憶に残るのが球史に残るバックスクリーン3連発。その一発目になったのがバースで、掛布、岡田と続く伝説の名シーンの立役者に。この3連発が生まれた1985年はバースの三冠王の活躍も光って阪神は2リーグ制以降では球団初となる日本一。
8位 松坂大輔
高卒ルーキーで新人王&最多勝(16勝)、メジャーに渡っても日本人初となるワールドシリーズ勝利投手、WBC2大会連続MVPなど「平成の怪物」の名に違わぬ活躍を見せたスーパースター。
1998年に甲子園春夏の連覇を成し遂げ、同じ年のドラフトでは1位で西武から指名を受けて鳴り物入りでプロ入りすると世間は空前の松坂フィーバーに。松坂大輔の姿を一目見ようとキャンプ地には約1万5千人のファンが詰めかけてちょっとしたパニック状態に。
そんな中で迎えたプロデビュー戦では日ハム片岡篤史を相手に三振で仕留めて怪物ぶりをさっそく発揮。この時の倒れ込むような片岡篤史の豪快なやられっぷりは何年経ってもこすり続けられる名シーンに。
スポンサーリンク7位 新庄剛志
現役時代にはゴールデングラブ賞10回、メジャー移籍と実績もさることながら、球界屈指のエンターテイナーとしても野球以外でも「新庄劇場」でファンを飽きさせないスーパースター。
そんな遊び心は選手としても大いに発揮して、敬遠球をサヨナラヒットにした場面はファンの記憶に残る名場面に。
さらには幻のサヨナラ満塁ホームランも語り草で2004年日ハムvsダイエー戦で9回裏同点2アウト満塁という場面で打席が回って来た新庄剛志は豪快な一振りでサヨナラ満塁ホームランかと思いきや、前を走っていた田中幸雄と抱き合った際にクルっと一回転してしまい、前のランナーを追い越したという判定でアウト、サヨナラ満塁ホームランも取り消しでヒット扱いになるという珍事件。幸いにも三塁走者が先にホームインしていたことでサヨナラ勝利は変わらなかったものの「さすが新庄は何かやってくれる」というらしい場面に。
その後は監督に就任すると新庄劇場は今も健在でまさに「これからはパ・リーグです」を体現し続ける存在に。
6位 落合博満
トレードマークの神主打法でプロ野球史上唯一の3度の三冠王に輝いた天才打者。
1978年にプロ入りをするとその後はめきめきと頭角を現し、1987年にはプロ野球選手の平均年俸が約1100万円という時代に落合博満は初の1億円プレーヤーに。契約更改ではマスコミの前で堂々と年俸を口にして「いちろくご(=1億6500万円)!」のセリフは有名なワード。
また、キャラクターの強い落合ファミリーも世間に知られた存在で、息子の福嗣くんは今では声優としてメディアに登場したり。
そんな落合博満の伝説の一戦と言えば巨人の斎藤雅樹を相手にノーヒットノーラン目前からの逆転サヨナラホームラン。1989年に行われた中日vs巨人戦は大エース斎藤雅樹が安定したピッチングを見せて9回1アウトまでノーヒットと好調。すると9回裏の中日の攻撃で1アウトから代打で登場した音重鎮がヒットを放ってノーヒットノーランを阻止すると、後続もヒットで続いて初得点。そして2点差2アウト1・3塁の場面で4番落合博満に打席が回って来ると、斎藤雅樹を呆然とさせる見事な一撃で右中間に放り込んでノーヒットノーラン目前からの逆転サヨナラホームラン。
この試合から5年後の1994年には敬愛する長嶋茂雄を胴上げするという目標を掲げて中日から巨人へ移籍し、シーズン最終戦はあの「10.8決戦」となり巨人と中日が最終戦まで同率首位で並び、最終戦の勝者がリーグ制覇というまさに天王山の一戦に。
その試合で落合博満は中日エースの今中慎二から先制ホームランを放って、さらにその後に同点に追いつかれた3回には勝ち越しのタイムリーと千両役者ぶりを発揮して歴史的一戦は巨人に軍配。その優勝決定の折にはは涙を流す落合博満の姿も画面に映し出されて長嶋茂雄を胴上げするという目標を見事に成し遂げたそのカッコ良さにファンももらい泣き。
さらに中日の監督に就任してからは4度のリーグ優勝を成し遂げて「オレ流」はちょっとした流行語に。
スポンサーリンク5位 野茂英雄
日本人メジャーリーガーのパイオニアにして社会現象まで巻き起こしたレジェンド投手。
日本プロ野球時代にはプロ5年間で4度の最多勝とその存在を確固たるものとしてた矢先、1995年当時まだ手の届かない夢の舞台とされていた米メジャーリーグの世界に単身で挑戦。日本時代には推定1億4000万円とされていたもののドジャースとの契約はマイナー契約となってその年俸は約980万円と大幅ダウン。さらには現地で実力を示してメジャー契約を勝ち取らないと夢の舞台では投げられないという厳しい状況の中、1995年5月にはいよいよメジャーのマウンドに。
すると翌月の6月にはメジャー初勝利をあげてこの月は6勝無敗でうち完封2つと大活躍。さらに7月にメジャー1年目にして日本人初のオールスター出場&先発投手と一気にスターダムを駆け上がっていき、そんな野茂英雄の活躍はアメリカでも徐々に知れ渡って当時NOMOマニアと呼ばれた熱狂的ファンも生み出す事に。
そしてメジャー2年目の1996年には標高が高いがゆえに打者天国と形容されるコロラド・ロッキーズの本拠地クアーズ・フィールドで史上唯一のノーヒットノーランを達成するという未だに後に続く者がいない大記録を達成。
「メジャーでは通用しない」という厳しい世間の評価を覆す形で大活躍を見せて日本人がメジャーの世界で活躍する礎を築いた偉大な名選手が5位にランクイン。
4位 松井秀喜
1992年、高校3年生時に夏の甲子園で5打席連続敬遠を受けるという衝撃的な出来事に遭遇した「ゴジラ松井」。そしてその年のドラフトで長嶋茂雄がくじを引き当てて1位で巨人入団へ。
その後は巨人不動の4番として日本球界の代表するホームランバッターの地位を確立して2002年には史上8人目で平成の日本人としては唯一のシーズン50号も達成。
すると2002年末には名門ニューヨーク・ヤンキースとの契約を発表して、2003年のヤンキースタジアムデビュー戦では本拠地デビューでいきなり満塁ホームランでファンに挨拶という衝撃的なお披露目に。
さらに2009年のワールドシリーズ制覇がかかった大一番では特大のホームランを放って日本人初となるワールドシリーズMVPを獲得する快挙。
スポンサーリンク3位 長嶋茂雄
「ミスター」の愛称で誰からも愛された国民的スーパースター。
1958年の昭和33年に戦後復興のシンボル・東京タワーが完成したその年に日本プロ野球界に現れたのが立教大学のスター選手だった長嶋茂雄。プロ入り後に巨人の4番に君臨すると通算444本塁打を放って王貞治とのON砲で9年連続日本一も達成。六大学野球の方がプロ野球よりも人気という時代にプロ野球人気に火をつけた立役者。
記録だけではなくファンを虜にしたのがそのプレースタイルで、ヘルメットが飛ぶほどの豪快なフルスイングや守備で見せるダイナミックなスローイング、塁上を疾走する姿など、そのどれを取っても画になるまさにミスタープロ野球な選手。
そんな長嶋茂雄と言えば1959年6月25日にプロ野球史上初開催となった天覧試合で放ったサヨナラホームランが伝説の一戦としてファンの記録に残る事に。天皇皇后両陛下のご観戦が夜9時15分までと決まっていた中、残り5分という所で打席が回って来た長嶋茂雄は残り3分という所でホームランを放ってサヨナラに。
そして1974年の現役最後の試合では通算444本目のホームランで自身の選手生活を締めくくり、引退セレモニーのスピーチで口にした「我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉は永久に残るであろう言葉に。
引退後は巨人の監督に就任して、2000年時には26年ぶりとなる背番号3を披露して世間の注目を浴び、15年の監督生活ではリーグ優勝5回、日本一2回という成績に。
2位 王貞治
未だに破られない世界記録の868本塁打を放った世界のホームラン王。1959年に巨人に入団するとトレードマークの一本足打法を武器に1試合全打席ホームラン、13年連続ホームラン王など驚異的な記録をマーク。
そして何と言っても、それまでメジャーリーガーのハンク・アーロンが持っていたホームラン世界記録755号を更新する王貞治の756号ホームランは日本中が待ち望んだ瞬間に。1977年8月31日の巨人vs大洋戦で755号、9月3日の巨人vsヤクルト戦で756号と更新していく姿には日本中が歓喜する事に。
スポンサーリンク1位 イチロー
日米通算4367安打の世界記録を持つ稀代のヒットメーカー。最も活躍した2000年代には好きなスポーツ選手で9年連続1位に選ばれるだけではなく2025年まで常にトップ5には入り続けるというまさに日本を代表するアスリート。
そんなイチローは芸術的なバッティングの他に守備で見せる華麗なキャッチングやレーザービームに例えられる送球も代名詞で、メジャー1年目の開幕から僅か8試合目というタイミングでいきなりファンの度肝を抜く強肩を披露。
そして伝説の名シーンとしてプロ野球ファンの記憶に刻まれているのが2009年に開催された第2回WBC決勝、対韓国戦での一打。
一進一退の攻防で互いに点を取り合い、同点で迎えた延長10回表2アウト1・3塁の場面で打席に立ったイチローはその後2・3塁という場面になった所でセンターに弾き返して勝ち越し2点タイムリー。この大会で不振に陥っていたイチローがここぞという所でヒットを打ったことで日本は世界一に。
そして2025年にはその功績を称えてアジア出身選手としては初となるアメリカ野球殿堂入りも果たして海を越えてその活躍が認められる事に。
以上、プロ野球選手総選挙2025ランキング結果一覧でした。