前方後円墳はなぜあの形?チコちゃん
26年9月18日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『前方後円墳はなぜあの形?』の答えなどまとめてご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】高橋成美、GENERATIONS小森隼
【VTRゲスト】なし
前方後円墳はなぜあの形?
3問目の出題は、
なんで前方後円墳はこの形(カギ穴みたいな)なの?
チコちゃんの答えは、
お墓への通り道を作ったから
解説は明治大学の若狭徹教授。
古墳が作られるようになる前の弥生時代には各地にクニが点在して、それぞれの地域で政治や祭祀が執り行われており、それぞれ独立した集団だったので争いや戦が頻発していたのに対してヤマト王権という連合政権が誕生すると争いが減り、今度は自らの権力を知らしめるために有力者が大きなお墓=古墳を作る時代が到来。
こうして3世紀中ごろ~6世紀末までの古墳時代には地域を支配していた王や豪族が所有する広い土地や自らのために働く多くの民といった自分の持つ権力の象徴として多くの古墳を作らせたというのが教科書的な答え。
スポンサーリンクそんな古墳にはシンプルな四角い方墳、円形のみの円墳、四角2つで作られる前方後方墳、ホタテ貝のような大きな丸と四角で作られる帆立貝形古墳そして前方後円墳など色々なバリエーションがあり、方墳の序列が一番低くて最も位が高い人物が葬られていたのが前方後円墳といわれていたり。
前方後円墳を作られることが許されたのはヤマト王権の王、王の親族、政権に参加した特別な豪族の首長のみと考えられており、前方後円墳というのはつまりヤマト王権お墨付きで政権への多大な功労者という意味でも。
そんな前方後円墳は周りに溝を掘ってその中心に土を盛ってそこへ埋葬されているという作りで、すなわち円になっている部分がお墓本体という事になるわけですが、円を全て溝で囲ってしまうと埋葬の際に中心部へ入れなくなってしまうため、そこに通じる橋のような構造を残し、埋葬の儀式を行うステージとして利用するためにその通路を拡大してあのような形に。
つまり四角いあの部分はもともとはただの通り道だったと若狭先生。
ちなみに前方後円墳というネーミングから「前が四角、後ろが前」とイメージしてしまうかもしれませんが、実はどちらが前でどちらが後ろかは分かっておらず、前方後円墳という名称が付けられたのは江戸時代になってから。
スポンサーリンク古墳の調査をしていた江戸時代の儒学者・蒲生君平は地上から見た古墳の形が貴族が乗る牛車に似ているという所から前が牛、後ろが車輪というイメージに重ねて前方後円墳という名前にしたというエピソード。
最後に古墳に関する様々なトピックを若狭先生が「日本こふん発見」として紹介するミニコーナー。
- 大阪府堺市にある日本最大の古墳・大仙陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓の一つ
- 大仙陵古墳は全長約500mで長さに関しては世界最大のお墓ですが、これを現代(1990年ごろの計算)で造るとしたら約796億円という試算で、1日2千人が働いて完成まで15年8か月ほどの工事期間に
- 日本中に約16万基ある古墳のうち誰のお墓か分かっているのものはほぼ無い→お墓に名前を刻む習慣が無かったため
という事で3問目は以上。
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