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第30回「石橋貴明のたいむとんねる」ゲスト:堺正章 “しぇんしぇえ”と慕うマチャアキに頭をツッコまれたりタジタジのタカさん


18年12月3日に放送された第30回「石橋貴明のたいむとんねる」はゲストに堺正章さんを迎えてテーマは「堺しぇんしぇえのココがスゴい!」。堺正章さんの長い芸能生活を振り返りながら数々のエピソードが披露されるという内容。トーク中には堺正章さんのダメ出しで頭をはたかれるというタカさんの珍しい光景も。

というわけで18年12月3日放送の第30回「石橋貴明のたいむとんねる」の様子をご紹介します。

樹木希林を偲んでというエピソードでは内田裕也さん主催のパーティーでまさかの大事件を堺正章さんが引き起こしてしまったというお話も。

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出演者

【MC】石橋貴明、ミッツ・マングローブ

【ゲスト】堺正章

【ウェイトレス】なし

【ナレーション】山中まどか

オープニング

片手にマイクを持ちながら悠々と「さらば恋人」のイントロと共に登場の堺正章さん。

いざ歌い出しという所で鐘の音が鳴ってズッコケ。

ミッツ「今夜のゲスト、堺正章さんでございます。」

床に倒れた状態でご紹介w

ある時はバンドマン、ある時は俳優、そしてある時は司会者、数々の分野で成功を収めたエンターテイナー堺正章。タカさんにとっては若いころから可愛がってもらって“しぇんしぇえ”と慕う存在。

という事で今日のテーマは、

「堺しぇんしぇえのココがスゴい!」

石橋貴明と堺正章

まずはタカさんと堺正章さんとの関係性について、

石橋「久々に食事をさせてもらった時がありまして、6時間。ずっとしぇんしぇえの話を聞いて、もう腹抱えて、これは絶対にテレビで聞いとかなきゃ。しぇんしぇえも死んじゃったら聞けないですからね。死ぬ前に聞いとかないと。笑」

堺「テレビでね、言えない話もたくさんあるんだよ!“拒否”って言ったらダメ(の合図)ですからね。」

すると早速タカさんが堺さんの事を“しぇんしぇえ”と呼ぶのかについてに触れようとしますが、

堺「拒否!」手でバツ印を作る堺さん。

石橋「ハッキリ言って、僕と憲武だけですね。しぇんしぇえと呼んでいいのは。」

堺「だからと言って、何故しぇんしぇえになったかを話す必要はないよ!本当ね。あぁた。」

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年表トーク

今回は堺正章さんの芸能人生を年表を使って振り返りながらのトーク。※その年の誕生日を迎えた年齢が紹介されています。

まずは幼少期から一世を風靡したグループサウンズ時代。

1946年8月6日に東京都世田谷区で誕生。父は昭和を代表する喜劇俳優の堺駿二さん。

1948年2歳の時に鎌倉に移住。幼少期は鎌倉で過ごす。

当時の鎌倉のお屋敷はかなり大きかったそうで、およそ4000坪(サッカーコート2面分)との事。

堺「父親も小さかったんだよ。車でも住む所でも大きいものに対する憧れ・願望があるね。」

石橋「だからしぇんしぇえも大きい車乗ってましたよね?西麻布でバーッて走ってきたら、あれ?無人の車が来た!と思ったら、しぇんしぇえがこうやって乗ってて。笑」

ハンドルの間から覗き込むようにして運転していたとタカさんw

堺「こうじゃないよ!上向いてここ(天井)に鏡付けてたんだよ!」

子ども時代に横浜にあるローラースケートリンクに行きたいと父親に言ったところ、ダメだという父親の答え。

石橋「小っちゃいから?」

堺「小っちゃいからじゃないよ!」

ホントは不良の溜まり場みたいになっていて危ないからという理由でお父さんは許可してくれず、代わりに庭を全てコンクリートで固めて、全周に渡って手すりも設置。何と庭を改造して自家用ローラースケート場を整備してくれたとの事。

そして1952年6歳で芸能界デビュー。映画「東京騎士伝」に出演。

松竹は大船に撮影所があったために鎌倉と近かったためにオーディションに参加して主演の鶴田浩二さんの息子役で芸能界デビュー。

それまで撮影現場にもよく付いていっていたそうで、お父さんがカメラの前で演技している姿を見ていて、何となく憧れを持っていたとの事で自分の希望でオーディションを受けたそう。

ミッツ「どういう役だったんですか?」

堺「役はね男の子の役だったですかね・・・。」「もうちょっと笑い来るかなと思った。笑」

石橋「何でいちいちリアクションを気にするんすか?笑」

堺「寂しいのよ。笑」「収録中にスタジオ出ていく人が途中でいたら止めるからね。こっから面白くなるから!って。」

ザ・スパイダース時代

そこから飛んで、

1952年16歳でザ・スパイダースに加入。

16歳の時に父親から「何かやりたい事があるのか?」という事を聞かれて「僕は芝居じゃなくて歌をやりたい。」と答えた所、ホリプロの当時の社長の堀威夫(ほりたけお)さんに相談に乗ってもらったところ、既にあったザ・スパイダースに加入するという話に。

堺「段取りしてくれた。父親が。」

石橋「こんなに小っちゃいのに?」

堺「そうそう。こんな小っちゃいから踏みつける・・・バカやろう!」「俺好きだよ?そのノリツッコミは。一番好きなパターンだから。どんどん振って来て!」

60年代に一世を風靡したグループ・サウンズブーム。そのブームを牽引したのが堺正章さんがボーカルを務めるザ・スパイダース。1965年5月10日に初シングル「フリフリ」でデビュー。

1966年9月15日リリースの「夕陽が泣いている」は120万枚のセールスを記録して大ヒット。

当時まだ数組しか成し遂げていなかった異例のヨーロッパツアーも成功。

ミッツ「元祖アイドルですね。」

堺「そういう部分もありますね。我々のスローガンは『打倒ジャニーズ』だもん。それを倒すんだって言って。」

ジャニーズとは1962年にジャニーズ事務所から最初にデビューしたアイドルグループ。メンバーは真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦。

でも最初は鳴かず飛ばずでデビューしてから苦労はあったとの事。

堺「だって、スパイダースの『ケの字』も知らないんだから。」

石橋「?」

堺「ツッコめよ!」

石橋「今のツッコむ所?笑。分かんないもん!」

堺「分かんなくていいんだよ!こういうのは!」「だからスパイダースの『ムの字』もなかったわけよ。」

石橋「ム!?」

堺「ツッコめよ!」

頭をはたかれるタカさん。珍しい光景w

堺正章さんの矢継ぎ早のボケについていけずにテンパってます。

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また、ヨーロッパツアー中に「夕陽が泣いている」が大ヒット。そしてタイミング的にいつの間にか凱旋帰国のような雰囲気になってしまい、羽田空港の送迎デッキにファンが殺到。飛行機のタラップから降りて行くと、

堺「ちょっとしたコンサート会場ですよ。」

ファンの黄色い声援で大騒ぎに。

堺「その声援もよく分類すると『順ちゃーん!』が一番多かった。笑」

ザ・スパイダースのメンバーでツインボーカルを担当した井上順さんですね。

堺「“和製ポール・マッカートニー”と呼ばれてたんだから。」

いつもであれば次に、かまやつひろしさんが“和製ジョン・レノン”、そして堺正章さん自身は“和製リンゴ追分”と呼ばれたというお決まりのボケのパターンがありますが、今回は残念ながら無し。

堺「俺、このまま行ったらヤバいぞと。思ったんであの人を笑いの世界に引き込んだ。あの人もすごく人がいい人だから『うんうん。それでどうやるの?』って。笑。でコケてくれる。コケさせたら俺の方が上手いんだから。」「そういうので段々あの人の人気が落ち目になった。笑」

井上順さんと堺正章さんはスパイダース解散後も息ぴったりのコンビで様々な番組で共演されましたよね。

そんなスパイダースは堺正章さん自身の見立てでは2~3年ぐらい人気が続けばいいなと思っていた所、人気が出るスピードの倍のスピードで人気が落ちていってしまったとの事。

堺「寝て起きると半分になっちゃうんです。ファンが。寝て起きると半分。で寝ようと思ったら無くなっちゃったんだよ。」

また、ザ・テンプターズに在籍した萩原健一さん、ザ・タイガースに在籍した沢田研二さんなども徐々に台頭してきた事もあってザ・スパイダースは落ち目に。

堺「俺たちもうおしまいですよ。」

また、ザ・スパイダースのファンクラブの京都支部にファンの男の子5人組がいて、堺正章さんが偶然にもインタビュー。すると「僕たち『ファニーズ』って言います。という答え。」その時にやり取りしたのが後の沢田研二さん。

堺「だから、ザ・タイガースの前身。君たちプロになんのか?って言ったら『はい!なりたいです!』って言うから、プロの世界はお前厳しいぞ!と。そんなに簡単に昇り詰めらんないぞ!って言ってた俺たちが一番惨めな思いした。笑。俺たちを土足で踏みつけて行ったからね。あっという間に。背中にまだ跡がありますよ。」

石橋「(売れてから)たかだか5年ぐらいで終わっちゃうんですね。」

堺「あなたさ、“たかだか”っていうのは言うなよ。自分で言うのはいいよ?俺聞いてて一回頷いちゃったけど。笑」

時間ですよ

1971年にザ・スパイダース解散。ここから堺正章さんはテレビスターへ転身。

そのきっかけがTBSドラマ「時間ですよ」

下町の銭湯を舞台にしたホームドラマでその人気から何度もリバイバル。

堺正章・樹木希林(悠木千帆)・浅田美代子の3人で繰り広げるコミカルなシーンが見どころ。

食事風景では、堺さんが樹木さんのご飯をよそいに行って、炊飯ジャーからよそったご飯を樹木さんに投げてパス。それを樹木さんが茶碗でキャッチしてすぐに堺さんに投げ返すというシーン。

その後も続けてご飯を投げて、今度は食卓に戻ってきた堺さんに樹木さんからご飯パス。

多くの視聴者がこのシーンを真似したとの事。

その他にも堺さんと樹木さんの掛け合いなども。

実はとんねるずもコンビで「時間ですよ ふたたび」に出演。

短いですがコチラが視聴動画。

石橋「久世(演出の久世光彦)さんに、釜場っていうんですけど、釜場のシーンを一番最後にリハーサルの時にやるんですよ。森光子さんとか全部リハーサル終わって、森さんにお疲れ様でしたって帰した後、俺と憲武とお手伝い役の3人で釜場のシーンをやるんですよ。でやっぱ、ウケないんすよ。全然!『じゃあお前ら宿題な?』って久世さんに言われて、『はい。失礼します・・・』って当時赤坂のTBSの稽古場をパッて帰ったら、スゲェ久世さんに怒られて。笑」

「『お前ら!帰るのか?』って。『堺なんか残ってやってたぞ!朝まで!』って。」

「ひぇええ~~~!って。笑。帰っちゃダメなんだ!?って。堺さんたちは朝までやってたんだ~!?って。すっげぇ世界来ちゃった!と思って。」

堺「何で受けたんだよ?そんな仕事。」

ただ、そんな堺さんたちも久世さんにはかなり厳しく言われていたそうで、堺さんが考えたギャグなどをリハーサルでやると逐一採点されていたようですね。

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樹木希林を偲んで

堺「樹木希林を偲んでというかさぁ。あの人は大女優になって、万引き家族までいって。そういう人だから演ずることが好きなんだなっていう人生を過ごしてたけど、その最初ってのはやっぱり、自分がどうなっていくか分かんない頃の樹木希林っていうのはちょっと面白い気がするよね。」

「(内田)裕也さんの奥さんになって。いいじゃない?この辺が。」

ここで内田裕也さん主催のパーティーに堺正章さんが呼ばれた時のエピソードへ。

堺「裕也さんパーティーで『堺来いよ。』っていうから『行きます。もちろんです。』って。」

するといつの間にか堺正章さんが司会をする事に。事前には聞かされていなかったものの断るわけにもいかず、しょうがなく舞台上へ。

堺「でチラッと見たら(アントニオ)猪木さんがいたの。言わなきゃいいのに俺が『さあ!猪木さんを見つけてしまいました!それではお祝いに気合を入れていただきましょうか!』」

石橋「えぇ~!?」

すると猪木さんも断ればいいのにすっくと立ちあがってしまい、

堺「『よぉ~し!』って出てきた。笑」

心の中では「マズいなぁ・・・」と思いつつも後に引けなくなってしまって、

堺「『じゃあ猪木さん!お祝いに一発強力なやつをお願いします!』」

すると猪木さんはお祝いの言葉を内田裕也さんに伝えた後に、

堺「『歯を食いしばれ!両足広げて!』バチン!!ってやったのよ。」

「しまった・・・」と後悔先に立たず、

堺「裕也さんがクラクラクラ~って。」

石橋「それは・・・笑」

堺「『裕也さん?大丈夫ですか?』って。『お前、俺30年振りだよ。クラッと来たの。』『30年前、誰に殴られたんですか?』『樹木希林だ!バカやろう・・・!』」

まさか内田裕也さんがアントニオ猪木さんにビンタされていたとはw

しかもそれを引き起こした張本人が堺正章さんとは。

ソロデビュー

1971年25歳の時は日本テレビ系「ハッチャキ!!マチャアキ」が放送開始。

タカさんもよく観ていたとの事。

同じ年にソロデビュー「さらば恋人」

NHK紅白歌合戦に初出場。

さらに1973年リリースの「街の灯り」もヒット。

当時からずっと変わらないスタイル。

堺「前の方が太ってたかな。」

石橋「しぇんしぇえあれでしょ?今でもちゃんとイタリアのお店から服・・・」

堺「あらららら。その話?」

立ち上がってジャケットのボタンを留め直す堺正章さんw

石橋「嬉しいんだ?笑」

贔屓にしているというイタリアの服屋さんに自身の型紙を取っておいてもらって、生地を指定すると服が送られてきてそれを着るという芸能界一の着道楽とも言われる堺正章さんのエピソード。

家には洋服がたまっていく一方で、サイズの合う人に譲ったりして処分しているもののなかなかの量だそう。

石橋「いっつも可愛い、コートとかすっげぇ高い生地で高いんだろうなって。ビビっちゃう位の。それで車にストンって乗っていくときの。車乗ってく時の雰囲気がねすっげぇカッコイイの。しぇんしぇえはいつも。」

堺「はっはっは。もっと言えよ。」

上機嫌w

車はずっとマセラティがお気に入りという堺正章さん。

ミッレミリア・ストーリカというイタリア伝統のクラシックカーレースに長年参加し続けているという堺正章さん。

堺「するとイタリア人が『マチャアキ!』って言うのよ。『何て言ったの?』って言ったら『マチャアキ!』って言うの。俺イタリアでも知られてるんだ!?と思ったら、『マセラティ!』って言ってたんだよ。笑」

何その話w

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かくし芸、西遊記

1976年30歳の時にフジテレビの新春かくし芸大会で個人技を初披露。以降は“ミスターかくし芸”と呼ばれる。

かくし芸では褒められると「もう家に帰りたくなくなっちゃう。」との事。

石橋「成功するとその年のディナーショーでかくし芸をやるんでしょ?」

堺「もちろんだ!」

かくし芸の大本番の収録は11月の最終週ぐらいに撮り終わっているのが毎年の事。すると12月に入るとディナーショーのシーズンに入るので、

石橋「ディナーショーでオンエア前にやっちゃうんです。笑」

堺「今年のお正月はコレをやります!!」

1978年32歳で代表作の一つ日本テレビ「西遊記」に出演。

三蔵法師役:夏目雅子、猪八戒役:西田敏行、沙悟浄役:岸部シローというキャストに加えて当時の金額で製作費10億円という破格の予算。西遊記は当時の民放ドラマでは異例という最高視聴率27.4%を獲得。

堺「あれ本当は(三蔵法師役は)夏目雅子じゃなかったんだよ?これ意外な人よ。」

石橋「意外な人?」

堺「これね。玉三郎さん。」

五代目坂東玉三郎さんは歌舞伎界を代表する女形役者で2012年には人間国宝に。

堺「玉三郎さんとこに最初にいって、オファーをしたら『それは面白いわね。』って言ってくれたらしいんですよ。」

その時のやり取りを堺正章さんが再現。

坂東玉三郎「誰が悟空をやるの?」

スタッフ「堺正章。」

坂東玉三郎「猪八戒は?」

スタッフ「西田敏行。」

坂東玉三郎「河童は誰?」

スタッフ「岸部シロー。」

坂東玉三郎「お断りします!」

でも三蔵法師役の夏目雅子さんに関しては、

堺「モデルさん上がりですからね、そこまで芝居なんか出来るの?って最初はね。すごく思ってたけど、始まったら『この人スゴイわ。』って。どんなことにも動じない。僕がアドリブかましても平気でついてくる。こんな女優さんいる!?って感心しちゃった。」

紅白歌合戦でガチギレ?

そして1991年から1993年にかけてはNHK紅白歌合戦で3年連続白組司会に抜擢。

1991年はとんねるずが紅白初出場。

サプライズで全身を赤と白に塗って歌うという演出で話題に。

背中を向けるとそこには「受信料を払おう」という文字が。

ただ、この舞台裏には堺正章さんがガチギレしたという事件が勃発していたようで、

夜7時半からスタートしてとんねるずの出番は夜9時頃。その間に誰かの曲紹介で堺正章さんと一緒に出番があったはずが前述のようなサプライズ演出があったために出演を取りやめに。

さらに歌い終わった後に曲紹介をするはずもそれも出演NG。

石橋「しぇんしぇえが『お前らとんねるずは何で歌前の曲紹介も出ない?終わった後の曲紹介も出ねぇんだ!』って言うわけですよ。」

衣装を着るのにも脱ぐのにも時間がかかりまして。という説明で何とか逃げようとしたものの、脱ぐのに2時間っておかしくないか?とさらに詰められる羽目に。

石橋「それが言えないんです・・・って。」「『てめぇ!何で言えないんだ!』ってスッゲェ怒って・・・笑」

そして観念したタカさんは堺正章さんだけに赤白で全身を塗って舞台に立つというサプライズ演出をバラしたとの事。

石橋「塗るのに1時間半、取るのに2時間掛かるんですって。言ったら、『それなら分かった。』って。NHKのあの紅白の中で歌う前に唯一知っていたのがしぇんしぇえです。」

堺「とんでもない人たちが出てきましたよね。」「何年ぐらい続けて出たの?」

石橋「あの年一回ですよ。」

堺「あ~そんなもんでしょうね~。」

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エンディング

石橋「それであれでしょ?お嬢さんが今度『堺』という名前をちゃんと引き継いで。」

堺「この番組イイねぇ~。」

タカさんに握手を求める堺正章さんw

堺「僕にとっては一つ自分の持ってた宿題。娘が背負ってくれた。『堺小春』っていう芸名で。」

娘さんの堺小春さんは元々は本名の栗原小春名義で芸能界デビュー。その後2015年に堺小春に改名。

堺「彼女は彼女なりにこれから堺を背負ってやっていくんだろうと。」

すると、

堺「すみません!スタジオ出るんですか?」

ミッツ「今こっち歩きましたね?笑」

堺「まだ終わってませんよ?こっから面白くなるんですから。」「堺駿二、堺正章、フランキー堺とこういう風に・・・。」

石橋「そこで。笑」

キッチリ落とす堺正章さんw

堺「僕が話したいなと思う話をちゃんと引っ張ってくれたから。嬉しいわ。ホントにホント。」

「貴明。成長したな。」

今回の放送は以上。

来週の12月10日(月)はゲストにカンニング竹山、持田香織、ミラクルひかる、加藤諒の4人を招いて世代の違う人に「ささるカラオケ」開催。

18年10月8日放送の第22回で初開催されたカラオケ企画の第2弾ですね。あの時もフォーマットがやけに作り込まれていた印象だったのでやっぱり連続企画化に漕ぎつけたようです。

前回の様子はコチラ。

【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】

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