第75回「石橋貴明のたいむとんねる」高橋尚子、塚原直也が選ぶオリンピックの名場面は?
19年11月18日放送の第75回「石橋貴明のたいむとんねる」はゲストにオリンピック金メダリストの高橋尚子さん、塚原直也さんを迎えて心に残るオリンピックの名場面をプレイバック。高橋尚子さんがシドニー五輪で見せた「サングラス投げ捨てシーン」の真実や塚原直也さんのアテネ五輪での大失敗エピソードも。
というわけで19年11月18日放送の第75回「石橋貴明のたいむとんねる【五輪の歴史的瞬間 高橋尚子が札幌開催に一言】」の様子をまとめてご紹介します。
スポンサーリンク目次
出演者
【MC】石橋貴明、杉原千尋フジテレビアナウンサー
【ゲスト】高橋尚子、塚原直也
【ナレーション】半田裕典
オリンピックといえばこの瞬間
オープニング代わりにいきなり高橋尚子さんが選んだオリンピック名場面。
「超人カール・ルイス 驚異の4冠達成」
舞台は1984年のロサンゼルスオリンピック。
男子100mを制したカール・ルイスはこの大会で200m・4x100m・走り幅跳びで4つの金メダルを獲得。
高橋尚子「小学校ながらインパクトがすごく大きくて、みんなが走る時は全員カール・ルイスになってましたからね。」
石橋「俺ね、F1観に行ったらね、帰り新幹線一緒だった。」
タカさんお得意の世界的スーパースターと偶然居合わせるエピソードw
席に座っていたら通路を歩いて行くカール・ルイスが目に入って、流石に驚いたタカさん。
ちなみにカール・ルイスとタカさんは同い年w
そしてここで高橋尚子さんがテレビ初公開という貴重なお宝を披露。
ロサンゼルスオリンピック開催時に小学校6年生だった高橋尚子さんは、その時にはまだ陸上を始める前だったにもかかわらず、夏休みの作品(恐らく自由研究のようなものでしょうか?)としてロサンゼルスオリンピックに関する切り抜きを集めたスクラップブックを宿題として提出していたそう。
そのスクラップブックを見ながら当時を懐かしむタカさんと、その一方で塚原直也さんはピンと来ていない様子ですがw
ということで改めてオープニング。
心に響いたオリンピックの瞬間を語り尽くす本日のテーマは「オリンピックといえばさこの瞬間でしょ」。
ちなみに本日のゲストであるQちゃんこと高橋尚子さんの電話番号を知っているというタカさん。
しかも、高橋尚子さんは番号交換の際にタカさんが電話番号を書いてくれた小さなメモを今でも大事に保管しているそうで、
高橋尚子「毎日、財布の中に入れてるんですよ。」
お守り代わりにいつも持ち歩いているようでスタジオで披露。
一回だけタカさんから電話をかけた事があるそうですが、ランニングフォームについてという意外と真面目な話題だったとかw
スポンサーリンク有森裕子の銀メダルとPL花火
続いてはタカさんが選ぶオリンピックの名場面。
「ベン・ジョンソン まさかの金メダル剥奪」
1988年のソウルオリンピックで大スキャンダルとなったのがドーピングの問題。
男子100mでオリンピック連覇を目指すカール・ルイスと前年に世界記録を更新していたベン・ジョンソンのライバル対決に世界中が注目した一戦はベン・ジョンソンが圧倒的なスピードで勝利。
しかし・・・。
レース後の検査でベン・ジョンソンが禁止薬物の陽性反応を示し、再検査を経て3日後に金メダル・世界記録は剥奪。
石橋「どっちが勝つんだ?カール・ルイスとベン・ジョンソン。そういう思いで観たのに(カール・ルイスが)全然追いつかなくて。」
高橋尚子「腹立ちますよね。これだけ毎日頑張って。」
ドーピングに関してクリーンな選手からしたらせっかくの大舞台を・・・という思いがありますよね。
タカさんがテニスの錦織圭選手から聞いたドーピング検査に関する話では、選手は365日どこにいるかを全て申請をしないといけないルールで早朝から夜中までどのタイミングでも抜き打ちで尿検査を受けさせられるとの事。
高橋尚子さんは一人暮らしの自宅にドーピング検査で男女ペアで検査官が来たそう。
女性は一緒にトイレに入って用を足すところをしっかりチェック。
ただ、たまたまトイレに行ったばかりのタイミングで検査が入った時は、3人で向かい合ったまま3時間半もオシッコ待ちをした事もあったそう。
続いて高橋尚子さんが選ぶオリンピックの名場面その2。
「有森裕子 日本女子初 マラソン銀メダル」
1992年バルセロナオリンピック。
女子マラソンでは日本人初、陸上女子全体で見ると人見絹江以来64年ぶりの銀メダル。
この時に高橋尚子さんは大阪の大学に通っていてPL花火の当日だったとか。
大学チームでPL花火を観に行った後にチームメイトの家でオリンピックを観ていると、疲れからみんな寝入ってしまったものの「ゴールまで2km!」というチームメイトのお母さんの声で叩き起こされて、そこからはみんなで一緒に応援したというエピソード。
高橋尚子「ヤッター!って言ってそのまま寝たっていう。笑」
次の1996年のアトランタオリンピックでは銅メダルを獲得した有森裕子さん。「初めて自分で自分を褒めたいと思います。」というあの名言が生まれた時に手に持っていたのがなぜか「菊の花束」だったのが未だに引っかかっているというタカさんw
石橋「なんで菊渡してんだよ。」
この時には既に高橋尚子さんは有森裕子さんとチームメイトでしたが、まだ1500mの選手時代でオリンピックに出られるなんて夢にも思っていなかったとか。
そこからマラソン選手に転向するきっかけは、小出義雄監督がマラソンの総監督に就任するタイミングで、直接指導してもらうためにマラソン選手転向を決めたそう。
元々、高橋尚子さんは小出監督の指導を受けるために実業団に入団したのに、1500mだとトラック競技の監督の指導を受ける事になるのでこうなったら・・・という思いで転向を決意したようですね。
高橋尚子「それだけのために最初マラソン走ってましたね。」
ちなみに塚原直也さんはアトランタオリンピックが初代表にして初の国際舞台だったそう。
舞い上がってしまって演技はメチャクチャだったそうですがw
スポンサーリンク高橋尚子のサングラス投げ捨て
次はタカさんが選ぶオリンピックの名場面。
「高橋尚子 日本女子陸上 初の金メダル」
2000年シドニーオリンピック。
大会前に軽快なダンスを報道陣の前で披露するほどリラックスムードの高橋尚子さん。
当時の映像が映ると顔を押さえて恥ずかしそうですが、レースでは積極的に動いて27km付近からリディア・シモンとの一騎打ちに。
そしてあの有名なシーン。
34km付近でサングラスを投げ捨てて一気にスパート。一瞬シモンも「何を投げたのか?」と目で追いかけるシーンもありましたね。
結果は当時のオリンピック新記録で日本女子陸上界にとって初の金メダル獲得。
そしてタカさんが気になるのが、なぜ高橋尚子さんはサングラスを投げたのか?という所。
高橋尚子「あれは、元々前日に小出監督が部屋に来いと。作戦を教えてくれるのか?と思って行ったら『20kmと30kmで応援してるからね。』っていう事務連絡だけをしてその日終わったんですよね。」
「で20kmでは(最大のライバルと目されていた)ロルーペいないよって伝えてくれたんですけど、30kmになったら、私のしてたサングラスが海外選手向けに作られてるものが多いのでこめかみが締め付けられるんですよね。なのでこれから勝負時に頭がクリアじゃないと瞬時に見分けられないから、これを誰かに持って欲しいけど・・・2万円するんですよ。」
「2万円するんですよ!ホントに高いんですよ!その辺にちょっと置くのはなくなったら悲しいですよね?で小出監督を探したんですよ。でサングラスをズラしながら見てもどこにもいなくて。」
※小出監督は20km地点で既に優勝を確信してビールを飲んでゴール地点に移動していたという後から知った話。
高橋尚子「で34kmでうちの父親を見つけたんですね。それで前に出て横にシモン選手いるんで横に投げたんですよね。」その結果は「途中の中継バイクに当たって戻って来たんですよ。あの瞬間は『よし行くぞ!』じゃなくて『あ~!ショック!!』っていうイメージですね。」
ショックを受けたものの、シモン選手が付いて来ない事を察知した高橋尚子さんは、間髪入れずにそのタイミングでスパートをかけたそう。
父親を見つける→サングラスを投げる→戻って来てショック!→今がスパートチャンスだ!
という出来事が3秒ほどで完結したとの事。
走り去った後に係員の人がサングラスを拾って、最終的には高橋尚子さんのお父さんの手にしっかり渡っていたようですが。
係員に対して手を伸ばして何やら言っている様子の人が映っているのでひょっとしたらお父さんか関係者だったんでしょう。
サングラスを捨てたのが「ここでスパートするぞ!」という決意表明のようでしたが、実は全然違ったと高橋尚子さん。
ここでシドニーオリンピックで獲得した金メダルをスタジオで披露。
ちなみに金メダルを噛んだショットが有名だったりしますが、
石橋「Qちゃんが一番最初にやったような気がすんだけど。
高橋尚子「違う違う!『噛むのが伝統なんだ。』って言われるんですね。カメラマンの方々に。なので私自身も嬉しい気持ち。で噛んだら報道陣も嬉しい気持ち。みんな嬉しい気持ちで良かったね。っていう感じの。」
石橋「Win-Winと。」
スポンサーリンクウサイン・ボルト
続いてはタカさんが選んだオリンピックの名場面。
「人類最速の男 ウサイン・ボルト」
2008年北京オリンピック。
スタート前に見せたボルトポーズ「ライトニングボルト」はこの大会後に彼の代名詞の一つに。
石橋「なぜ流す!?なぜ最後流す!?」
男子100mでラストスパートの段階で既に勝利を確信したボルトは手を広げて流すという暴挙に。それでも当時の世界新記録という偉業。
さらに続く男子200mでも金メダルを獲得して2冠。コチラも当時の世界記録。
100m、200m共に世界記録で2冠達成は史上初の大偉業。
子どもの運動会に参加した際に勝利してあのボルトポーズをしてしまったという塚原直也さんw
塚原直也「妻に怒られました。笑」
そして食わず嫌い王決定戦にも登場したウサイン・ボルト。
ちなみに嫌いな食べ物はサーモンステーキでした(実は魚全般が苦手)。
逆に好物はチキンナゲットなどのジャンクフード系。
選手村でもマックのハンバーガーを食べたりと食生活は割とジャンキーな感じだそう。
東京オリンピックの注目ポイント
ここで趣向を変えて、高橋尚子さんが選ぶ2020年東京オリンピックの注目ポイントについて。
女子マラソンの鈴木亜由子選手、前田穂南選手はメダル争いに関しては厳しい戦いになるという見解ではあるものの、夏のマラソンなので準備がしっかりできればメダルも狙えるとの事。
また陸上のメダル獲得最有力候補は競歩。
50km競歩の鈴木雄介選手、20km競歩の山西利和選手が現在世界最強クラスと断言。
また50km競歩で19年10月27日に日本記録を塗り替えた川野将虎選手にも注目してほしいとの事。
高橋尚子「メダルを見たいんだったら競歩に行かれるのが一番だと思いますね。」
ここでタカさんから札幌開催案についての質問w
返答は高橋尚子さんの「長くなっても大丈夫ですか?笑」
だけでバッサリカットw
スポンサーリンクコマネチとマジャール旋回
ここからはまた本題に戻って、続いてタカさんが選ぶ名シーン。
「新時代到来 女子体操の美少女革命」
1976年のモントリオールオリンピックで「白い妖精」と呼ばれたナディア・コマネチ。
実はコマネチ以外にもソビエトのネリー・キムも注目を浴びた一人。
また1972年のミュンヘンオリンピックではソビエトのコルブトが活躍。愛称は「ミュンヘンの恋人」。
全て体操選手ですがコマネチしか知らないという塚原直也さんw
高橋尚子さんにとっては「コマネチ=ビートたけし」みたいですがw
なかなか古いお話なのでここはサラッと流して次へ。
続いてもタカさんが選ぶ名シーン。
「こんな技見た事無かった マジャール旋回」
ハンガリーのゾルタン・マジャールは「あん馬の神様」と称された名選手。
コチラがYouTube動画。
マジャール旋回(マジャール・シュッピンデル)は縦向き旋回1回ひねりという技で現在はD難度。
石橋「今観ると普通なんですけど、当時はマジャール旋回は凄かったんですよ。」
塚原直也「僕も初めて見ました。今。笑」
ちなみに現在の男子体操の難度はIまで存在していて、それが鉄棒のミヤチ。※女子ではもう一つ上のJ難度まで存在していて後述で明らかに
日本の宮地秀享選手の名前が冠されていますね。
塚原直也「もう何が何だか分かんない。笑」
スポンサーリンク男子体操の名シーン
続いてもタカさんが選ぶ名シーン。
「日本に5連覇をもたらして月面宙返り(ムーンサルト)」
1976年モントリオールオリンピック。男子体操団体総合。
大会直前にエースの笠松選手が盲腸で離脱。さらに決勝途中で藤本選手が骨折とアクシデントが起こり危機的状況に陥った日本チーム。それでも何とかトップをキープしながら最終種目、鉄棒の演技へ。
6人が演技して上位5人の合計得点を競うルールの中で日本は1人のミスも許されない5人での演技を強いられることに。
2位のソビエトとの点差は0.10でしたが、最終演技者となった塚原光男選手が9.90の高得点をマークして団体総合5連覇を達成。
この時にまだ生まれていなかった塚原直也さんと対照的にタカさんはテレビにかじりついて観ていたそう。
ちなみに塚原直也さんのお父さんの塚原光男さんが作った技は月面宙返りとツカハラ跳びの2つ。
そして塚原直也さんはつり輪で3種類のオリジナル技を開発。
やはり自分の名前がつくと嬉しい気持ちだそうで、特にツカハラ姓で一緒になるのでツカハラナオヤとフルネームで技名になっているので余計に嬉しいとか。
石橋「俺もどっかにイシバシっていう技出したいなぁ。テレビのカメラを倒す技は“イシバシ”っていう。」
あの伝説のw 恐らく超高額のスタジオカメラを倒そうとする人はもう現れないでしょうけどw
次は塚原直也さんが選んだオリンピックの名場面。
「体操の歴史を変えた男 ビタリー・シェルボ」
ベラルーシ出身の体操選手で1992年のバルセロナオリンピックでは男子体操歴代最多となる6個の金メダル(団体総合・個人総合・種目別のつり輪・あん馬・平行棒・跳馬)を獲得するという大記録を達成。
この中で特に塚原直也さんが衝撃を受けたのが跳馬の演技。
跳馬につく前に1回ひねりを入れるという技に驚いたそう。
アトランタオリンピックでは敵として大会に参加したものの、その演技を目の当たりにして次元が違うと感じたとの事。
塚原直也「体操選手だったらみんなこの選手を挙げるじゃないかっていうぐらい。」
石橋「俺のマジャールより!?」
スポンサーリンク塚原直也のアテネ五輪秘話
続いてタカさんが選ぶ名シーン。
「塚原直也 日本初の親子金メダル」
2004年アテネオリンピック。
男子体操・団体総合で日本が28年ぶりの金メダル。
ルーマニアに逆転を許して0.063差の2位で最終種目・鉄棒へ。
そこから米田功選手・鹿島丈博選手が神懸かった演技でスコアを伸ばし、最後を〆たのはエースの冨田洋之選手。
「栄光への架け橋だ。」という名実況も相まって大会のハイライトの一つに。
これで塚原直也さんは日本初の親子金メダリストになりました。
その際の金メダルをスタジオで披露するものの、
石橋「ちょっとサビが出てる・・・笑」
ちなみにばい菌を気にして噛んだ事は無いという塚原直也さんw
石橋「ケッペキー?」
塚原直也「いや。潔癖症じゃないんですけど。」
また、塚原直也さんはアテネオリンピックで大ピンチに陥っていたそうで、それが団体決勝の床の演技。初っ端という事もあってか、本当であれば3つ連続して技をしないといけない所を2つで止めてしまう(0.3点の減点)という大ミス。
そのカバーの為に終末技を急きょ変更する(ひねりを1回加えて0.1点の加点)という苦肉の策で何とかミスを最小限に留めたそう。
演技中もずっと「どうしよう?どうしよう?」と焦りながらだったそうですがw
トップバッターでの演技だったのでそこでコケると後の選手にもミスが続いてしまうというジンクスもあって、相当なプレッシャー。
その苦労の末にとった金メダルなのに今はサビが出ているというw
石橋「なぜ大事にしない!?」
塚原直也さんの息子さんも体操を始めているそうなので親子3代の金メダルも将来的に期待できるかもしれませんね。
ここで塚原直也さんの東京オリンピックの注目ポイントについて。
女子の村上茉愛選手が日本では抜けた存在なのでメダルの可能性は大いにあるとの事。
ただ、海外ではアメリカのシモーネ・バイルズ選手が世界最高難度のJ難度の技を持っていて異次元の強さ。
塚原直也「床と跳馬はもう練習しないっていう。村上茉愛選手が個人総合2位なんですけども、人間界ではもう1位なんで。笑。この選手はもう規格外なので。」
最後にスタジオではカットされてしまったタカさんがどうしても見せたいオリンピックの瞬間2連発。
「柔道 山下泰裕 涙の金メダル」
1984年ロサンゼルスオリンピック 柔道男子無差別級決勝。
2回戦で足を負傷し、足を引きずったままで決勝の舞台へ。
序盤から強引に攻める決勝の相手のラシュワンでしたが、その一瞬のスキを捉えて抑え込みに。
続いては、
「ソフトボール 上野の413球」
2008年北京オリンピックソフトボール決勝、日本vsアメリカ戦。
エース上野由岐子選手は前日延長を含む2試合を完投しながら、アメリカとの決勝戦も先発のマウンドへ。
オリンピック3連覇中のアメリカを向こうに回して見せた魂のピッチングで5安打1失点に抑え、結果はは3対1のスコアで勝利。
遂に悲願の金メダル獲得となりました。
ここで次回予告。
「名曲を意外な歌手がカバーしていた歌謡祭」を実施して、昭和・平成の大ヒット曲50連発。
ゲストは番組内で流れた予告では紹介されませんでしたがグッチ裕三さんですね。
【「石橋貴明のたいむとんねる」に関する全記事はこちらのリンクから】