△の意味が「どちらでもない」なのはなぜ?実は正体不明?チコちゃん
24年5月10日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『「○は良い」「×は悪い」「△はどちらでもない」なのはなぜ?』の答えなど簡単にまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】陣内孝則、柳原可奈子
【VTRゲスト】柴田祐規子アナ
「○は良い」「×は悪い」「△はどちらでもない」なのはなぜ?
1問目の出題は、
なんで「○は良い」「×は悪い」「△はどちらでもない」なの?
チコちゃんの答えは、
○×は先生から親へのチクリ帳 △は作文テストの書き直せマーク
解説は椙山女学園大学の芝垣亮介教授、平成国際大学の山口謠司教授。
まず第一に「○×△」の記号とその意味についてはほぼ日本独自と言っていいシステムで世界だとほぼ通じないという事実。
【韓国】日本と同じ
【中国】 良い=チェックマーク、悪い=×、どちらでもない=チェックと×を組み合わせて4のような記号
【オーストラリア】良い=チェックマーク、悪い=×、どちらでもない=-(-は中立という意味でも使用)
【セルビア】良い=チェックマーク、悪い=×、どちらでもない=1/2
【イエメン】良い=チェックマーク、悪い=×、どちらでもない=記号なし
【マレーシア】良い=☆(五芒星のマーク)またはチェックマーク、悪い=×、どちらでもない=記号なし
【アメリカ】良い=チェックマークまたは+、悪い=×または○または○に斜め線、どちらでもない=記号なし
などなど。
世界標準と言えるのは「良い=チェックマーク」「悪い=×」という記号ルールで、どちらでもないを意味する記号に関しては世界標準と言えるものが特にこれといって無いという調査結果。
スポンサーリンク日本の「○×△」システムに話を戻すと、○×が日本に登場した元祖と言われるのが明治時代の品行簿。
明治時代になって新しい学校制度が生まれると品行簿と呼ばれる毎日家庭と学校を行き来する連絡帳のようなものが導入される事になりましたが、中身はカレンダーのようになっていて日付の横の欄に先生が○×で記入して生徒の生活態度を評価するという形をとっていたとか。
品行簿は成績表とは全くの別物で成績表が年度末に甲・乙・丙・丁・戊(こう・おつ・へい・てい・ぼ)の5段階評価などで評価していたのに対して、品行簿は学校での行いが良かった生徒は○、品行が悪かったり罰則に触れたものは×をつけて毎日家庭に持ち帰らせるというシロモノで言わば先生から親へのチクリ帳のようなものだったとか。
ただし×をガンガン付けてしまうと生徒のやる気を奪ってしまうという負の影響を考慮して×は滅多な事では付けないという暗黙のルールもあったとか。
この品行簿は全国の学校で採用されていたので日本中で○×の意味が浸透したと芝垣先生。
品行簿は○×システムについて記録として残っているものでは元祖と言われていますが、明治以前はどうだったのか?という疑問については芝垣先生、山口先生が二人とも口をそろえて「確実な証拠が無いので微妙」という答え。
スポンサーリンクという事で二人がそれぞれ考えている諸説について解説。
【道教の功過格(こうかかく)説】
道教は仏教、儒教と並ぶ中国三大宗教の一つで古代中国の民間信仰に陰陽道・呪術などが複合する形で興った宗教。
日本では室町時代に庚申信仰という形で全国区に。
庚申信仰とは人や妖怪のような姿の虫が人間の頭・腹・足にいていつもその人間の悪事を監視しているというもので、この虫が天に昇って天帝に悪事を告げると寿命が縮まってしまうという教え。
長生きしたかったら悪事をしないというコンセプトだったわけですが、その心得を記したルールブックのようなものが功過格(こうかかく)。
功=善、過=悪という意味で今でも中国の一部では使われているワードだそうですが、功過格の中身は日々の行いが点数化されていて例えば親のいい所を褒めると+3点、親の言う事を聞かないと-5点といった具合。
この点数表に従って毎日の自分の行いを採点していたわけですが、昔は点数方式ではなく○×で表していたと山口先生。
山口先生は○×で表記された功過格を資料としてかつては手元に置いていたそうですが、今は手放してしまったので確たる証拠がないという事に。
【中国の和氏(かし)の壁説】
和氏(かし)の壁とは中国の春秋戦国時代における宝物の事で綺麗な丸形のヒスイがその正体だったとか。
中国では今でも和氏の壁という言葉が残っていて、滅多に手に入らない非常に価値の高い物を指す比喩表現として使われているとか。
丸形のヒスイから連想する形で○=良いという考え方が定着したのでは?という山口説ですが、そもそも和氏の壁は一部の上流階級だけが共通認識として持っていたものなので広く一般に知れ渡った表現に繋がったのかどうかは微妙という否定的意見も。
スポンサーリンク【江戸時代の書物説】
江戸中期の書物である源氏物語湖月抄には間違った文章箇所に大きく×印をつけて、その上に訂正した書き直しの文章を載せるという表記方法が登場。
つまり×=ダメという認識が江戸時代の日本人の中に既にあったのでは?という芝垣先生の考えですが、これが発祥かと言われるとちょっと確証がないというのが弱い所。
ここまで○×については両先生から諸説を紹介してもらいましたが、実は△については正体不明でいつ生まれたのか謎というのが二人の結論。
日本では古くは北条氏の家紋が三つの三角を組み合わせたデザインだったり、能などの衣装でも三角を連ねた鱗柄があったりと、△自体は古くから使われていたという歴史があり、この鱗柄は嫉妬で鬼になった女性が着るという意味で考えると△=マイナスのイメージ。
一方で江戸時代にあの福沢諭吉も学んだ適塾では○=良い、●=悪い、○の三倍良いのが△という表記だったそうで△=プラスのイメージ。
また、本文に対する注意書きを表す記号として△を使用していたという文献もあったりと日本の歴史をたどると△は幅広い使われ方をしていた様子。
確実に分かっている資料だと明治時代に出来た学校での作文の採点基準として△が使われていたそうで、明治31年の実験作文教授術(=先生用の作文添削マニュアル)には△=さらに考えて直すべしという意味が与えられていて、良いとも悪いともいえない時に△が使われていたという記録。
という事で確実に証拠として残っているものををまとめると、どちらも明治時代の記録が最古で品行簿の○×、作文テストの再考マークの△がその意味の由来。
という事で1問目は以上。
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