浅田真央のソチ五輪伝説のフリー曲 演技直前の「真央ちゃん頑張れ!」声の正体&FS演技を本人解説
浅田真央の記憶に残るフィギュアスケートの演技は数あれど人々の記憶に刻まれたソチ五輪の伝説のフリー曲は未だに映像を見るともらい泣きしていまうという方も多いのではないでしょうか?そんな伝説のFSの演技について浅田真央本人が一つ一つの要素を本人解説。そして演技が始まる直前に客席から上がった「真央ちゃん頑張れー!」という声援の正体もテレビ初公開。
というわけで19年3月27日放送の「これ知らんかった~!新発見!村上信五の平成スポーツ命場面SP」(フジテレビ系)と19年4月4日放送の「平成スポーツあったなぁ大賞」(TBS系)の放送内容をまとめてご紹介します。
スポンサーリンクオリンピック独特の空気
悔しい銀メダルに終わった2010年のバンクーバーオリンピック。
「あっという間に終わってしまいました。」
と涙を流しながらインタビューに答えた浅田真央は彼女の悲願であるオリンピック金メダルを目指して4年後のソチオリンピックへ再出発。
その最中、バンクーバーの翌年2011年に母親の匡子さん(享年48歳)を病気で亡くすという悲劇に見舞われます。
母の死を受けて浅田真央は家族との約束通りに自分の夢に向かって進む事を公式発表。
「今まで通り練習に励む。」という力強い言葉通り、母の葬儀の翌日から練習を再開。
月日は流れて、2014年(平成26年)に開催されたソチオリンピック。
オリンピックシーズンに浅田真央が挑んだのは彼女のフィギュアスケーターとしての集大成ともいえるジャンプ・ステップ・スピンなど全ての要素を史上最高難度に引き上げたプログラムでした。
「今度こそは金メダル」という周囲の期待も背負って日本を発ち、決戦の舞台へ。
ソチ到着直後のインタビューでは、
浅田「バンクーバー(五輪)の頃と同じく、すごくワクワクしています。」
笑顔で振る舞う浅田真央でしたが、
本番のショートプログラム(SP曲ノクターン)ではまさかの事態が。
浅田真央の代名詞となっていたトリプルアクセルの転倒も含めてミスを連発してしまい、国際大会で自己最低の16位(得点55.51)という成績に終わります。
その後のショートプログラム後のインタビューでは、
浅田「そうですね。まぁ自分でも・・・終わってみて・・まだ何も・・・分からないです。」
放心状態で言葉を探すようにして答えた浅田真央。
この時のことを後に回想して、
浅田「子どもの頃からずっと夢見て、オリンピックの為に頑張って来たので。その1つの失敗で全てが終わってしまったっていう。その時はすごい落ち込みましたし。すごい悲しい思いでした。」
「ショートの順位(16位)というのがフィギュアスケート人生の中で一番低い順位だったんですね。それがしかもオリンピックで。金メダル目指してやって来たっていう中でのあの結果だったので。もうその時点で自分のメダルはもう無いなってやっぱり思ってしまうので。その悔しさとか悲しさっていうのはもうスケート人生の中で一番大きかったですね。」
“オリンピックの独特の応援”というワードを語る浅田真央は、
浅田「私はそれを感じてしまって。ショートの時にオリンピックの空気にのまれてしまったっていうのがありましたね。」
スポンサーリンク姉・浅田舞とケンカ?
この日、ショートプログラムの演技を終えたのは夜11:30頃。
失意のまま深夜の選手村に戻った浅田真央は、
浅田「私結構試合でも普通にスッと寝られるタイプなんですけど、選手村帰って、やっぱり眠れなかったですね。終わって帰ると深夜1:00とかでそっからやっぱり眠れなくて。そのままもう朝の練習に入ってしまったので。」
翌日、フリースケーティングを控えての朝の公式練習(朝8:30頃)ではほんの少しの睡眠をとっただけという状況。
精彩を欠く動きでジャンプに苦しむ浅田真央。
浅田「戻ってなかったですね。なので自分も頑張って気持ちを切り替えようとしてたんですけど、もうことごとくジャンプが決まらなくて。自分でもびっくりするぐらい決まらなくて。『このまま大丈夫かな?』って自分でも思って練習を終えました。」
公式練習を終えて選手村に引き上げた浅田真央。少し遅めの朝食を食べていた時に一本の電話が。
それは姉の浅田舞からのものでした。
浅田「ありましたね。舞からも連絡あって『大丈夫?楽しんでやりなよ。』っていう感じで。笑。あったんですけど、私そん時に『楽しんでやれるわけないじゃん!!』ってちょっとケンカしたんですよね。笑」
浅田「でもそれを逆に舞にぶつけられた事がちょっと私の中で吹っ切れたじゃないですけど、強い自分にまた戻れたかなっていう感じもありましたね。」
そして会場入りでは、
浅田「もうやるしかないんだ。と思えた事が一番大きかったのかなって思います。」
「真央ちゃん頑張れ!」の正体
そんな中迎えたフリースケーティング本番。もう金メダルの可能性は無いという中の演技。
浅田真央のFS曲は「ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番」
失意の中でどんな演技を?ともはや競技とは別の所に観客の興味は集中。
演技前には、
浅田「もうオリンピックじゃないと思おうと思って。いつもの練習のスポットに入ればここまで練習して来たから、失敗しても何しても後悔しないように思い切って行こうと思いました。」
スタート位置についてポーズを取るタイミングでそれは起きました。
「真央ちゃん頑張れー!」
観客席から飛んだひと際大きな声援。
この時の事をはっきり覚えているという浅田真央は後に、
浅田「一人の男性の方が『真央ちゃん頑張れ!』って言ってくれたんですね。誰かが私の名前を叫んだって。(リンクの中央に)立つ瞬間ってすごい緊張する。私だけじゃなくて応援してくださってる方みんな緊張してると思うんですけど。あの場面であの大きな声で、相当な勇気がいったと思うんですね。」
あの声援については一部のファンからは「真央ちゃん頑張れー!の正体は羽生結弦では?」と言われる事もありますが、実はこれは間違いで、
浅田「じゃないんですよ。残念ながら違うんですけど。笑。」
「遠藤さんって方です。」
実は遠藤さんは2011年から浅田真央を支えるスポンサー企業「ARSOA (アルソア)」の広報さん。
それ以来、公私に渡って浅田真央をサポートしソチオリンピックの会場にも足を運んでリンクに近い位置から浅田真央の演技を見守っていたんですね。
遠藤隆さん「通常であればあのタイミングで声を出してしまうと、集中が途切れちゃうかなと思ったんですが、少しでも声援が勇気に変わればいいなっていう、ただその必死な思いというか。どうにか声を届けて、少しでも力になれたらなっていうので。」
「最初のジャンプが成功した時には立ち上がってガッツポーズですよね。笑」
スポンサーリンク本来であれば演技スタート前は静かにしているのが基本的なマナーなのは踏まえつつも、この辺は選手がどう感じたかもポイントですが、
浅田「でも私もあの声を聞いた時に『あっ自分一人で戦っているんじゃないんだ。みんなで戦ってるんだ。』って思いました。」「一人じゃないんだなって思えたので、ここでヨシ!って思えましたね。」
浅田「1つ1つのジャンプをこの人(仲間たち)の為に跳ぼうって急に思っちゃって。笑。このジャンプは姉のため。このジャンプは母のためにって思っていったら、気が付いたらもう最後のステップになっていたっていう感じ。初めてですね。そう思ったのは。だからこそ今はもう何があっても全然怖いものは無いなぁという感じに今はなりました。」
お姉さんを思って跳んだジャンプとはどれ?という質問には、
浅田「あのトリプルアクセルの次の3回転+3回転(トリプルフリップ+トリプルループ)の(コンビネーション)ジャンプですね。」
スタッフ「お母様は?」
浅田「母はちょっと忘れちゃったんですけど。笑」
急に天然発動の浅田真央ww
伝説のフリー 本人解説
荘厳なラフマニノフの音楽に乗って8つのトリプルジャンプを全て跳んで後に“伝説のフリー”と形容される事になる浅田真央の最高傑作。
コチラが視聴動画。
またはコチラの動画。
リンクに飛び出していく所から本人解説。
観客席では髙橋大輔や羽生結弦がリンクに視線を送ります。
浅田「男子は試合が終わっていたのでみんな応援に来てくれて。」「ここから1分(60秒)、今30秒ですかね。今は30秒以内にポジションに立たなきゃいけない。」
※スタートポジションまでの時間は、60秒以内にポジションに立たないと棄権とみなし、現在では30秒以内に立たないとマイナス1点の減点。ただしグループ第一滑走者は60秒までというルール。
1分という時間については、
浅田「意外とあっという間ですね。やりたい事もあるし、会場に入るとその雰囲気に早めに馴染みたいというのがあるので。もっとあってもいいかなっていっつも思ってた。笑」
演技スタートから30秒以内に最初のジャンプの①トリプルアクセル。※○数字は全部で8つ跳んだ3回転を表しています。
浅田「とにかくもう、もちろん恐怖とかもあったんですけど、とりあえずもう前行こうって思って。」
トリプルアクセルをしっかり降りると、
浅田「(ジャンプを成功して)ホッとしましたね。このジャンプがもう一番の決めになってたので、これ跳べた時は『もういける!』って思いました。」
姉の舞の事を思って跳んだという②トリプルフリップ+③トリプルループは、
浅田「このジャンプも結構難易度の高いジャンプだったんですけど、それも決まったので『あ~もうこれいけるな!』って思って。」
スポンサーリンク続く4つ目の3回転となる④トリプルルッツも浅田真央は不安を感じていたようですが、
浅田「冷静でしたね。」
オリンピックの意識はこの時点で既に全く無かったとの事。
浅田「エレメンツが次々詰まっているので、そういう事考えてたらそんなにオリンピックっていう感じはしなかったですね。」
そして静止ポーズ後に演技後半に移って行きますが、
浅田「ここはちょっと休憩ポイント。笑。」「ここも落ち着いて特に何も考える事無くいけたのはやっぱり良かったんじゃないかなって思いますね。」
そして後半始めのジャンプ、ダブルアクセル+⑤トリプルトゥループへ。
浅田「それこそホントに何にも。『無』になれたっていいますが、ホントに良いスポットに入れたので。」
浅田真央の言う“スポット”とは一般的にアスリートたちが体験するゾーンやフローと呼ばれる高い集中状態の事のようですね。
続いて6つ目の3回転となる⑥トリプルサルコウ。
そして3連続のコンビネーションジャンプ。⑦トリプルフリップ+ダブルループ+ダブルループ
浅田「体力も大丈夫だったんですよね。いい(力の)抜き方が出来てたかなと。」
そして最後の⑧トリプルループで8つの3回転ジャンプを完遂。
最後のジャンプ直後の手の振り付けについて、
浅田「いつもより力入っちゃいましたね。笑。かぁ~!って。笑」
ビールマンスピンを回っている頃には、
浅田「この後はもう最後、ステップだけなので。私も気づいたら『あとステップだけだ!?』って思いましたね。めちゃくちゃ(演技時間は)短く感じました。」
観客の手拍子に合わせてステップをこなす際には、
浅田「気持ちイイ!って思いました。」「なんか上手くいってない時はフリーの後半でもすごいツラい時もあるので、この時は全てが上手くまわってたなっていうのはありますね。」
そしてフィナーレへ。
最後のポージングで音ハメが完璧に決まった事については。
浅田「カッ!っていきましたね。笑」
滑り終わった直後には様々な感情が湧き上がるのを必死に堪えながら目に涙を溜める浅田真央。
この時の心境は、
浅田「もうあの~ホッとして。とりあえず。終わった!でも悔しい!色んな思いですね。一つの思いだけではなくて。まぁでも泣いてたらダメだなって思って。途中からは、ありがとうございました。って感じで皆さんに挨拶しました。」
リンク中央に移動して観客へ挨拶をする時にはパッと晴れやかな笑顔に。
その姿を見つめるリンク脇の佐藤信夫コーチ。
リンクを降りる頃には、練習でやって来ていたことは間違いではなかったと感じていたそう。
キスアンドクライで得点発表を待つ際には、
浅田「もう~終わった!ってそれだけですね。とりあえず終わったっていう事だけですかね。」
得点に関しても全く意に介していなかったとの事ですが、
得点は142.71を叩き出してオリンピックの大舞台で自己最高点を更新。
浅田「あんまり私得点の事覚えてなくて。この得点が自己ベストっていうのも私全然知らなくて。笑。あんまり数字得意じゃないので。笑」
実は自己ベスト更新ということに気付いていなかったという浅田真央。
この伝説のフリー演技について今では、
浅田「私自身もやはりメダルを目指してたので、それが獲れなかった悔しさだったり、情けなさだったり、そういったものはスゴいあったんですけども、やはり終わってみて沢山の方から、スゴい良かったよ。って言ってくださったのが、メダル獲れなくても演技として残せた事は良かったのかなとその時に思う事が出来ました。」