今でしょ講座 筒美京平の名曲ランキングベスト20&No.1ベストソングはあのヒット曲?
20年12月29日放送のテレ朝系「林修の今でしょ講座 2時間SP」では作曲家・筒美京平の名曲ランキングベスト20を発表。歌謡曲マニアの爆笑問題・田中裕二が選ぶ名曲集はどんなラインナップに?そして第1位に輝くのはあのスケールの大きい曲に?
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第20位
第20位 夏色のナンシー 早見優 1983年 作詞:三浦徳子 編曲:茂木田多加
筒美京平が42歳の時の曲。
1980年代に海外旅行に行く日本人が急増し、ハワイが一大観光地に。
そこでハワイをイメージさせる曲という事で作られたのがコチラのアイドルソングの名曲。
アイドルソングにいち早くシンセサイザーの音を入れ込むというエポックメイキングも。
シンセを使ったピコピコとしたイントロが印象的ですが、実は曲全体に散りばめられていて軽快なリズムを作り出していますよね。
早見優にとっては今となっては代表曲となっていますが、実はデビュー曲では無く、
5枚目のシングルで初のオリコントップ10入りを記録した曲。
デビュー当時から筒美京平へ作曲を依頼し続けてやっと5曲目にして実現したという裏話も。
そしてそれをキッチリとヒット曲に仕立てる筒美京平の凄み。
第19位
第19位 わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ 1973年 作詞:千家和也 編曲:筒美京平
筒美京平が33歳の時の曲。
歌詞と歌詞の間を音で埋め尽くす飽きさせないメロディーは必聴ポイント。
新人歌手だった麻丘めぐみがのびのびと歌えるようにという憎い工夫は聴いていても心地よいリズム。
「小さく投げキッス」「いつでもいつでも彼は」あの後に入るサウンドや「意地悪」「悪」の部分に入る強調フレーズなどがそれ。
左利きのイメージがアップするきっかけにもなったこの名曲。
麻丘めぐみ「アルバムを作ってる中で出来てた曲なんですね。ただ一つ引っかかったのは・・・とってもキーが高くてですね。それで先生に、ちょっとキー下げてもらったらダメですか?って言ったら、絶対ダメ!絶対出るから!このままのキーでやろう!って。それは何でかって言うと、君の中音から高音にいく声がとっても魅力的で哀愁があって泣き声だ。って。」
ちょっと苦しそうにピッチが届かない所が逆に魅力的という筒美京平の感性。
「人間的には優しい方なんですけど、音楽の事になると妥協しないっていう。自分の音楽性とか相手の声の良さ悪さも把握した上で曲がどんどん作られてくるんですね。」
第18位
第18位 E気持 沖田浩之 1981年 作詞:阿木燿子 編曲:船山基紀
筒美京平が40歳の時の曲。
たのきんトリオが一世を風靡して他の男性アイドルの影が薄くなる中、
竹の子族から人気が出てきた沖田浩之。
そんな素人から一気に人気に火が付いた彼のデビューにぶつけていたのが、
それまでのちょっと不良なイメージを覆して、ポップな曲で大ヒットしたこのナンバー。
ファンの盛り上がりまで計算されたイントロに注目。
チアリーディングのかけ声から始まる事で曲の高揚感を高め、コール&レスポンスがバッチリハマるという仕掛け。
スポンサーリンク第17位
第17位 Romanticが止まらない C-C-B 1985年 作詞:松本隆 編曲:船山基紀・C-C-B
筒美京平が44歳の時の曲。
ドラムをいきなりボーカルに抜擢するという筒美京平の仕掛け。
声フェチの筒美京平が電子音に負けないようにとドラマーの高い声をあてがったその高い感性。
筒美京平の凄さは1回目聴いた時から、良い曲!とすぐに反応できるという点。何度も聴いていくうちに気付く良さもありますが、そのファーストインプレッションの強さが特徴的。
中山美穂主演のドラマシリーズ『毎度おさわがせします』の主題歌はC-C-Bが起用されて、そこで流れたテクノサウンドで一気に虜になってしまうという。
第16位
第16位 よろしく哀愁 郷ひろみ 1974年 作詞:安井かずみ 編曲:森岡賢一郎
筒美京平が34歳の時の曲。
この時代のアイドルシーンは新御三家と呼ばれた郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎が代表格ですが、
本来ライバルであるはずの3人ともが筒美京平曲を歌うという事態に。
そんな曲たちの中、郷ひろみが少年から青年にイメージを変化させるきっかけとなったのがこの曲。
無駄な音が一つもない完璧なメロディーは冒頭からサビまでずっと飽きさせない工夫。
そのおかげで10曲目にして念願のオリコンチャート1位を獲得。
シンプルなメロディーを聴いているだけで哀愁が漂って来るというパーフェクトさ。
第15位
第15位 ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ 1968年 作詞:橋本淳 編曲:筒美京平
筒美京平が28歳の時の曲。
1960年代は日本ではアメリカの文化への憧れが高まっていた時代。
そんな時代に日本におけるアメリカ文化の中心地は横浜だったわけですが、そんな横浜を舞台にしたこの名曲。
実は筒美京平は一晩で書き上げたなんて逸話も残っていて、
作詞家からレコーディング前日にワンコーラス分の歌詞をもらって、それをもとにして曲を完成させたとか。
第14位
第14位 卒業 斉藤由貴 1985年 作詞:松本隆 編曲:武部聡志
筒美京平が44歳の時の曲。
インパクトのあるイントロがとにかくキャッチー。
作詞松本隆とのゴールデンコンビによるこの曲は「斉藤由貴の事を全て分かった上で作られた曲」かのように演出された名曲。
ちょっと大人しいイメージでぶりっ子とは対極にある斉藤由貴にピッタリ。
斉藤由貴「最初は『ああ 卒業式で』の、ああ無しで『卒業式』だけだったんですけど、そうするとサビへの導入あまり上手くいかなかったんですね。そしたら筒美さんがそれをじっと聴いてらして、ああって入れてみたら?って言われてその通りやったんです。」
「アレが入っただけでサビの広がりが変わったので、あっこんな風に歌って臨機応変にその場その場で変えていいんだ!?って。」
この日のスタジオゲストである武部聡志は編曲を担当していますが当時の印象を聞いてみると、
斉藤由貴「スタジオでいつも黄色い、あれは三菱鉛筆なのかしら?鉛筆をガジガジかじって。武部さんがスタジオでお仕事をした後は鉛筆の消しゴムが全て食べかすと化した、死屍累々です。笑。」
斉藤由貴さんらしい脱線話w
実は編曲家として筒美京平が作ったデモテープをもらった瞬間にイントロも含めた曲が全て完成していたなんていうお話も。
一般的に作曲家は歌のメロディーを主に担当し、編曲家がそれに合わせてイントロを付けたり、曲のアレンジや間奏で肉付けしていくものですが、この卒業に関しては作曲の筒美京平が全部作ってしまっていたとの事。
編曲家としてキャリアもあった筒美京平ならではといったお話ですね。
完成し切っていたデモテープを受け取った武部聡志としては「どこをどう変えればいいのか・・・?」とそのアレンジには逆に苦労したとか。
苦心しながら生み出したのがイントロを「卒業」に引っかけて学校のチャイムっぽい音色にして、さらに鳥のさえずりを混ぜる事で「卒業式に臨む朝の描写」をイメージして演出したと武部聡志。
この曲で筒美京平との仕事を経験した武部聡志はその後は、筒美京平から「文学系アイドル」の曲の依頼を多く受けるようになったとの事。
スポンサーリンク第13位
第13位 ロマンス 岩崎宏美 1975年 作詞:阿久悠 編曲:筒美京平
筒美京平が35歳の時の曲。
空前のディスコブームに沸いたこの時代。
流行のディスコサウンドをアイドルソングに入れ込んだのがこの曲。
岩崎宏美にとっては2枚目の曲にして初のオリコン週間ランキング1位獲得。
実は「席を立たないで」の「立たないで」の部分で音を上げるという歌い方は筒美京平が指定したものではなく、レコーディングで岩崎宏美がアドリブでそう歌い、それをそのまま筒美京平がOKを出したのでは?という指摘。
岩崎宏美「レコーディングの時に言われた言葉がすごく覚えていて『君はこれから歌手になったら色んな人から君の高音を褒められると思うけど、実際はリズムが甘い所があるので、もっとリズム感のある曲を聴いて勉強なさい。』って言われました。」
そしてあの「立たないで」のフレーズについては、
「最後のフレーズで『立たないで』ってフレーズがあるんですけど、ホントはあそこのフレーズは筒美先生は違うメロディーをお書きになってたんですね。で私は当時全く譜面が読めなかったので全部耳で覚えて歌ってたんですよ。確かこんな感じかなぁ?と思ったフレーズがそのフレーズだったんです。でも先生は自分がお作りになったフレーズとは違ったけれども、あっそれでもいいですよ。とOKが出た。それが採用された。」
第12位
第12位 センチメンタル・ジャーニー 松本伊代 1981年 作詞:湯川れい子 編曲:鷺巣詩郎
筒美京平が41歳の時の曲。
1980年代はアイドル豊作の時代。
花の82年組には松本伊代、中森明菜、早見優、堀ちえみらが名を連ねますが
そんな中にあって独特の低い声を生かしてデビュー曲で日本レコード大賞新人賞を獲得したのがこの曲。
声の低さと音域の狭さ、ちょっと鼻にかかった独特の歌声を逆に利用した絶妙なメロディーがポイント。
イントロではかなり低い音から歌い出すというのはアイドルソングでも異例。
決して抜群の歌唱力があるタイプでも無く、アイドルとしてガツガツしているタイプでもない、ちょっと気の抜けたイメージもあった松本伊代にバッチリ合わせて来る筒美京平の凄さ。
松本伊代「最初に湯川れい子先生に詩をもらって『伊代はまだ』って歌詞を見て、えっ!?恥ずかしい!私のこと伊代って呼んだことなくて。でも京平先生のメロディーに乗せて歌うと抵抗が無くなって。なんて凄いんだろう!?って思いました。」
第11位
第11位 スニーカーぶる~す 近藤真彦 1980年 作詞:松本隆 編曲:馬飼野康二
筒美京平が40歳の時の曲。
マッチのデビューを日本中が心待ちにしていたこの時、まず新曲が流れるのはラジオからという時代にラジオから聞こえてきたのがこの曲。
トシちゃんが郷ひろみラインのちょっと乙女チックな王子様系、それに対してマッチはちょっと泥臭くてヤンチャ。
そんなマッチのイメージを完璧に定着させたのがこのデビュー曲。
第10位
第10位 なんてったってアイドル 小泉今日子 1985年 作詞:秋元康 編曲:鷺巣詩郎
筒美京平が45歳の時の曲。
歌詞からのインスパイアで曲作りが進む筒美京平の真骨頂。
そして作詞の秋元康は同年に作詞したおニャン子クラブ『セーラー服を脱がさないで』が大ヒット。
なんてったってアイドルに関しては詩先で、この詩先を得意としていたのが筒美京平。
本人も「詩先で書かせたら僕より上手く書ける人はいない。」と断言していたほど。
キョンキョンの他の曲『夜明けのMEW』は筒美京平&秋元康のコンビに武部聡志が編曲で関わっている曲ですが、
MEWという猫の鳴き声から、猫が爪を引っかくような音を入れてくれないか?という筒美京平からのリクエストがあったとか。
スポンサーリンク第9位
第9位 仮面舞踏会 少年隊 1985年 作詞:ちあき哲也 編曲:船山基紀
筒美京平が45歳の時の曲。
歌と歌を重ねるグループで歌う事を緻密に計算され尽くした一曲は少年隊のデビュー曲にしてオリコン初登場1位を獲得。
Bメロもサビも絶対に一人では歌えないメロディーが連続していて、どんどん重なっていくクロスは3人で歌う事が前提。
このクロスによって曲にスピード感も与える効果があったり。
メインの1人が主メロを歌って、残りの2人がコーラスに回ったり、他のパターンも組み合わせて豊かな表現力を生むという仕掛けも。
ジャニーズの最高傑作と呼び声の高い少年隊にして最高峰の曲。
東山紀之「いっそ X・T・Cの部分あるじゃないですか?あそこ元々無かったんですよ。ジャニーさんが、ここは大サビを作ってくれ!って言って。筒美先生も、これ以上に付けるの!?みたいな。」
「表現する上でああいうポイントがあるのはやりやすい部分でもあったんで、今となってはやっぱり正解だなって思う。」
第8位
第8位 人魚 NOKKO 1994年 作詞:NOKKO 編曲:鄭東和・清水信之
筒美京平が53歳の時の曲。
色んなアーティストがカバーしたくなる美しいメロディーを持った名曲。
シンガーソングライターが活躍した時代にあってもコラボの依頼が絶えなかった筒美京平。
筒美京平だったら自分にどんな曲を作ってくれるんだろう?そんな夢を抱かせる作曲家だったんですね。
第7位
第7位 17才 南沙織 1971年 作詞:有馬三恵子 編曲:筒美京平
筒美京平が31歳の時の曲。
ある洋楽にインスパイアされて作ったという当時最先端を走ったコチラの曲は南沙織のデビューシングルにして日本レコード大賞新人賞を受賞。
そのある洋楽とは南沙織自身が「この曲しか歌った事が無いです。」と筒美京平に事前に告げた曲だそうで、
リン・アンダーソン – ローズ・ガーデン
聴き比べるとメロディーは違っても、曲から受けるイメージはそっくり。
洋楽からイメージを膨らませて日本語の新たな曲に作り変えるという筒美京平のプロの技。
スポンサーリンク第6位
第6位 魅せられて ジュディ・オング 1979年 作詞:阿木燿子 編曲:筒美京平
筒美京平が38歳の時の曲。
海外気分を味わわせてくれるスケールが壮大な名曲は初登場から9週連続オリコン1位を獲得して、この年のレコード大賞では大賞と作曲賞を受賞。
爆笑問題・田中裕二が度々ラジオなどで語っている「奇跡の79年」。
この年は日本の音楽シーンを彩る各アーティストの代表曲が勢ぞろいしてしまった異例の年。
1979年リリース曲の例を挙げると、
- YOUNG MAN (Y.M.C.A) 西城秀樹
- いとしのエリー サザンオールスターズ
- 銀河鉄道999 ゴダイゴ
- ガンダーラ ゴダイゴ
- 関白宣言 さだまさし
- おもいで酒 小林幸子
- 北国の春 千昌夫
- チャンピオン アリス
- いい日旅立ち 山口百恵
- 季節の中で 松山千春
- カサブランカ・ダンディ 沢田研二
- みずいろの雨 八神純子
などなど。
シンガーソングライターによる私小説的な色合いが強い曲も多くリリースされた年でしたが、
そんな中にあって『魅せられて』はプロによる「夢を見させてくれる曲」だったと武部聡志。
特にサビの「Aegean (エイジアン)=エーゲ海」は決して「Asian (アジアン)」では無く、その部分の歌い方の指導が筒美京平からあったようで、
ジュディ・オング「Aegeanが裏声だと風のイメージだし、地声だと太陽。今回は風だから裏声で行こうって。」
「どこで(地声から)切り替えて裏声になるか、私の声を聴きながら指導してくださってたと思います。」
第5位
第5位 AMBITIOUS JAPAN TOKIO 2003年 作詞:なかにし礼 編曲:船山基紀
筒美京平が63歳の時の曲。
筒美京平にとって生涯最後にオリコン1位を獲得した曲。
そして、この曲をもって日本歌謡界史上唯一、
60年、70年、80年、90年、2000年代と5つの年代においてオリコン1位を獲得した筒美京平。
東海道新幹線品川駅開業のキャンペーンソングで、今でも新幹線の車内チャイムとして使用されていますよね。
第4位
第4位 抱きしめてTONIGHT 田原俊彦 1988年 作詞:森浩美 編曲:船山基紀
筒美京平が47歳の時の曲。
スーパーアイドルとして活躍した田原俊彦が少し低迷期にさしかかった所、
この曲と主題歌になったドラマ『教師びんびん物語』でまたトップに返り咲くわけですが、
やはりそうなった時の勝負曲は筒美京平に依頼が回って来るわけですね。
そして当然のようにヒットするという稀代のヒットメーカー。
スポンサーリンク第3位
第3位 木綿のハンカチーフ 太田裕美 1975年 作詞:松本隆 編曲:筒美京平・萩田光雄
筒美京平が35歳の時の曲。
詩と曲がベストマッチした名曲中の名曲。
純粋な田舎の少女と田舎から都会に出た少年が徐々に都会に染まり、2人の間にズレが生じるというドラマが描かれる曲ですが、
タイトルの『木綿のハンカチーフ』の意味は最後の最後になるまで明かされず、タイトルの理由が分かった瞬間に曲のエンディングへ向かっていくというそういう神懸った歌詞があった上で、
そんな物語を奏でるのは切なくも、微笑ましいイメージを持ったメロディー。
決して悲しさだけが残るような曲になっていないのはメロディーのおかげ。聴き終わるとむしろちょっと明るい気持ちにもなるというそんな名曲。
ところが、この曲の依頼をもらった筒美京平は「詩が長くて曲をつけられない!」と当初は弱気な事を言っていたそう。
歌謡曲としては異例の歌詞が4番まであるのが特徴ですが、
断りの連絡を松本隆に対して入れようとした筒美京平はなかなか連絡が繋がらず、しょうがないので根性で一晩で書き上げたというエピソード。
結果的に筒美京平&松本隆のゴールデンコンビによる初のヒット作に。
第2位
第2位 さらば恋人 堺正章 1971年 作詞:北山修 編曲:筒美京平
筒美京平が30歳の時の曲。
ビートルズ来日の影響で巻き起こったグループサウンズの爆発的流行は1970年には下火を迎えますが、
1971年にザ・スパイダースからソロデビューを飾ったのが堺正章。
この曲は実はある国民的ソングと同じ手法が使われているとか。
というもあの天下の筒美京平をして「絶対に敵わない曲。僕がどんなに逆立ちしても書けない曲。」と言わしめたのが『上を向いて歩こう』だったとか。
『上を向いて歩こう』は作曲:中村八大ですが、作曲の中村八大には最大限のリスペクトをしていたという筒美京平。
これを踏まえると『さらば恋人』は筒美京平による『上を向いて歩こう』なのでは?と武部聡志の指摘。
この2曲に共通するのはどこか懐かしさや郷愁を感じさせるという点。
それを実現する為に使われた手法というのが、ペンタトニックという音階。
ペンタトニックとは「5音」の事を指しますが、ドレミファソラシドの音階からファとシの音を抜いたドレミソラ(ド)がペンタトニックの例。
『上を向いて歩こう』も『さらば恋人』もファとシの音を抜いて構成された曲なんですね。
これは日本人が好む音階で、演歌などでも使われる手法なんだとか。他にも世界の民謡にも使われていたりしてどこか牧歌的なイメージも。
結果、この年のレコード大賞大衆賞を受賞。
第1位
第1位 また逢う日まで 尾崎紀世彦 1971年 作詞:阿久悠 編曲:筒美京平
筒美京平が30歳の時の曲。
圧倒的な尾崎紀世彦の歌唱力に負けない壮大なスケールを持ったこの神曲。
イントロがかかった瞬間にもうやられてしまうわけですが、男女の暗い別れとはまた違った新鮮なサウンドが特徴的。
日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞していて奇しくも第2位にランクインした『さらば恋人』と同じ年に生まれたこの大ヒット曲。
この1971年の日本レコード大賞はまさに筒美京平の年。
- 大賞 また逢う日まで 尾崎紀世彦
- 大衆賞 さらば恋人 堺正章
- 新人賞 17歳 南沙織
- 歌唱賞 さいはて慕情 渚ゆう子
- 作曲賞 雨がやんだら 朝丘雪路
- 作曲賞 真夏の出来事 平山三紀
と全て筒美京平作品。
そして実はこの『また逢う日まで』は元々はCMソングで3度目の正直で遂にヒットした曲。
1回目に作られた時はエアコンのCMソングでしたが、その時はスポンサーの意向でお蔵入りとなり日の目を見る事は無く、
2回目はグループサウンズのズー・ニー・ヴーの『ひとりの悲しみ』という曲として1970年2月にリリース。
2曲を比較したYouTube動画。
ところが『ひとりの悲しみ』は残念ながらヒットせず。
その後、筒美京平の楽曲を管理しているスタッフが「あまりに曲がイイからもったいない!だからこれにもっと素晴らしい詩をのせてもっと力強いボーカリストに歌ってもらえば絶対ヒットするハズだから。」と作詞家の阿久悠に書き直しを依頼。
そのリクエストに当初は難色を示した阿久悠でしたが、粘り強い交渉の成果もあって完成したのが『また逢う日まで』だったとの事。
というわけで筒美京平のNo.1ベストソングは『また逢う日まで』という結果に。
実はトップ3のラインナップは、
筒美京平自身が「自分が思うよく出来たと思う3曲」に挙げていた曲と偶然一致していたという裏話もあったりして。
以上、「林修の今でしょ講座 2時間SP」から爆笑問題・田中裕二が選ぶ筒美京平の名曲ランキングベスト20についてでした。