せいろそばはなぜ上げ底?何の意味がある?チコちゃんに叱られる
21年4月30日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!トットちゃんがやってきたスペシャル」で紹介されたのは『そばのせいろはなぜ上げ底?』という食べ物に関する疑問。上げ底にするという事はつまり“量を多く見せるため”なわけですが、そうなった理由にはある人物が関係しているようでそれは一体誰なんでしょうか?
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】黒柳徹子、ディーン・フジオカ
【VTRゲスト】目黒祐樹、池田鉄洋、小田切千(ナレーション)
そばのせいろはなぜ上げ底?
2問目の指名は、
この中で一番、おそばをすする姿が粋な大人ってだーれ?
ここはディーンさんが回答者に。
せいろを話題に出すチコちゃんはせいろ蒸しでは普通に使われるのに、せいろそばになると上げ底になるという点に着目して、
チコちゃんの疑問は、
なんでそばのせいろは上げ底なの?
水を切る為、食べやすいから、量が多く見えるからという答えが出ていますが、
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
というわけでチコちゃんの答えは、
将軍・徳川家斉がぜいたく三昧だったから
解説は江戸料理文化研究家の車浮代さん。
せいろそばが上げ底になった由来を遡ると江戸時代に行きつくそうですが、そんなそばが日本に伝わったのは飛鳥時代(※諸説あり)で、そこから食べ方が進化して行ってそれに伴って器も変化して来たという歴史があるそう。
中国から伝来したとされるそばは元々はそば粉を熱湯でこねたそばがきを器に盛り、つゆにつけて食べるスタイルが源流。
その後に戦国時代になるとそば切りといって現在で見られるような細長い形に変化。
今はそばを茹でるのが一般的ですが、当初は蒸して食べるのが主流だったとか。
その時にそばをせいろに盛って蒸しており、それをそのまま器として出すお店が登場した事からせいろそばが誕生。
後にそばを茹でて食べるようになるとお皿に盛ったり、水気を切るためにザルに盛ったりしていましたが、引き続きせいろがそばの良きパートナーとして使われ続けて今に至るそう。
そもそもそばを蒸すのに使われていたせいろは蒸し料理などにも使われる底が上がっていないものだったそうですが、底が上がるようになったのが徳川家斉の時代。
1787年に13歳で将軍になった家斉はその若さもあって実質的に政治を取り仕切ったのは老中・松平定信。
そんな松平定信が着手したのは寛政の改革でその大綱は、
- 厳しい倹約令
- 諸経費の削減
- 大奥の費用を3分の1に切り詰め
とそれまでの田沼意次が敷いたわいろ政治を改める為に質素倹約に努めるというポリシー。
庶民に対しては様々な物の値段が下げられて行きますが、
ここで始まるのがNHKたぶんこうだったんじゃないか時代劇「十一代目暴れん坊将軍家斉 いえなりのいいなりでいいナリ!?」
スポンサーリンク時は寛政。
町人たちに混ざってそばをすすっている少年役を演じるのは目黒祐樹さん。少年というにはあまりにもベテランすぎますが世を忍ぶ仮の姿の将軍・家斉。当時17歳。
家斉(目黒祐樹)「やっと声変わりしました。」
お店に貼られた値下げの案内に目をやると、悩まし気なそば店店主役の池田鉄洋さんは寛政の改革の一環でそばの値下げのお達しがお上からあったとその事情を説明。
寛政の改革ではそばの値段は16文から14文に値下げされ、その際にそば屋は苦肉の策として1人前のそばの量を減らして対応。
その後、松平定信を老中から追放した家斉はそれまでのうっ憤を晴らすかのように江戸城でぜいたく三昧。この頃のそばの値段は再度16文に上げられて以前の状態に。
豪華絢爛な大奥が再興され、この世の春を謳歌する家斉は生涯で側室を40人以上持ち、子どもの数は55人に。
この数は歴代将軍の中でも断トツの数字。
これらの豪勢な生活や子どもたちの養育費などの支出は幕府の財政を圧迫し続け、老中・水野忠成は財政立て直しの為に貨幣を大量発行するという施策に。
すると市場には貨幣が溢れて急激なインフレが進行。
つまりこれは、お金の価値が下がって物の値段が相対的に上がるという事。
そこに飢饉が追い打ちをかけ、生活苦による百姓一揆や打ちこわしが激発するという事態に。1837年の大塩平八郎の乱がちょうどこの頃。
この緊急事態に63歳となっていた家斉は値下げを発令。
その結果、16文に戻っていたそばの値段は15文に下げられる事に。
物価が上がっているのにそばの値段が下げられるという無茶な命令に対して、そば屋たちは猛反発し幕府に対して値上げ要請を行いますが、幕府は聞く耳を持たず、致し方ないのでそばの1人前の量を減らして対応。
そこで少しでも見栄えをよくするために考え出されたのがそばのせいろをひっくり返して上げ底にするという方法。
ちなみにこのせいろの上げ底に関してはあくまで伝聞として伝わっているだけなので確実な資料は残っていないそうですが。
また、家斉が世を忍ぶ仮の姿で江戸の町に出没していたのはあり得ないという事でコチラが結論、
そばのせいろが上げ底なのは将軍・徳川家斉がぜいたく三昧だったから
でした。
食べ物の世界で時代が変わったと思う事は?という質問には「タピオカミルクティーを並ばずに買えた。」とチコちゃん。コロナが直撃していますしね。
最後に塚原愛アナから補足。
二八そばという言葉は「つなぎが2割、そば粉が8割」という意味ですが、車先生によると江戸時代はそばの値段が16文で2×8=16だったので二八そばと通称されていたからというのが大元の意味なんだとか。※諸説あり
そんな事もあって、そばが14文に値下げされた際には2×7=14で二七そばと書き換えたお店もあったとの事。
ディーンさんの答えはめちゃくちゃ惜しかったという事で2問目は終了。
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