静岡がサッカー王国なのはなぜ?きっかけは錦織校長先生 チコちゃん
23年11月10日「チコちゃんに叱られる」の問題『静岡県はなぜサッカー王国?』の答えを簡単にまとめてご紹介。
ゲスト出演者
【ゲスト】内田篤人、ファーストサマーウイカ
【VTRゲスト】AMEMIYA
静岡県はなぜサッカー王国?
1問目の出題は、
なんで静岡県はサッカー王国なの?
チコちゃんの答えは、
錦織校長が全校生徒にサッカーをやらせたから
解説はサッカージャーナリストの後藤健生さん。
過去7回出場しているサッカーW杯の日本代表選手の出身地を調べてみると、
- 1位 静岡県 17人
- 2位 神奈川県 14人
- 3位 大阪府 9人
- 4位 兵庫県 6人
- 5位 東京都 5人
さらに都道府県別のサッカーファン率のランキングを見てみると、
- 1位 静岡県 32.9%
- 2位 山梨県 32.0%
- 3位 佐賀県 31.9%
- 4位 大分県 30.8%
- 5位 長崎県 30.1%
というデータも。
そんな静岡にサッカーが伝わったのは大正時代の中頃と言われていて、
1919年に第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵が静岡市内の赤十字施設に収容されており、そこでサッカーをしていた事が始まりだったとか。
その光景をたまたま見かけた小花不二夫という人物が静岡師範学校(現在の静岡大学教育学部)でサッカー部を創設する事に。
ただこれは全国に先駆けてというわけでは決してなく、その頃は既に全国各地にサッカー部が出来ていた時代だったのでむしろ遅いぐらいだったとか。
当時の日本のメジャースポーツと言えば野球が圧倒的人気で、1915年には夏の甲子園の前身となる大会がスタートし、1920年には日本初のプロ野球球団も誕生という時代。
彼は日本で最初に本格的なルールでサッカーに取り組んだといわれている東京高等師範学校出身で、1924年に静岡県藤枝市に新設された志太中学校の初代校長に赴任。
この志太中学校は現在では藤枝東高校と名前を変えてサッカー強豪校として全国的な知名度を誇っているわけですが、
初代校長の錦織校長は圧倒的人気の野球ではなくあえてサッカーを推す決断。
「サッカーは他のスポーツに比べて運動量が豊富でボール一つあれば多くの生徒が参加できる」という考えからサッカーを校技として全校生徒にサッカーをさせるという方針を立てることに。
これによって錦織校長の教育理念「Association(共同)」を実現しようと模索。
当然ながら超マイナースポーツだったサッカーに対して批判的な声が多かったそうですが錦織校長は環境整備に尽力して、
竹と針金で作った手作りボール、みんなで石拾いをしてグラウンド整備、シューズは近所の靴屋の手作りからスタート。
すると志太中サッカー部はやがて力をつけて創部から5年で全国制覇。
そして1936年に行われたベルリン五輪ではサッカー日本代表に志太中OBも名を連ねる事に。
こうした卒業生の活躍もあって藤枝市には日本初となるサッカースポーツ少年団も誕生。
その直後には清水市で日本初の小学生リーグもスタート。
志太中学校は藤枝東高校となって国体、インターハイ、冬の高校サッカー選手権の全てで優勝して史上初となる高校サッカー3冠も達成。
すると1970年代には藤枝東以外の高校もめきめきと頭角を現していき静岡県勢が高校サッカーの舞台で大暴れ。
この圧倒的な強さから静岡=サッカー王国という認知が広まっていくことに。
実は錦織校長には「マイナースポーツのうちに始めればすぐに静岡一、日本一になれる」という思惑もあったようで、その思惑通りに事が進んだのは良かったのですが、
野球部創設に強く反対し過ぎたせいで他の学校に転勤させられるというオチも。
という事で1問目は以上。
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