純喫茶と呼ぶのはなぜ?きっかけとなった不純喫茶とは?チコちゃん
26年5月29日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『純喫茶と呼ぶのはなぜ?』の答えなどまとめてご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】榊原郁恵、アルコ&ピース平子祐希
【VTRゲスト】なし
純喫茶と呼ぶのはなぜ?
2問目の出題は、
なんで喫茶店じゃなくて純喫茶って呼ぶの?
チコちゃんの答えは、
不純喫茶があったから
解説は日本コーヒー文化学会の小山伸二さん。
日本初の喫茶店といわれているのは1888年に東京上野にオープンした可否茶館(かひさかん)でお酒やコーヒーを飲みながらお店にあるビリヤードやトランプなどで遊べる社交場でしたが、このお店は長くは続かずたった4年でお店を畳む事に。
その後は1911年頃からやっと本格的に喫茶店文化が発展していき、ちょうどこの頃に銀座に三大喫茶店(カフェー)がオープン。
1911年3月頃にオープンしたカフェー・プランタンはパリのカフェに憧れた画家たちがお酒やコーヒーを片手に語り合う喫茶店として開業。
続いて1911年8月にオープンしたカフェー・ライオンではプランタン同様に女給と呼ばれる女性たちが勤務。欧米のカフェでは飲食の世話をする給仕は主に男性の仕事とされていましたが日本では当時、旅館や料亭の仲居さんなど給仕=女性というイメージが強かったことからカフェーでも女給さんが普通だったと小山さんの見解。
そしてこの女給さんたちは現在のメイド喫茶のメイドさんのようにアイドル的な存在として人気を獲得して看板女給さん目当てにカフェーに通うという文化も誕生。
スポンサーリンクところがこの時代はコーヒーも高価な飲み物だったために自然と客層は芸術家やお金持ちがメイン。
そんな時代にあって1911年12月にオープンしたカフェー・パウリスタはコーヒーを破格の値段で提供するという試みを行ってそれまでの富裕層向けサービスというイメージを一変させる事に。他店で40銭で販売されるコーヒー一杯の価格を5銭に設定した事で一般の客を多く呼び込む事に成功したパウリスタはプランタンやライオンと共にカフェー文化の発展に大きく寄与し、女給人気の加熱も伴ってカフェー自体その数をどんどん増やしていく時代が到来。
こうして勃発したカフェーブームは1923年に起きた関東大震災で大きな転機を迎え、震災後の復興にあって夫や家族を亡くした女性たちが働く個人経営のカフェーが乱立するようになり、当時の新聞記事によると東京にはカフェーが2909軒あまり、そこで働く女性たちは1万3000人に達するように。
こうして生まれた震災後のカフェーは女給がお酌や接待をする現在のクラブやラウンジのようなお店も多かったそうで徐々にカフェーのイメージにも変化が。
ちなみにこの時代に銀座三大カフェーのライオンのすぐそばにカフェー・タイガーというお店がオープンして素行の悪さでライオンをクビになった女給を積極的に雇ってお色気路線でお店に立たせるといった商法も誕生。
こういったカフェーに対しては「不純だ!」という声があがるようになって、乱立するカフェーによる風紀の乱れが社会問題化。そこで国は1929年にカフェーの取り締まりを開始し、取り締まりに際して法令として「カフェーとは酒を提供し女性に接待させる飲食店」という定義づけを行う事に。
スポンサーリンクするとカフェーと一緒にされて取り締まりの対象になっては迷惑だとばかりに「ウチはそういった不純な店ではなく純粋にコーヒーを楽しむ店ですよ」というアピールを込めてあえて「純喫茶」の看板を掲げるように。
つまり女給が不純とされるサービスを行うお店が増えたことで、それと区別するためにそれまでカフェーと名乗っていたのを純喫茶と呼ぶ文化が誕生したという流れ。
そして1930年代後半には不純なカフェーは徐々に消えて行って純粋にコーヒーを提供する純喫茶が増えていく時代がやって来て、それが現代では昭和時代に営業していた純喫茶の名残からシンプルに昭和を感じる老舗喫茶店の事を純喫茶と呼ぶように。
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