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力士がちゃんこ鍋を食べるようになったのはなぜ?チコちゃん


26年4月24日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『なぜ力士はちゃんこ鍋を食べるようになった?』の答えなどまとめてご紹介。ちゃんこ鍋の生みの親になった伝説の横綱とは?

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ゲスト出演者

【ゲスト】大竹まこと、田中麗奈

【VTRゲスト】なし

なぜ力士はちゃんこ鍋を食べるようになった?

1問目の出題は、

なんで力士はちゃんこ鍋を食べるようになったの?

チコちゃんの答えは、

出羽ノ海部屋に入門者が殺到したから

解説は水戸市教育委員会の藤井達也さん。

今でこそ力士の食事の代表格となっているちゃんこ鍋ですが、そもそもこの食事を最初に始めたのは出羽ノ海部屋といわれていて、現存する部屋では最多となる9人の横綱を輩出した名門。

そんな出羽ノ海部屋出身の力士の中で明治から大正にかけて第19代横綱として活躍した常陸山谷右衛門(ひたちやま たにえもん)はかの有名な「横綱相撲」という言葉の生みの親になったほどの大横綱。

常陸山谷右衛門こと市毛谷右衛門は明治7(1874)年に現在の茨城県水戸市で生まれ、17歳になる頃に相撲の世界に足を踏み入れる事に。

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その際に常陸山が入門したのが当時まだ小規模で力士の数も少なかった出羽ノ海部屋。その頃の力士の食事といえば辛子味噌やたくあんといった味が濃い少量の副菜に対してとにかく大量のご飯を食べるというもので、その偏った栄養バランスからビタミン不足による脚気を患う力士もいたとか。

そんな中、重さ150kg超の石を軽々持ち上げたという怪力エピソードを持つ常陸山はめきめきと頭角を現して明治37(1904)年に横綱昇進。

当時の常陸山は勝率9割を超えるほどの強さを誇っており、ただ強いだけではなく相手の攻めをしっかり受け止めてから豪快に勝つという取り口は「横綱相撲」の原点とされていたり。さらには甘いマスクのイケメン力士として女性人気も高く、お金に困っている人がいたら気前よくお金を出してあげるといった気風の良さあって常陸山は国民的スターに。イケメン横綱の常陸山

するとそんな常陸山に憧れる入門者が出羽ノ海部屋に殺到する事態となり、当時の力士の数約400人に対して出羽ノ海部屋出身力士は約140人という一大勢力に。当時の出羽ノ海部屋の様子を見てみると土俵周りにあふれんばかりの力士たちがずらり。常陸山の人気のおかげで出羽ノ海部屋は大盛況

ところがこれだけの人数の食事を用意するのは大変で、ましてやこの当時の食事スタイルといえば個人のお膳を並べるものだったために毎日が大広間の宴会場状態。

そこでそんな状況を何とかしようと声をあげたのが常陸山で、一つの大きな鍋をみんなで囲んで食べようという提案。これがちゃんこ鍋の元祖といわれいて、鍋にした事で一度の大量の調理が可能になった上に肉、魚、野菜がバランスよく食べられるという大きなメリットも。

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これが評判になった事でちゃんこ鍋は多くの相撲部屋で提供される力士の定番メシにといういきさつ。また、この「ちゃんこ」という言葉は力士が食べるもの全般を指す言葉というのは有名なお話。

最後に各部屋の代表的なちゃんこ鍋紹介。

  • 出羽海部屋:二本足で手を付かないので縁起が良いとされるニワトリの鶏ガラで出汁をとったスープで作るソップ炊き
  • 田子ノ浦部屋:食べるラー油、疲労回復のクエン酸が味の決め手の酸辣湯ちゃんこ
  • 鳴門部屋:ブルガリア出身の鳴門親方(元琴欧州)のおかげで乳製品が多く届くという事でクリームシチューちゃんこ

ちなみに常陸山は引退後に出羽ノ海親方として3横綱、4大関の育成に携わりましたが引退から8年後に48歳の若さで亡くなる事に。

元々、出羽ノ海部屋は「ノ」が入るのが本来の表記だったものの、常陸山の存在があまりに大きかったという事で跡を継いだ親方が同じ出羽ノ海を名乗るのをはばかって現在の出羽海の表記になったという経緯も。

という事で1問目は以上。

※同放送回のその他の疑問はコチラ

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一覧:NHK「チコちゃんに叱られる!」

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