原宿が若者の街になったのはなぜ?チコちゃん
26年4月24日放送の「チコちゃんに叱られる」の問題『なぜ原宿は若者の街になった?』の答えなどまとめてご紹介。
スポンサーリンクゲスト出演者
【ゲスト】大竹まこと、田中麗奈
【VTRゲスト】なし
なぜ原宿は若者の街になった?
2問目の出題は、
なんで原宿は若者の街なの?
チコちゃんの答えは、
アメリカ人の村があったから
解説は國學院大學の吉見俊哉教授。
そもそも原宿は東京都にある山手線の原宿という駅名の事で住所は「渋谷区神宮前」になっており、周辺エリアを見渡してみてもどこにも原宿という地名は存在せず。
この原宿というネーミングは江戸時代ごろにこの辺りに存在していた原宿村が由来となっていて、武家屋敷などがある武家地と農村地域の境界線辺りに位置していたと考えられているとの事。
さらに現在の原宿駅があるエリアは江戸時代から明治中期まで穏田村と呼ばれる稲作が盛んな田園地帯が広がっていて、徳川家康が本能寺の変で帰国する際に家康を警護していた伊賀者(忍者)に対し、その功績をたたえる意味でこのエリアを与えて住まわせたという説がある事から穏田村は忍者の里だったかもしれないと吉見先生。
そして時代は一気に進んで1946年の第二次世界大戦直後にはこのエリア(現在の代々木公園周辺)にワシントンハイツと呼ばれるアメリカ人兵士が住む村が作られましたが、その広さは現在の代々木公園、国立代々木競技場、NHKにまで及ぶかなり広大な面積。
ワシントンハイツには住宅以外に学校、教会、スーパーマーケット、テニスコート、ゴルフ場まで作られていたそうで、そこには比較的上級なアメリカ軍将校や兵士が生活をしていたとの事。
スポンサーリンク現在の代々木公園がある場所には日本陸軍の練兵場があり、第二次世界大戦で日本が敗戦すると戦後はアメリカ軍の土地として管理されるようになったという経緯で、当時の日本人の掘っ立て小屋のような粗末な住居に対して豪勢な住居が建ち並ぶワシントンハイツは一種の憧れの対象で、金銭的に豊かだったアメリカ軍兵士に向けた商売も表参道周辺で発達。
こうしてワシントンハイツの目の前にあった明治神宮の参道である表参道にはアメリカ人向けの店が続々と出店していきましたが、今でも営業している有名なKIDDY LAND(キディランド)はもともと埼玉県秩父市の書店が1950年にアメリカ人向けに表参道に出店したのがそのまま残っている形で、アメリカ人の幼い子ども向けに書籍やおもちゃを販売していたのが今に繋がっているとの事。
そして1964年の東京オリンピックを機にワシントンハイツは日本に返還されて、そのままオリンピック選手村として活用される事に。するとそれまでの危険で怖い米軍のイメージは払しょくされて誰もが気軽に足を運べる身近な存在に。
そうなると原宿=アメリカ文化の中心地というイメージから若者を多く惹きつける土地になっていって現在の原宿が出来上がっていったと吉見先生。
つまり原宿が若者の街になったのは戦後、代々木公園周辺にアメリカ人が多く住み、アメリカ人向けの商業施設が増えた事でアメリカ文化に憧れを抱く若者たちが多く集まるように。
また、1958年に誕生した高級アパートの原宿セントラルアパートには日本人のデザイナー、イラストレーター、写真家などの若きクリエイターたちが多く住んだことから流行の発信基地になっていたり、1967年には日本初のドライブインとなるルート5が原宿に開業してオープンカーでそこへ乗りつける通称・原宿族が誕生したり、竹下通り発祥の竹の子族(1980年代前半)、DCブランドブーム(1980年代)、裏原系(1990年代)、ゴシック&ロリータファッション(1990年代)と時代と共に様々なカルチャーを生み出していく事に。
そして現在は原宿のKAWAII文化として世界中から外国人がやってくるグローバルな街に進化を遂げているというまとめで2問目は以上。
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