第89回 NHK「チコちゃんに叱られる!エールコラボSP」チコの部屋&秋葉原がオタクの街になったのはなぜ?
20年5月5日放送の第89回 NHK「チコちゃんに叱られる!エールコラボSP」は拡大版では恒例のチコの部屋では唐沢寿明さんに歌詞穴埋め問題が出題されたり、その他に紹介された疑問は、秋葉原がオタクの街になったのはなぜ?という内容。
ということで、20年5月5日に放送された第89回 NHK「チコちゃんに叱られる!令和になってもう1年!エールといえば大洋ホエールズあ~筒香はもういないのか・・・スペシャル~!」の様子をまとめてご紹介します。
※本記事ではチコの部屋と3問目をまとめておりますので残りの疑問は別記事でフォローします。
スポンサーリンク出演者
【メインMC】チコちゃん(声:木村祐一)
【アシスタント】塚原愛(NHKアナウンサー)
【ナレーション】森田美由紀(NHKアナウンサー)
【レギュラー】ナインティナイン 岡村隆史
【ゲスト】窪田正孝、二階堂ふみ、唐沢寿明
【VTR】森本レオ、田口トモロヲ
チコの部屋その1
歌詞の穴埋め問題
冒頭の2問に続いてはチコの部屋のコーナー。
チコちゃんと1対1でゲストがチコちゃんの出題に答える拡大版では定番のこちらのコーナー。
「警察だ。開けろ。」といきなりコントから始まる唐沢寿明さんが1人目のゲストw
日本テレビ系の「ボイス 110緊急指令室」で唐沢寿明さんとチコちゃんの声の正体である木村祐一は共演済みですよね。
チコちゃんからの出題は歌詞の穴埋め問題。
1曲目は美空ひばり「愛燦燦」から「わずかばかりの○○を恨んだりして」
唐沢寿明「いや出てこねぇな。なんだろう?これ・・・」
結局ひねり出したのは「おこづかい」と急に大喜利にw
チコちゃん「面白い!笑。面白いけど、ボーっと生きてんじゃねーよ!」
正解はチコちゃんが歌って発表との事ですが、歌声が美空ひばりさんそのものというw
恐らくモノマネタレントさんとかでしょうかw
正解は「運の悪さ」でした。
ついでに「おこづかい」バージョンもサービスで披露w
2曲目は福山雅治「家族になろうよ」から「いつかお母さんみたいに○○で」
唐沢寿明「節約上手。」
そんな歌詞じゃ感動できないw
正解は「静かな優しさ」でした。
チコちゃん「福山でチコです。チコがやってま~す。」
この番組にも一度いらした福山雅治さんご本人ですが、流石にこれはご本人ではないハズ。
ついでに桑田佳祐さん、米津玄師さん、さだまさしさんのモノマネも岡村さんのリクエスト通りに披露w
ついでに唐沢寿明さんの「MISIAは?」にもしっかり対応w
チコの部屋の後はにらめっこ。
金髪で天使姿のチコちゃん。
スポンサーリンクチコちゃんの疑問その3
秋葉原がオタクの街になったのはなぜ?
3問目は笑いから入るパターン。
チコちゃん「エールっと。」
3問目の指名は、
この中で一番、趣味に熱中してそうなステキな大人ってだーれ?
特に理由もなく窪田正孝さんを指名する岡村さん。
オタク的な趣味について話題にするチコちゃんですが、
ガソリンスタンドで勤務した経験もあって、洗車が好きという窪田正孝さん。
以前、テレビでも洗車愛について語っていたりしましたよね。
ここでチコちゃんの疑問は、
なんで秋葉原はオタクの街になったの?
電気工学に詳しい人たちが集まったことがきっかけと意気揚々と答える窪田正孝さんですが、
チコちゃん「ボーっと!生きてんじゃ!ねーよ!」
なぜか歌舞伎口調で叱るチコちゃんw
続けて唐沢寿明さんに聞いてみると、隣の上野が「あなたの街」だったのでそれに対応する形で「オタク(お宅)の街」に1980年代からそう言われていたともっともらしく答えるというw
ひょうひょうと答えるので真偽やボケているのかどうなのか分からないw
ということでチコちゃんの答えは、
GHQのおかげ
スポンサーリンク解説は明治大学の森川嘉一郎准教授。
終戦直後の秋葉原というのは空襲の影響で焼け野原。
そんな何もない所から復興していく中でオタクの街になっていったという大まかな流れがあるそうですが、
終戦直後は秋葉原に近い神田周辺の道路で、近くにあった電機工業専門学校という工学系学校の生徒向けにラジオ部品を販売する露店が多数出店。
戦争の爪痕でラジオメーカーの工場が操業できない状態だったために、ラジオは完成品の状態で出荷できず、やむを得ず部品だけを売るしかなかったんですね。
ただ、ラジオは当時重要な娯楽の一つで、知識のある人たちは部品を買い集めて自らラジオを作るという事が出来たので、そんな人たちが露店を多く訪れる事に。
こうして神田にはラジオ部品を取り扱う露店がどんどん増える事に。
そんな中、1949年にGHQは露店撤廃令を発令して露店を取り締まるという出来事が起こります。
GHQとしては主要道路の拡大・整備を進めたかった為に道路に多数並んだ露店は邪魔な存在だったんですね。
となると道路から露店が消え、露天商を生活の糧としていた人たちやラジオ部品を求める人たちが困る事態に。
そこで露天商側からGHQに直談判し、道路に代わる土地を提供するという保証をとりつける事に成功。
この時に偶然に選ばれた土地が秋葉原駅の高架下などのスペース。
こうしてGHQの政策によってラジオ部品を取り扱う専門店が高架下などのスペースに集中して電気街へ。
当時の秋葉原に詳しい秋葉原観光推進協会理事の松波道廣さんにお話を伺うと、
1950年代に入ると徐々に大手メーカーの経営が再建していって、完成品の家電製品が多く出回るように。
ここで秋葉原は一般客向けに普通の家電を売るのか、マニア向けに部品を売るのかに分かれる事になりましたが、それらが混在するようになって、後に起こる家電ブームのけん引役に。
こうして1960年代には家電の街に発展。
高度経済成長期に合わせて表通りは家電販売店が軒を連ね、その一方では少し路地を入ればマニアックなお店もあるという状態に。
1973年のオイルショックから始まる経済不況では家電の売り上げが徐々に右肩下がりになりますが、その一方で、裏通りのお店ではパソコンの販売が急増。
当時のパソコンは専門的な知識が要求される代物で完全なマニア向け製品でしたが、マニア向けの市場がしっかり確立されていた秋葉原では当然のようにパソコンは売れる事に。
家電の流行に乗らずに脈々とマニア向け製品を取り扱っていた裏通りのお店とそれを求めるお客という市場のおかげで秋葉原はパソコンが売れる街としての顔も見せ始めます。
そして90年代初めのバブル崩壊で表通りの家電販売店が続々と閉店していく中、入れ替わるようにして大型パソコン専門店がオープン。
裏通りのお店が育んでいたパソコン文化が遂に秋葉原の表の顔に。Windows95発売の折には秋葉原での大盛況ぶりを伝えるニュースが多く流れていましたよね。
そしてパソコン好きとアニメオタクには自分の趣味趣向を追求するという共通点があった事から、徐々にアニメオタクが集まる街にも。
1980年代のパソコン雑誌に目をやってみると、表紙にはアニメキャラクター(ミンキーモモ)が掲載されていて、そのミンキーモモをプログラミングでパソコンの画面に表示できるなんていう趣向も当時の雑誌では行われていたり。
こうして親和性の高かったパソコンとアニメが合体してオタク文化と一まとめに。
パソコンゲームから派生した美少女フィギュアなども人気が高まっていた事もあってオタク文化はよりディープに。
マニアックな商品でも売る側として「秋葉原なら売れる」という思いがあったようですね。
こうして2000年代になると秋葉原はオタクの街の地位を確立。
まとめると、
- 終戦直後 – 焼け野原
- 露店撤廃令後 – ラジオ部品の街
- 1960年代~ – 家電の街
- 1990年代~ – パソコンの街
- 2000年代~ – オタクの街
大まかにこんな感じ。
さらに、番組ではあまり触れられていませんでしたが、AKB48の劇場が出来た事でアイドルの街なんていう顔もあったりですよね。
ところで戦後数十年の間にここまで街の顔が変化出来たのは、駅前に巨大なデパート群が並んでいなかったという秋葉原の都市構造も関係しているとか。
土地の区画が細切れになっているので、小規模店、マイナー店であっても表通りにお店を出せるという立地。
時代によってどんどん街の顔が変わっていくという秋葉原の特徴はこういった点からも来ているとの事。
という事で、
秋葉原がオタクの街になったのはGHQのおかげ
でした。
秋葉原周辺のおすすめスポットを聞かれたチコちゃんは「そらもう、おでんの自動販売機ですよ。」という答え。
唐沢寿明さんが既に解答の時点で触れていましたのでw
最後に塚原愛アナから補足。
オタクという用語のそもそもの始まりについてですが、
唐沢寿明「オタクは1991年じゃない?」
自信満々にピンポイントで言うのでもっともらしいウソw
正解は1980代と大ハズレですが、当時アニメや漫画ファンが集まった時にお互いに「お宅」と呼び合っていたことがきっかけだそう。
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