泉ピン子の終活&お墓を初公開 橋田壽賀子との別れを語る いきざま大図鑑
22年6月29日放送の日テレ系「いきざま大図鑑」では泉ピン子が進めている家の整理やお墓公開など終活にカメラ密着。という事で橋田壽賀子との別れのエピソードなども含めて番組内容をまとめてご紹介。
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泉ピン子の終活
現在泉ピン子が暮らしているのは静岡県熱海市。
2011年に2500万円で購入し、リフォーム代も含めるとかかった費用は1億円だったそう。
医師である夫の武本憲重氏は銀座にある病院に勤めているのでこの家に帰って来るのは週に1度だとか。
〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓
泉ピン子「いらない物を全部片付けなきゃなんない事と、家が私の名義になってるし。(家は)私が死んだら夫に行くだろうし、夫が死んだら夫の親せきとかにあげるの嫌だから。(結婚を)反対されてたしね。誰がやるか。世の中の女房はみんな思ってる。亭主の方にはやりたくないって絶対思ってる。笑。絶対思ってるよ。これは。」
スポンサーリンクそこで考えているのは自分の財産を信頼できる人に託して運用・管理してもらう制度である信託。
妹のように接して親交の深い方に家や家財は全て託す予定だとか。
ただ未整理のモノが家には溢れているようで1個何万円もするアンティークがズラッと。
泉ピン子「売ったら収入になるんでしょ?収入でもいいから売ろうかな?ワイン。」
ワインセラーにもコレクション。
泉ピン子「飲みません。私お酒飲めませんから。昔は飲んでた。でも50歳でやめたから。売りたい。すごい金になると思わない?」
クローゼットは満杯状態。
30㎡の広さのクローゼットに1000着以上のブランド品がズラッと。
泉ピン子「どうする?これ。何の洋服だか全く…。捨てる以外ないんでしょ?」
友人に譲ったりして処分はしているそうですが、それでも50年以上前に初めてシャネル本店で買って来てもらったバッグなどは思い出の品のようで手放せない様子。
泉ピン子「ギャラは全部使っちゃった。ギャラは残っておりません。(貯金は)ほぼ無いです。老後の貯金はあるわよ?」
スポンサーリンクお墓
カメラが案内されたのは自宅から車で10分の距離にある墓地。
泉ピン子「私の骨壺を大きいのにしてもらって、粉々にして今家にある犬の骨を一緒に入れてもらいたいから(こちらは相談中との事)。」
お墓に書かれた「ありがとう」の文字は旦那様の文字。
泉ピン子「私に対してありがとうなのかな…?じゃないの?そう解釈してるけど。笑。みんなにありがとうなんだろうね。」
泉ピン子「泉ピン子って生きた証無いから、せめてここに。買ったのはおととし(2020年)かな?ここ安いんですよ。300万円はしないね?でも石高かったんだと思う。この石が無いって言われたから強引に探せ!って言って。笑」
希少なピンク色の御影石を特注。
泉ピン子「お線香立てなんていらないけどなぁ。(墓守は)いないわよ。だからここがいいんじゃない。ここ全部やってくれるんだから。宗教も無いからいいんですよ。お骨に入れるのに死んで30年はこのままだけど、そのあとお金払うと墓終いしてくれるんだって。」
後継ぎがいない人は事前契約で霊園が墓の解体&遺骨の供養をやってくれるんだとか。
同じマンションで暮らしていた親しい友人にオススメされたのがこの霊園で、その方も2021年に亡くなったとか。
泉ピン子「最後に私を看取るって言ってくれてた人が先に死んじゃった。」
橋田壽賀子先生が亡くなってから2か月後の事だったそうで、親しい人を続けて亡くした事で終活への思いがふと湧き上がって来た様子。
泉ピン子「死に衣装はもう決まってますよ。杉村先生に結婚の時にいただいた着物。」「(葬儀は)しません。ただ安住(アナ)に居酒屋でやれと。私の好きな人だけ。」「(葬儀は)いらないじゃない?そんなの。だって森光子偉大だったって誰が言ってる?今。杉村春子って誰が言ってくれるの?忘れられるのよ。」
葬儀を行えば関係者は行かざるを得なくなるので、そうなると余計なお世話、相手方にも負担になるというのが本音。
泉ピン子「誰も来てほしくない。役者関係いらない。」
スポンサーリンク仕事仕舞いと就活
そして女優の集大成に選んだのが朗読劇。
泉ピン子「仕事の終活がこれ。私の終活。」
夫の死後に発覚した愛人と隠し子を巡る物語は自身の私生活ともリンク。
泉ピン子「ウチの夫がそういうことをしたじゃない?台本と同じように。子どもがいるじゃない?」
1995年、結婚6年目にご主人に愛人と隠し子がいる事が発覚。
泉ピン子「絶対別れるなって言ったの橋田先生なの。奪われた、捨てられたって世間はきっと思う。でもアンタのとこに留まればやっぱり浮気だったんだなって世間は見なすよって。だから別れるなって言われた。森光子さんからも言われた。」
記者会見で泣くように演出したのは橋田壽賀子先生だったとか。
泉ピン子「役者だから泣いてるうちに本気で涙が出て来てさ。だったらあんなに世間からバッシング。笑」
朗読劇はずっと描いていた夢だったようで舞台に向けて毎日3kmのウォーキング。
橋田壽賀子との別れ
お供え物をして挨拶。
手前に置いてあるペンケースには橋田壽賀子先生が生前使っていたボールペン。
他にもメガネや先生が旅行中持ち歩いていたというマイ箸などの形見。
先生宛てに書いた手紙が全て保管されていたようでそれを死後受け取って手元に。
これらは全てお棺に入れて一緒に旅立つ予定だそう。
先生から送られた最後の手紙を読んだ際には、
泉ピン子「真っ直ぐ書く達筆がこんなに乱れてるの…。ぐちゃぐちゃに。私コレを見た時に本当の事言って、もう長くないって本当に思ったの…手紙明けた瞬間号泣しました。きっと先生が最後に出した手紙は私だと思います。」
最期を看取った時は、
泉ピン子「眠るようだった。ママって呼んだら足さすってる私を見て、目合って、そのまま後ろに倒れて、それで息引き取った。あんな死に方いいよねぇ。あれで人生変わったわよね。」
スポンサーリンク先生の骨上げをした際には周囲が驚くほどに泣きじゃくってしまったという泉ピン子ですが、
泉ピン子「本当に骨になっちゃったのかな?っていうのと辛かったかな…」
骨を食べて供養する風習である骨噛みにならってお骨を口にしたそうで、
泉ピン子「自分の体の中の一部に入れておきたいなと思ったから…そういう思いでしたら主人に『体の一部にはなんないんだよ。骨はカルシウムで水で溶けておしっこで出てっちゃうから。君の体の中には先生はいない。』って言われて…笑。そんなのもうちょっと後で聞きたかった。笑。医者って何なの!?空気読めないっていうか。黙っておいて欲しいよね。笑」
泉ピン子「散骨で私のけじめにしたい。私と先生だけしか分からない事がいっぱいあるから。だけどそれはそれ。もう振り返らずにめそめそしない。」
先生のように安らかに苦しまないで死にたいというのが今の理想のエンディング。